講演概要】
大学院生で結婚・出産されたご自身の体験が、研究の出発点となったそうです。1970年代は、確かに、母性強調・三歳児神話(「3歳までは母の手で」という規範)の時代風潮、母親の責任が協調された時代でした。
それほどまでに強調される「母性」というものは、果たしてそれほど古い伝統に根ざしているのか、というとそうではなく、明治20年代(1880年代後半)以降、近代家族としての「家庭」「主婦」が誕生し、性別役割分担が強められるなかで、家庭になかんずく母親に子育ての責任が負わされる状況がつくられてきたのだそうです。(いえ、江戸時代には用いられていた「子育て」という語ではなく「育児」という高級そうな言葉が用いられたのでした)「母性」という用語については、大正期以降の産物のようです。
驚愕すべきは、「赤ん坊博覧会」の例。
上位入賞者の母親のコメントでは、共通して、「母の手一つ」で育てたことが強調されていたとか。
カテイ石鹸の広告も近代家庭と「推奨すべき」母親像を象徴しています。挿絵として用いられているのは、「ヴィジェールブラン夫人とその娘」..相似形の母子像が、母たちの「育児」「教育」への熱意をますます駆り立てたでしょう。
しかし一方で、近代家族の「育児」觀への批判の試みもあらわれます。野村芳兵衛は、農家の出身という体験を踏まえて、「男でも女でも父性と母性の二つの愛の表はれがある」、その両方が「子どもの良き成長」に深い意味を持つ、「(親が)最も自分らしく生きることによって最もその子どもらしく育てるように働きかけること」が大事だと説き、与謝野晶子は、商家の出身としての体験から、「男女協力」の子育てを提唱したそうです。
これは、江戸時代の民衆の子育ての思想を継承する試みでもあったといいます。
江戸時代も庶民には、出産から子育てまで、男女の協力が不可欠であったというのです。農業労働は「夫婦かけ向かいによる協働で行われました。
子育ての責任が、家庭だけ、母親だけに負わされるようになったのは近代以降のことであって、江戸時代には社会全体による子育てが当たり前であったようです。岡山は「捨て子の先進県」だそうで、やむを得ず子供を育てられない時は、「捨て子」という形で「世間」に子どものいのちを委ねたのだそうです。
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おや、社会が子どものいのちをつないできたなかに今があるーーー噛みしめたい言葉でした。
佐藤さんのギターと歌。
総会では、「これまで」と「これから」について田中博さんが報告、拍手で承認されました。