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ネットワーク通信バックナンバーREPORT

 No.101(抄)
 INDEX
◇いま 言い残しておきたいこと~ 戦争のころ~ 元高校教師  高階 重和
◇ネットワーク学習会  地球上から核兵器をなくしたい! 被爆二世三世の会会長 加百智津子さんのお話を聞いて
◇視覚障害者友の会平和を訪ねる広島の旅に参加して その2 山口雪子さんを支える会事務局長 重田 雅敏
子育て Q&A

いま 言い残しておきたいこと ~ 戦争のころ~  元高校教師  高階 重和
私は、中学四年生のころ、東京神宮外苑競技場(現オリンピック競技場)で、あの「学徒出陣」を小雨の中で見送りました。
 当時の東条英機首相はじめ高官や軍人たちが居並び、出陣を励ます大演説の後、その前を鉄砲を担いで、四列縦隊で次々と行進していく学生たち。
 バックストレッチに陣取ってこれを送る私たちは、大喚声をあげてその行進を見送ったのですが、周りの学生たちからは、いつのまにか、なんと「バカヤローッ」の大連発。大声で各人が思いの丈を精一杯叫んでいました。
 
はじめは「オヤ?」と思いましたが、すぐに合点して、私たち中学生も繰り返し繰り返し、大声で叫びつづけました。
 この時出陣された方々のほとんど全員が「特攻隊」として出動し戦死されました。
 みなさんは「戦争」は「自衛隊がやってくれる」と考えていませんか。とんでもありません。ひとたび戦争が始まったら、全国民で戦争をやることになるのです。さらに、「自衛のために・・・」米軍を支援して、国外にまで出陣することになれば、とても自衛隊だけでは足りません。当然のこととして「徴兵制」が復活し、次々と国民が招集されていくのは目にみえています。
 攻めれば必ず報復されます。空襲も絶え間なく受けることになるでしょう。「非戦闘員」はいない「国民皆兵」となるので、全国民が攻撃の対象となるでしょう。「ヒロシマ・ナガサキ」や「沖縄戦」を想い起してください。さらにこれからは「核戦争」の時代ですから、全滅することになるでしょう。
「二度と戦争を繰り返してはいけません。今、これだけは言い残しておきたいのです。
    たかはし しげかず
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ネットワーク学習会  地球上から核兵器をなくしたい!
  被爆二世三世の会会長 加百智津子さんのお話を聞いて

ネットワーク学習会で被爆二世三世の会の加百智津子さんの話を聞かせてもらった。

 話の途中で「原爆にさわってみてください」と言われ、お母さんが広島で被爆された当時着ていた絣のブラウスを私たちに回覧された。回ってきたブラウスの両袖をそっと広げてみた。両肩から胸にかけて溶けてなくなり、そのまわりには血や膿のあとが黄色く残っていた。73年前の光景の一部が目の前にあった。息がつまり、隣の人にそろっとまわした。涙があふれて困った。そのお母さんから生まれた智津子さんには、三人のお子さんがあり、孫も生まれている。お父さんが、呉の海軍の軍人だったため、お母さんは、結婚後広島に住むことになった。妻を被爆させたこと、たくさんの戦友を死なせて自分は生き残っていることなど、父親の自責の念を淡々と語られた。反核のエネルギーは常に台所から世界に向かっている。少し見習わなければ・・・・。

○1月26日、相談ネットワークでは「被爆二世三世の会」会長の加百智津子さんをお招きして学習会を開きました。加百さんは、「被爆二世は、被爆者の夢の受け継ぎ手。私は被爆二世の立場をフルに活用して、地球上から核兵器をなくす活動をがんばりたいと思っている」と話を始められました。
 ICANの事務局長ベアリス・フィンさんやサーロ節子さんのスピーチ、バラク・フセイン・オバマ・ジュニアのメッセージを紹介しながら、核兵器禁止条約の批准やその後の世界各国の動きを紹介してくださいました。
 サーロ節子さんは「世界のすべての国の大統領や首相たちに懇願したい。核兵器禁止条約に参加し、核による絶滅の脅威を永遠に除去してください」と世界に向かってスピーチしました。ところが、唯一の被爆国である日本の安倍首相は、「核保有国と非核保有国の亀裂を深め、核兵器のない世界の実現を遠のかせてしまうから反対した」と答えています。本当にがっかりです。
 
 人類は人道上許されない兵器(生物化学兵器・対人地雷・クラスター弾など)を世界の約束で禁止した歴史を持っています。今回の「核兵器禁止条約」は、核を使用すること、持つこと、作ること、脅すことを人類史上初めて禁止したものです。そして、これは『ヒバクシャ』の長い、そして強い願いと運動のたまものでした。
 2015年戦争法反対の運動の中で若いママさんたちが

「だれの子どもも殺させない!」と立ち上がりましたが、核兵器廃絶の運動は「世界のだれにも、私たちと同じ苦しみを味わわせない!」という崇高な思いだったと思いました。だからこそ、世界の世論を動かしたのだと。
 
 加百さんのお話で印象的だったのは、やはりご家族の話でした。お母さんは三人の子どもを授かったそうです。しかし、生まれた男の子たち(加百さんのお兄さん)は、お母さんの被爆が原因で生まれてすぐに亡くなってしまいました。二人の墓に向かって「お前たちが私の体から原爆の毒を持って行ってくれたから、こうして長生きができた」と話しかけていたこと。被爆したブラウスをずっと残し、成長した娘に託したことなど。胸がいっぱいになりました。また、認知症になっても、被爆のことは亡くなるまで話していたということです。
 お父さんは、「遺体は大学病院へ献体する。葬式はするな。墓は作るな。」という遺言を残されたそうです。「自分と結婚したため妻を被爆させてしまった。同胞は海の底に眠っているのに、自分だけが手厚くしてもらう訳にはいかない」と。
 父の願いを尊重し、高知の海に散骨した智津子さんは、「これで父も母もやっと戦争と原爆から解放されたのだ」と思ったそうです。

 加百さん自身も子どものころには「原爆がうつる」と心無いいじめを受けたそうです。今は被爆二世であることを公表し、遠くはニューヨーク、近くでは地元総社市で「核兵器を地球上からなくしたい」と元気に活動しています。
 余談ですが、私は出身が総社市です。加百さんたちの要請にこたえて総社市長がNPT再検討会議議長へのメッセージを色紙に書いてくれたことや市役所の一角に署名コーナーを設置してくれたことなどを聞いて、ちょっとうれしくなりました。
 
 平和のためにだれにでもできることがある。想像力をはたらかせること、関心を持つこと、被爆や戦争について知ること、まわりの人や家族と話すこと、署名をすることなどなど。
 加百さん、良い機会をありがとうございました。  
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視覚障害者友の会
平和を訪ねる広島の旅に参加して その2 山口雪子さんを支える会事務局長 重田 雅敏

さて、二日目は、ますます台風が接近し、船によるツアーは無理かと思っていました。しかし、大学を卒業しこの7月から広島市内で勤め始めたばかりの松本葵さんが、期待を膨らませて参加してくれたので、なんとか日程通りに進行できないかと願っていました。
 バスが宇品港に着くと、雨はかなり強く落ちてきていましたが、風はほとんどなく、港のターミナルビルも他の客たちで結構にぎわっていました。船を待つ人々が多いので、まだ船は運行できる状態だと思いました。
私たちの乗った小型チャーター船は、高速で揺れが少なく、予想以上に乗り心地が良かったです。
 二日目も、地元呉市の奥田和夫さんが船に乗り込んで、行く先々の地形や基地や軍艦などについて、軍事評論家も顔負けするほど詳しく解説してくださいました。
 1隻1200億円の大型ヘリ空母や大騒音を出すホバークラフト式上陸用舟艇など、残念ながら景色が見えないので、想像するだけで実感はあまりもてませんでしたが、呉湾、軍港、岩国基地などについて、全く知らなかったことを沢山教えてもらえて良かったと思います。
 つくづく軍港とは、日常とはかけ離れた異様な雰囲気の恐ろしい所だと思いました。普段は、基地の存在など全く意識しない私たちですが、国民として一人ひとりが、このような実態を知ることが必要だと感じます。
 島々に囲まれて奥深い所にある天然の秘密要塞「呉湾」から狭い水路を抜けて、船が信じられないほどの速さで進んで行きます。広々とした広島湾に漸く出て、岩国基地近くに行った頃、海上につむじ風ができているのが見えると聞き、「えっ竜巻」と少し緊張しましたが、小型船の性能がとてもいいのか、強風が吹いていたにもかかわらず、ほとんど揺れを感じませんでした。
それでも、宮島の桟橋に着いた頃には、かなりの横風が吹き、波頭も立ち、雨も強まっていました。
 お土産屋さんの二階で、名物アナゴ弁当を食べた後、土砂降りの中を20分以上もあちらこちらにできていた水たまりをよけながら、厳島神社の見学に行きました。道の途中では、厳島合戦(毛利元就と陶晴賢との戦い)についてや、海上の大鳥居の話を聞き、雨が滝のように降る中で、視覚障害者専門ガイドの方から、石の柱や松の柱を触らせてもらったり、ヘレンケラーが二回目の来日の際、写真を撮ったという石灯篭に触らせてもらったりしました。世界遺産の厳島神社の回廊に着くと、屋根があり風もなく、雨から解放されて、漸く落ち着いて説明を聞きながら、見学することができました。「思い出に残るいい体験だ」と負け惜しみを言いながら、その後、急いでお土産屋さんに戻ってみると、10分のタイムオーバー。お土産も買わずにまた船に乗り込みました。しかし、30分もかからずに宇品港に到着しましたので、ここでゆっくりもみじ饅頭などお土産が買えました。私はもみじ饅頭が大好きです。
 二日間解説してくださった奥田さんのこれまでの長年の努力に対して、軍事一色に染められつつある基地城下町呉市の大多数の軍事基地推進者からの迫害に日々さらされながら、何十年にも渡る不屈の踏ん張りに対して、心から感謝と敬意の念を覚えました。拍手するだけで大したお礼も言えずにお別れしてしまいましたので、できれば、また、お会いしたいと思いました。
 
 最後に、約80年前に造られたという、被爆電車に、広電宇品港駅から乗り込みました。車内では、ツアーコンダクターの杉田さんから解説文を読み上げてもらい、古い被爆電車のつくりやモーター音から、被爆当時の生活の様子や被爆直後の惨状に思いをはせることができました。知りたいことが獲得できない情報障害者の私たちにとっては、読み上げたり解説したりしていただけると、とても助かります。それから私が、弱視の頃に見たのですが、焼け焦げた電車の中で、焼け死んだお母さんの足元にぽつんと落ちていた小さな炭になった赤ちゃんの絵を思い出しました。
 ああ「原爆許すまじ」ですね。
 40分程度で広島駅に到着すると、急に近代的な現代都市に引き戻され、楽しくもあり、難行苦行もありという今年のツアーは終了です。
 そして、阿部さん、内田さん、重田の三人は、台風に追い立てられるように、ツアー同行のみなさんとお別れを言って、東京行きの新幹線に乗り込みました。
 ペアでずっと同行し、案内してくれた池田さんの息子さんには、今年もまたまた大変お世話になりました。ありがとうございました。とても楽しかったです。
 帰路、新幹線は新大阪直前で横風を受けて徐行運転しましたが、何とか強風による遅れも取り戻して、東京駅に21時ごろ無事到着することができました。
 日ごろの行いが悪くて、大雨が降ったのか。日ごろの行いが良くて、この悪条件の中すべての日程をこなすことができたのか。そのどちらなのかは分かりませんが、とにかく今年も岡崎平和観光ツアーに参加して、平和を願い心を一つにする素晴らしい皆さんと、二泊三日を過ごせたことは、貴重な体験だったと今回もまた強く感じました。 来年も、参加できたらいいと思います。
 今年のツアーは例年よりもずっと不安や気苦労があったと思います。企画や運営をしてくださった岡崎さんと杉田さん、大変お疲れ様でした。そして雨の中、一緒に参加された沢山のみなさん、ありがとうございました。
       しげた まさとし
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子育て Q&A
高校受験がもうすぐなのに、全くやる気がありません。どうすれば・・・

Q:中学校三年生の息子のことです。前々から相談させていただいているんですが、受験を三週間後に控えているのに、全くやる気がありません。どうしてやったらいいでしょうか。

A:学校へは行っていない 状態のままでしたねぇ。

Q:そうなんです。部活も、「学校に来ていないのに、 対外試合に出すわけには いかん」と言われてから は、全く行かなくなりま した。出席日数が足りな いから、私立高校は無理 だ、公立高校で、出席日 数に関係なく受け入れて くれる学校があるから、 そこへ行ったらどうかと 学校から言われ、友だち の何人かも行くので、そ こを受験することにしま した。それで塾へ行くと 言って行き始めたのです が、二日目からもう行き たくないと止めてしまい ました。それ以降、全く やる気がなくなって、こっ ちが何か言うとケンカに なるばっかりで、こちら ががまんしているんです が、でも、どうにかして やりたくて、どうしたら 良いものかと電話をしま した。

A:お母さんの気持ちは痛 いほどわかります。お母 さんが、無理して我慢し てもお母さんの言いたい ことは息子さんは感じて いるでしょうから、我慢 しきれなくなったら、ケ ンカになっても、本音で ぶつかるしかないでしょう。

Q:そうして、ケンカをし てきたんですけれど、聞 いてくれないような気が して・・・。

A:でも、じっとがまんし て、信じて待てますか? 今のお母さんの様子では、 我慢できないような気が します。腹をくくって、 待つことができなければ 言えばいいし、言うしか ないでしょう。

Q:高校に入れなかったら、 殺してくれとまで言うん ですよ。

A:それほどまでに焦って いるんですねぇ。でも、 自分ではどうにもならな くて、そんな言い方になっ てしまうんでしょうねえ。
 やっぱり、お母さんの気 持ちをストレートに言わ れたらどうですか。
 息子さんが、どう受け止 めるかは、息子さんのも んだいです。お母さんは、 こう思っているんだよと、 語りかけてみましょう。 その後の様子をまたお知 らせください。

Q:そうしてみます。


担当  石井 信行

※いろいろな高校があります。息子さんには今伝えなくても、お母さんの選択肢として心に留め置いてくださいと、いくつかの学校を紹介することもしています。
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