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「ネットワーク通信」新着記事

【特集】元相談員、高田智長さん、志賀兼充さんを悼む(「ネットワーク通信」NO.113より

高田先生ありがとう
やすらかに  おねむりください
衣笠 祥子

高田先生は、1996年から2014年まで18年間相談活動を続けられました。ネットワーク通信NO.86(2014・9・26)号に『ネットワークと共に歩んで』と題して相談員を退く文章を書かれた一部を引用します。
「一年目はネットワークの一員として、学ぶことの多い日々でした。これはと思う本を読むのはもちろん、定例学習会での先輩方の議論に啓発されまなびながらの活動でした。多くの印象深い思い出の中でも《愛の泉賞》受賞や、《映画・稲の旋律》上映運動は感動の体験」だったと書かれています。また、「大切な相談員の仲間との学習会、花見、安い温泉付きの旅行などとても楽しく充実感を味わいました」
 ところが、退かれる数年前、心筋梗塞を発症され、手術は成功したのですが、スタミナの低下が激しく遠方からの参加は難しくなられました。「難波先生より若いのに・・・」と悔やんでおられました。
 また、最大の趣味が合唱で学生時代から続けられており、相談日に岡山に来た時は、終わってから嬉しそうにいそいそと練習に行かれていました。お元気でお過ごしのことと思っていた矢先、訃報が届きました。
私は高田先生からとてつもない贈り物をいただいています。「衣笠さん、この小説はおもしろいよ」とお借りしたのが、佐伯泰英の文庫時代小説です。《居眠り磐音江戸双紙》《鎌倉河岸捕物控》などなど・・・この精力的な作者は常時六~七シリーズを書いています。新刊が出る度に貸してもらいました。ついには私も発売と同時に購入しました。以来、佐伯以外の作者も愛読し、時代小説の大ファンになったのです。高田先生も読まれているかなあと思いながら読みます。語り合いたいなあ・・・と思いながらついにかないませんでした。
 相談員にとって昼食は楽しみのひとつです。高田先生のお気に入りは、城下の中華料理店の定食でした。生ビールがついているからです。先生が何かを提案されるときのはにかんだような優しいお顔を思い出します。
 ご冥福をお祈りします。       
    

高田智長さんを悼む
難波 一夫 


 あ  高田智長さん
名実ともに 古武士のような風格のある方でした。合唱団の活動も多忙であったのに 謙虚に相談の電話に応じられていました。バリトンの声量が部屋中を圧倒していました。
 ねん(記念)の集いにはリーダーシップを発揮しされ 見事なハーモニーを醸成されたものです。
 ある時期 体調を崩されたことがありましたが 元気を快復されたと思って あまり心配しませんでしたが・・・
 んねんの。極みです
 るしいときもあったでしょうに いつも笑顔で愛読の本を紹介され
聞いた人がその気になってしまう本読みの魅力の持ち主でした。
 くな通勤距離ではなかったのに よくぞ通ってくれました。あらためて感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。あなたとあきざくら(コスモス)を歌いたかったのに・・・
  

志賀先生 やすらかにおやすみください
正保 宏文

  志賀先生の逝去を知ったのは、10月23日の「原発はいらない、倉敷金曜アクション」の宣伝行動においてであった。 
 ある時は、数字に遊び、またある時には奄美大島の満天の星に酔い、仙人の風貌でひたすら平和を求め続けた志賀先生。どこまでも、子どもたちの健やかな成長を願い、教育活動に専心した。年金者組合の倉敷支部長として、子育て・教育なんでも相談ネットワークの投稿者としてなくてはならない人であった。倉敷金曜アクションではマイクを握って、正義の熱弁をふるった。
 あまりにも早いお別れに、私たちは涙を流すまい。先生の残された足跡に学びながら、未来に生きる子どもたちのために、平和で豊かな社会を創造していきたいと思う。
 志賀先生は、文字通り星となってしまった。いつまでも私たちを空の上から見守ってください。そして、やすらかにおやすみください。
       


せっかちな先生、こんなに急がなくても・・・
秋山 正美

 志賀先生の訃報に接し、あまりにも早い旅立ちに悲しみでいっぱいです。せっかちな先生、こんなに急がなくても・・・と言いたいです。
 志賀先生は、私がネットワーク通信を担当してからのお付き合いでした。志賀先生の、子どもたちを愛してやまない、だれも取り残さない信念の教育実践を、送られてくる原稿からいつも感じていました。
 廊下でツッパリの生徒と一緒に座っている姿、授業の様子、家庭訪問をした時の様子、などなど。目に浮かぶようでした。飾り気のない福山弁丸出しの喋りかたは、子どもたち、保護者、私たちにも親近感を与えてくれました。
 また、現在の教育の現状にも、批判と同時にはっきりとした指針を私たちに指し示してくださっていました。ありがとうございました。
 ネットワーク通信への寄稿は、早め早めで、通信担当としては大助かりでした。
 奥様にも、今までにいただいている先生の原稿は引き続き掲載させていただくことを快諾いただきました。会員の皆様にも引き続き読んでいただければと思います。志賀先生を思い出しながら。
             

 

志賀先生に捧ぐ
難波 一夫

裏を見せ 表を見せて 散る紅葉           良 寛

 校庭にある幾本かの色づいた紅葉(もみじ)は、キラキラと輝いて光ったり、急に陰ったりして、やがて風に乗ってヒラヒラと散っていっています。
 それを見つめていた子どもたちに紅葉は問いかけました。
「学校は楽しいかい?どうだい?」
子どもたちはゆっくり考えながら答えを探します。
「ぼくらの学校のぼくらのクラスはお もしろくて楽しいところだよ。何で も教えてくれるし、先生が親切だよ」
「それはよかったな」
「一番いいところは、先生が夢を育て てくれるところ。それにみんなが勇 気づけられ、元気をもらえるところ。 それに、宝物がある。」
「宝物?」
「そう宝物。それは、・・・・秘密」
紅葉が一片(ひとひら)、二片と舞い落ちてきました。紅葉が言います。
「楽しく学校に通い、安心して未来の 幸せをつかむための学力を身につけ なさいよ みんなと一緒にな」
「そして、いいか。先生と一緒に未来 に向かってのしっかりとした見通し と励ましを自分のものにしたとき、 そしてまた先生と一緒に一人一人が 力を合わせ、大きな学習の目的を果 たしたとき、そんなときには、きっ と、みんなの中にすごい力があると いうことがみんなで確認できるのだ」。
 紅葉がさらに言います。
「それがみんなの未来を切り開いてい く力なのだよ。そんな力を作ってい くためのみんなの努力と奮闘に熱烈 な拍手を送ってあげたい、がんばれ よ」と。
 紅葉は赤々と燃えるように最後の一葉を散らしました。

  

《注》 ネットワーク通信NO.86(2014・9・26)号に掲載された高田さんの文章全文を再掲します。
相談ネットワークの会員・賛助会員の皆様、今総会を機に相談員を退かせていただくことになりました。
一九九六年三月、定年まで一年残して退職を決めた私は、かねがね何かとお世話になっていた玉島TEL教育研究所の田中和裕・允子夫妻のもとを訪ね、いろいろアドバイスをいただく中で、退職後の歩む道を具体化していきました。
一つは、「言葉を育てる会」の事務局を手伝うこと、今ひとつは「教育相談」のしごと。それと、これは私の最大の趣味、学生時代から関わってきた「合唱活動」に本格的に取り組むことです。
今まで続いた相談ネットワークのしごとは、田中夫妻に連れられて、内山下時代の事務所に顔を出し、カウンセリング修行の道に踏み出す決意を固めた時から始まったわけです。
九六年夏の総会で、今は故人となられた立石さんとともに相談員の仲間に加えていただき、以来学びと反省を繰り返しながら、十八年間過ごして参りました。「ネットワーク通信NO・28」に若かった私はこんな駄文を寄せています。
「相談ネットワークの一員に加えていただいて一年余、本当に学ぶことの多い日々を過ごしてきました。これはと思われる本を読もちろんのことですが、それにも増して、定例学習会等での先輩方の議論には、大いに啓発されます。とりわけ、私の担当日に電話相談や面接をされている難波先生の姿に直に接していると、遠い昔に経験した教育実習の頃を思い出してしまいます。とにかくまねびながらの一年余りでした。これからもですが・・・。」
 文中に出てくる大先輩の難波先生は今後ともネットワークの大看板としてなさろうかというのに、若輩の私が引退とは申し訳ないことですが・・・。言い訳を言わせてもらうと、実は四年前に患った心筋梗塞で、手術は成功し無事生還できた(酒も飲めるし、好きな歌も朗々と歌えるし、全く普通の生活が可能になった)のですが、如何せんスタミナの低下が著しく、スタッフの皆さんといろいろ活動する際に自らをもどかしく感じることが多く、思い切って退く決断をした次第です。幸い、ここにきて、アイディアと行動力を兼ね備えた若手が立て続けにネットワークの仲間に加わってくれています。私としては、後顧の憂いなく、身を退くことができます。
 さて、十八年の間には、数多くの電話相談と時には面接相談も経験しました。今でも、強く印象に残るものを紙面の関係で、一件だけ紹介します。実直そのものの両親と優秀な兄をもつ、ほんの少し知的な遅れのある弟の進路をめぐる事例です。
「両親は知的に劣る弟息子を決して見放すことなく、家庭教師をつけて懸命に励まし続けた結果、調理師学校に入れ、なんとか卒業させるところまでこぎつけた。しかし、料理店に就職しても、うまく仕事をこなしていけず辞めてしまった。この先どうしたものか」という相談が知人から私宛に回されてきました。
とりあえず、本人・両親と会って話し合い、ネットワーク関連の授産施設に相談に伺うことになりました。結果的には幸いにも受け入れてもらえたのですが、その際、面接された所長の厳しい言葉には、正直驚かされました。所長の本人に対する質問に、すぐ父親が代わって答えようとするのを、ピシャリと制して曰く、「貴方は黙って。本人に喋らせなさい.息子さんは確かにお預かりします。責任を持ってお育てします、が以後はできるだけ口出し無用に願います。それをお約束できないなら、今すぐ連れてお帰りください。」「あなたは、息子さんの自立を信じて待つことができますか。」
その後、文字通り、紆余曲折を経て、彼は何とか独り立ちの日々を過ごせるようになったとのことでした。何度か彼には会って話すこともありましたが、落ち着いた雰囲気で、時に笑顔も見せながら話してくれました。『愛して信じて待つ』という言葉の意味と大切さを、そして、それを実践する難しさを、私なりに心に刻み込んだ出来事でもありました。
相談員としての生活は、たくさんの喜びと、ときに深い悲しみを味わうものでした。
「創立一〇周年記念難波一夫著『心に包帯をまいて』出版記念会」に参加してくださった皆さんからの熱いお祝いや励ましの言葉の数々、響き渡る美しい歌声、まさに「熱気と感動の三時間」でした。
「『愛の泉賞』受賞記念祝賀会」。ネットワークの旅行や学習会に参加してくださった岡大の先生のユニークなお祝いメッセージが心に残っています。『初めて聞く賞だけれど、文化勲章よりりっぱなことは確かでしょうネ。』「通信復刻版ⅠⅡの刊行。創立二十周年記念「旭爪あかね講演会」自分の足で歩き始めようとする「稲の旋律」の主人公と旭爪あかねさんを重ね合わせて聞き入りました。深く心に染み入る講演でした。また、内輪のことになりますが学習会・花見・安くて温泉月の旅行等々、ほんとうに楽しく充実感を味わったものでした。
一方で、大切な仲間ー直接の交流があった方だけでも内藤・南雲・有森・守安・立石・奧田の各先生方ーを喪ったことは皆さんまだまだ若かっただけに、残念でなりません。
ところで、今の世、欠陥選挙制度のご利益で虚構の多数を占めた勢力が、国民の声を聞く耳をもたぬとばかりに、矢継ぎ早に打ち出す悪政の数々に、国民の生活が危機的な状況に追い込まれようとしています。子どもの健やかな成長どころかこの私が「国民学校三年生の夏まで体験したあの『忠君愛国』の教育が復活される恐れ無しとも言い切れないような状況です。ここ岡山でも、およそ教育的営みとは言い難い「ニンジン作戦」が提示され、論議を呼んでいます。このような状況の下、岡山県教育文化センターが核となって教育行政への働きかけ、またセンターの一翼を担う相談活動はますますその価値を高めていくことでしょう。会員・賛助会員の皆様の一層のご支援を心からお願いいたします。(たかたともなが)

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