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ネットワーク通信バックナンバーREPORT

 No.120(抄)

        目     次
微力ながら 代表世話人を引き継ぎました     代表世話人 山本 和弘
韓流ドラマから見る 「子どもの権利条約」    相談員 花田 千春
お知らせ、お詫び、もろもろ・・・秋山 正美
相談ネットワークのこれまでとこれから
忘れ残しのあれこれ3⑬       相談員  難波 一夫
いじめを考える <PartⅢ①> 相談員 福 田  求 (新しいウィンドウに開きます)
全国教育署名のお願い 
会費納入のお願い

微力ながら 代表世話人を引き継ぎました     代表世話人 山本 和弘

          
 ごあいさつが遅れました。 田中博さんのあとを承けて、昨年度から代表世話人を仰せつかっています。到底、その任に堪える自信はありませんが、微力を尽くす所存ですので、よろしくお願い致します。
「ネットワーク通信」過去号をひもといてみますと、相談員の一員に加えていただいたばかりの時、こんな文章を寄せていました。
 (前略)ネットワークとの縁は、個人的には並々ならぬものがあるのです。設立に尽力された内田喬先生は、高校時代の恩師です。設立当時難波一夫先生とともに代表委員をおつとめくださった八木原藤義先生は、高教組でも高生研(高校生活研究協議会)でも、ひとかたならぬご指導をいただきました。守安正文先生、有森茂夫先生、いずれも親しくお付き合いいただいた大先輩です。いずれも鬼籍に入られ、残念至極。後を継ぐのは、私たちの世代の責務だとは重々感じています。
 高校の頃不登校のまっただ中にあった長男を連れて、妻共々、以前の事務所にお邪魔したこともありました。難波一夫先生の大らかな受容を励みに、「愛して、信じて、待つ」という、単純だけれどとても難しい「呪文」を一心に唱えた日々でした。
時機を同じくして勤務した夜間定時制高校(倉敷市立精思)での経験も、私のキャパシティを少し広げてくれたかも知れません。「あかね色の空を見たよ」の映画制作・上映運動は、その頃のことでした。定時制高校の生徒達は、山田洋次の映画「学校」はわがことだと言い、「あかね色」で描かれる烏城高校も、精思そのものと感じているようでした。「理想の学校」は「ただいま、と言って登校できる学校かな?」と言ってのける生徒達も、深刻な不登校の経験者でした。3K(強制、強迫、競争)がなくて居場所があるから、夜間定時制高校が好き、という声もよく聞きました。自分が自分のままでいていいのだという「自己肯定感」が、家庭でも学校でも社会でも、当たり前に育っているならば、不登校をはじめ、子どもたちの周りに起こっている困難の過半は解消するだろうにと、痛切に思ったことでした。
しかし、そんな「非能率」な学校のあり方は許されないらしく、定時制高校にも管理と競争が押し寄せているのが今日の状況であるようです。「人格形成」ではなく「人材育成」にシフトした国・県の教育政策が、背後にはありそうです。困ったものです。(「 ネットワーク通信」No.102 2018年6月22日付より)
 かつて、相談ネットワーク創設当時は、相談の電話が鳴り止むことがないほどだったと聞きますが、今日では、年々相談件数の減少傾向が続いています。相談先が他にほとんど存在しなかった時代と較べて、不登校などへの社会的認知も広がり、スクールカウンセラーの配置など学校や相談機関の対応が進んできたことが反映しているのでしょうか。
しかし、子どもたちの育ちづらさは、依然深刻です。排他競争と格差拡大の道を際限なく突き進む新自由主義の政治が、社会全体の息苦しさやストレスをつのらせ、加えてコロナ禍の影響も相まって、子ども・青少年ばかりでなく、成人の孤立・ひきこもりも深刻になっています。こうした現代的な問題・課題にも即応できるよう、相談員一同さらに研鑽を深め、今後とも、「なんでも相談ネットワーク」の名にふさわしい多彩な相談活動を、進めていきたいと思います。ご期待下さい。 やまもと かずひろ


韓流ドラマから見る 「子どもの権利条約」    相談員 花田 千春

コロナがきっかけで韓流ドラマを見始めたら、おもしろくてはまってしまった。先日、「私たちのバラード」という済州島の小さな漁港の人間模様を描いたドラマを見た。美しい海の風景、海女の潜水シーン、市場での労働の様子とともに人間の愛憎が描かれて見ごたえがあった。その中ででてきた、韓国の「学生人権条例」というものに注目した。島の高校生の男女が恋愛し女生徒は妊娠する。二人は、悩んだ末に子どもを産んで勉強も続けようと決める。封建的な風土の港町で濃い人間関係の中、親同士の葛藤や摩擦もあるが、それらを乗り越えて出産し学校も続けることになるのだが、その選択を支えたもののひとつが「学生人権条例」の存在だった。生徒会長で学年トップの成績の主人公はソウル大学への進学をめざしており、その希望は捨てたくないという。妊娠を知り転校をすすめる学校に「『学生人権条例』に『学生は妊娠出産による処罰を受けない』とあるのでやめる理由はない」というと、学校側も認めるのだ。二人をからかっていた級友たちが「クラスアンケートしたら9割が出産して学校を続けるのに賛成だよ。ファイト!」と励ますシーンもでてくる。出産に強く反対をしていたそれぞれの親たちもついに認めることとなる。
韓国の「学生人権条例」は、野党政権の時代、2010年にソウルの隣の京畿道で初めて採択実施され、その後、光州市などにもひろがって2012年にはソウル特別市で条例ができ公布されている。条例には、児童生徒に対する体罰の全面禁止・頭髪服装の自由・校内での集会開催の許容・持ち物検査や没収の禁止などの内容が具体的に学生の権利として条例になっている。はじめは、政府与党や保護者・教員からの反対の声もあったようだ。
世界で大人気のアイドルグループBTS(防弾少年団)が黒人人権運動に寄付したり、アジア系住民のヘイトクライム反対の声明を出したりして、国連で発言しているのをみても、韓国の学生たちの人権意識を育んでいるものの一つにこの「学生人権条例」があるのではないかと思われる。「学生人権条例」によって人権を自分のこととして考える世代が育っているのではないだろうか。BTS(防弾少年団)という名前も「若者たちに向けられる社会的偏見や抑圧を防ぎ自分たちの音楽を守る」という意味の名前だそうだ。
翻って、日本はどうか。日本では「子どもの権利条約」が、なかなか学校の中に入っていかない。今もなお「ブラック校則」が幅を利かしている現状がある。男女平等を示すジェンダーギャップ指数も下がり続け、与党政権が「統一教会」のいうままに、選択的夫婦別姓制度を阻み、家庭にまで介入する条例までも制定させている。人権意識を育む行政の制度改革がなにより求められているように思う。子どもを一人の人権の存在として尊重し育むことから、人権意識が育つ。自分の権利を自覚することから、自分のことを自分の人生の主人公として愛し認めることができる。大人から見れば、なまいきだと思われる子ども・若者たちが、歴史を作ってきたのだ。子ども・若者を信じて「子どもの権利条約」を活かした学校・社会に変わっていかないと未来は拓けないのではないだろうか。 はなだ ちはる

お知らせ、お詫び、もろもろ・・・秋山 正美


「ネットワーク通信」119号で立石憲利さんの「岡山のことわざカルタ」を紹介したところ、立石さんからお便りをいただきました。元気でご活躍されていらっしゃるご様子でした。今年、立石さんは、迷信ならぬ「迷言い伝え」についての本を出されるとのこと。(書名については未確認です)楽しみですね。
 また、立石さんの紹介で「民族学会」と書いてしまいましたが、読者の方から「民俗学」だとご指摘を受けました。ありがたいことです。お詫びして訂正いたします。
 また、「あのカルタは今でも買えるのですか?」という問い合わせもありました。こんなに反響があるなんて書いた本人がびっくりしています。秋の夕焼けを見て、ことわざカルタのことを思い出して、言葉の持つ力を感じたり楽しんだりしてください。
    
今年も残念ですが、コロナ禍でネットワーク総会・教育講演会を中止しました。会員の皆様には、文章での報告になりますが、ご了承ください。
 なお次ページより総会資料を掲載しております。   あきやま まさみ


これまで これから





                      

忘れ残しのあれこれ⑭           
     ~懐かしいニックネーム~       相談員  難波 一夫

 あるスーパーの店先で「おおなんばせんせえ、おおなんばせんせえ」と大きな声をかけてくる若者がいた。名前はわからなかったが、何となく親しみを感じて手を振った。
「誰だったかな、いつ頃の生徒だったかな」
現役の頃のことを思い出されるときになった。
そういえば、「難波」の姓の教師が3人いた。
生徒は見分けやすく、分かりやすく、身体の大きさで区別した。一番太い、そして大きいのが。大(おお)なんば、つづいて 中なんば、そして小なんば  と区別していたようである。大難波は私のことであった。
ところで、先生のニックネームは、子どもたちの仇討ちにもあたるものだ。試験の点数など眺めながら、×印をつけられて、合点がいかないようなときには「なんでこうなんだ、ガマめ!」とか、自己採点しながら先生にあだ名が聞こえないように呟くのである。
「大難波」の由来は、小学校の時からある。
戦時中、厳しい食糧事情のなかで、親の懸命の努力もあって健康優良児と褒められてきただけによく食べ、よく遊んで大きくなった。
外見はよく太って見えたから「ブタ」「ナンバのブタ」を略して「なんぶう」と言われるようになった。そういわれても、別に腹もたたず、勉強ができれば何と言われてもよいと思っていた。だから親の転勤で、岡山市に変わってきても、自分からニックネームとして、自己紹介のときに挨拶の中に入れるのが自然のように思えるようになっていた。
ところが、中学に入ると、途端に「なんぶう」が消えていった。それは、「なんば」という偉い先生がおられ、その先生の息子だという噂が立ったからである。
なんそう なんそう と威張るな なんそう なんそう 足守の半鐘泥棒
背の高さを言い当てて見事ではないか。
このなんそう先生の息子ではないか の噂のなかで、なんぶうが消え「ナンソウ」に変わっていったのである。
学生のころは「なんぶう」、「なんそう」、先生になってからは、大、中、小で仕分けられたのである。
ふと、自分が中学生だったころの懐かしい先生方のニックネームを思い出してみた。
サンコウ(数学担任)ゴンボ(英語) ゲンゲン(国語)ガマ(地理)カッパ(数学)
ロング(数学) ダイナ(数学)オニ(英語) エチ(歴史)ナポ(国語) キンゴロウ(国語)マンモス(柔道) ゴウクツ(生物) ヤンチョ(漢文) ナンソウ(国語)
まだまだ登場する。   なんば かずお

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