「ネットワーク通信」連載記事あ・ら・か・る・と
新シリーズ 算数の力で生命・へいわ・くらしを考える
高卒認定フジゼミ講師 志賀兼允
「ネットワーク通信」では、故志賀兼允さんが新連載を開始されたばかりの新シリーズを、生前原稿を頂いている限り掲載させて頂いていますので、順次ご紹介します。
なんで勉強するん?に応えて一その1一
「数をー兆円知るという事は人々の幸い多きくらしを目指す今の生活を見つめ未来を予測する事である」
小学校では、大きすぎる桁の処理に戸惑いながら「なんでこんな見たこともない大きな数字を勉強せんといけんのん?」と、この段階でおちこぼれていく生徒もいます。一兆円というような単位は、国の予算でしか見慣れない数。日常のくらしからかけ離れた単位をなぜこの時期に学ぶのか?私によく理解できません。むしろ、数による創造的想像力、すなわち「イメージ」する力を育むべきではないでしょうか。
一兆円という触ったこともなければ、見た事もないような大きな数を、みなさんとイメージしてみましょう。
まず、よく話題になるのが、憲法9条で「日本は二度と戦争しない」と誓ったはずの我が国の防衛費というより、戦争に備えた、もはや国防費と言ってもいいほどの内容を含んで毎年増額される予算額は、今や、5兆1903億円にも膨れ上がっていますが、こうした兆の単位はあまりに大きいものですから、我々のくらしからかけ離れたお金になってしまっています。この1兆円について小学校の算数の力でイメージしてみます。
我が国のお礼の厚さは、どれもほぼ0.1㎜ですので1万円札で100万円は100×0.1=10㎜、つまり1㎝になります。「へえ100万円って、たったの1センチかあ」と思いながらも、この100万札束さえ見た事も、持った事もない人のなんと多い事か!ですね。
つまり100万円は0が6つ並びますので0が12個並ぶ1兆円では1000000000000÷1000000=1000000。つまり100万札ということになります。1兆円のイメージでは、つまり100万束ということになります。1兆円のイメージでは1cmの高さで100万束ですから、1cm×1000000=1000000cm=10000m=10㎞になります。つまりエレベストを超えてしまいます。これはこれで、1兆円の大きさと離れていますので1兆円を、人知れずに我が家に隠す事にします。そこで、私の家の6畳一部屋にいくら入るか計算してみました。
1兆円を標準的な高さが2.4m(2400cm)の日本の6畳の間に入れることにしましょう。単位をすべてcmで計算してみますと、1万円札100枚の100万円札の厚さは1cm、お札の幅は、7、6cm×16cmなので、1兆円の体積は、1万円札では、7、6cm×16cm×1cm×1000000=121600000cm。
一方、6畳一間の体積は、畳1畳の大きさが91cmの大きさが91cm×182cm、高さ240cmですから畳6畳の体積は91×182×240×6=23849280cmになりました。そこで、一兆円を6畳一部屋で割って計算しますと121600000÷2384980÷5、09
なんと!天井いっぱいまで1万円札を6畳一部屋に隠そうとしても一部屋では足りません。少なくとも6畳のお部屋が5つは要るという事になります。つまり、我が家では一兆円を隠すほどのお部屋がないという事ですね。ちなみに、6畳のお部屋に隠すことのできる金額は2000億ということになりますね。
ところで、前述した日本の軍事費は5兆1903億円ですが、これらを閉じ込めるためのお部屋は、(皆さんでも計算してみてね)6畳のお部屋が26と3畳のお部屋が1つ必要になります。よほどの大邸宅でも、とても隠し切れませんね。
こんな大きな金を「戦争に備える」というのですから、馬鹿としか言いようがありませんね。
今、新型コロナ問題で人々が未来に対する不安と、暮らしの行方に悶々としているときに、これだけのお金があれば、人々に安心感を与えるに十分の備えができるではありませんか。又、1機116億円もするF35戦闘機を、147機アメリカさんに買わされそうですが、その費用は一兆7052億円だそうですが、これらのお金をしまうのに6畳のお部屋8つと、4畳半のお部屋1ついることになります。更に更に言えば、例のサンフランシスコと、グアム島の防衛のために買わされようとしたイメージスアショアーの代替として買い入れようとしているイージス艦は、2隻で、8328億円も使うそうです。6畳に入るお金はほぼ2000億円までなので、後は、みなさんで計算してみて下さいね。
要するに、何兆円なんて大きすぎるお金は、余りに大きいため、漠然としたことしかイメージできませんが、「計算の力」でイメージすると、その大きさを実感することができます。小学校の算数の力で、十分に私たちは暮らしを結び付けて考えることができます。計算が早いとか、ストップウォッチを使って速さを競うのではなく、計算の力で、身近な暮らしや社会のありようを創造的に広げる力のほうがはるかに一人一人の今と未来を考える力のほうがはるかに大切だと思うのですが、どうでしょうか?
一兆円については、他にいろんな計算をしながら、豊かなイメージを広げることができます。例えば、1万円札を広げた面積、重さ。更に1000円札にした重さ、高さ、面積。ある生徒は、1円、5円、10円、50円、100円玉などを使って重さをはかり、10トン積みトラックで何台いるかなど、色々と展開してくれました。なお蛇足ですが、かつて授業中に「一兆円以上稼ぐ人が、この国には4人以上いるが、そのうち、3人は2兆円以上持っているのだが、そこで君らに一日100万ずつ小遣いをやるとして、一体どれくらいの月日でなくなるだろうか?」と生徒に応えて、一日10万円で計算しました。すると(1000000000000÷100000÷365≒27400)2万7400年となりました。今から15000年前の人類は、みんな狩猟時代であったなどの歴史の話をして盛り上がる同時に、一兆円を軍事費と結びつけながら話し合ったことがありました。
《注》ホームページ掲載にあたり、ここまでの文章は、学習支援(WORD/エクセル入門)のために当ネットワークを利用しているTさんが、入力練習として数日にわたって協力してくれました。感謝します。
なんで勉強するん?に応えて -その2-
〇「日本の村に出かけてみて驚くことに、どこに行っても、実に小ぎれいでゴミ一つ見たことはありません。日本の人々は、自然の恵みを大地に返し、無駄なく処理します。秋に収穫された稲穂は『わらじやゴザや籠』などに使われ、残ったものは焼き尽くして、次の年の肥料として大地に返すのです。どこの家も身の回りの物を無駄にせず利用するものですから、清潔で、実にすっきりとさわやかな風景を描き出しています。日本人は、私達よりも静かで和かな雰囲気の中でのんびり暮らしています。日本の子ども達は甘やかされてもダメになりません。イギリスの子どものように、泣きわめいたりしません。日本では、いつも誰かが食べ物をあげたり、相手をしたり、揺すって寝かせてくれるので、子どもが泣きわめく必要がないというのは事実ですが、子ども自身、とてもおとなしいのです・・・・」(明治維新前後に日本にやってきた外国人の手記から)
〇しかし、今、その日本は、世界一食品ロス(食べられるのに捨てられる食品)の多い国となってしまっています。しかも、そもそも食料自給率が30%台に落ち込んでいるのに・・・その量は年間で612万トンに及んでいます。今回は、この612万トンについてイメージを広げてみたいと思います。まず、この膨大なゴミを10t積みのトラックで運ぶとなると61万2000台必要になります。平均的な10tトラックの長さは10mですから車間距離を取らずびっしり並べると、実に612万m、kmに直すと6120㎞になり日本列島の往復分になってしまいます。これらのトラックが高速道路を標準的に車間距離を100mとってゴミ収集場所に運ぶとなると、一台の占める距離は110mになりますので、その長さは673000㎞となり、地球ほぼ17周分となります。一般道路をギリギリ車間距離を10mで、ゆっくり運転しても、12240kmとなりほぼ地球の円周の三分の一です。これではあまりに実感できなければ、一日に換算してみると、ゴミの量はおよそ16767t、10t積みのトラック1676.7台、
隙間なく10t積みのトラックを並べると16767m、つまり、16.7㎞、高速道路で運ぶとなると1844㎞、ゆっくりと一般道路を車間距離10mで運んでも、33.5㎞。
〇世界に目を移すと、年間13億トンのうち、食品ロスは三分の一だそうなので、ざっと4億3千万トンになりますから、日本の食品ロスの71倍になりますので、後は、みなさん計算してみて下さい。
〇数を使って一人一人のくらしや日本や世界の在り方を見るという事はとても重要です。 〇「あなたがお茶を飲み、空を見上げ、隣町へと移動している間に、森林が消失し、氷河が崩れ落ち、大量の資源が消費されている。この世界のあらゆるものは留まることなく変化している。その巨大な変化を1秒で見る。1秒とはマバタキ一回、まさに一瞬。私達にとって望ましい変化も、望ましくない変化もある。ミミズが食べる土の量、飢えで亡くなる人の数、砂漠が拡大する速さ、全ての数、全ての変化が、今、この瞬間のあなたへとつながっている。」
〇1秒間に地表の平均温度が0.00000000167℃上昇し、 ☞1秒間にグリーランドの氷河が1620㎥溶け、 ☞1秒間に140万人が一日に必要とされる710万トンの酸素が減少し、
☞1秒間に大型トラック63台分、252tの化石燃料が使用されています。 〇最後の化石燃料について詳しく言いますと、石炭や石油などの化石燃料は「太古の太陽エネルギーの缶詰」と言われ、石炭は古生代(5億7500万年~2億4700万年前)に、石油は恐竜君が活躍した中生代(2億4700万年~6500万年前)に地中に埋まった生物資源が、なが~い、なが~い年月をかけて変化したものですが、このまま世界が今のペースで石油を使い続けると、あと50年以内に埋蔵量を使いつくすことになると警告されています。
〇数による創造力。学ぶというのは「できる」「できない」ではなく、「できる力で何を考え、考えた事でどう行動していくか」であると思います。その意味で言えば「義務教育学校」で学んだ内容で十分世界の今と未来を見つめ、考え、行動を起こす事ができると思うのですが、どうでしょうか?!
次回は、地球の歴史から命のリレーを2~3回に分けて考えてみたいと思います。
なんで勉強するん?に応えて-その3-
今、ここに命が在るという事の奇跡①
毎年、夏休み期間をはさんで泊を伴った小学校の、いわゆる「野外学習」の一環として実施される天体観測に呼ばれる事があります。しかし残念な事に日本の空の晴天率は低く10回のうち輝く空の星に出会うのは2、3回ほどなので、いつも屋内での話の準備をして臨むことにしています。
屋内では、私は人間と他の動物との違は「創造的想像力」という話をした後、いつも子どもらに「太陽と地球は、どっちが動いているの?」と問いかける事から始めます。「何でそんなバカみたいな事を聞くのか?」といった風な顔をして、みんな一斉に「地球が動いている!」と大きな声で答えてくれます。
「すごいなあ、みんな地球が動いている事を知っているんだ!じゃあ、太陽と地球はどちらが動いているように見える?」と聞き返すと、思いがけない問いに出会ったような顔をして、一瞬の沈黙の後「太陽が動いているように見えます」と答えてくれます。そこで私は「もう70年以上もこの世に生きておるけど、今まで一度も地球が太陽の周りを回っていると感じたことはないよ。何年生きていても、やっぱり太陽が動いているようにしか見えないんだ。しかし、実際は太陽はじっと動かずにいて、地球が回っているんだね。人間ってすごいじゃろう、だって、どう見たって、太陽が動いているようにしか思えないのに、本当は地球が太陽の周りを動いて回っている、という事に気づいたんだから、人間の創造力ってすごいじゃろう!私のおばあちゃんは、昔の高等女学校を出ていたけど、亡くなるまで、太陽が動いていて、とんぼは鳥だと思っていたんだよ。だから、昔の人が、地球はじっとしていて、太陽が動いていると考えていた事を馬鹿にしてはいけないね。実は地球が廻っていると訴えた学者は、『神を冒涜するものだ』と言って牢屋に入れられたりして社会から相手にされなかったんだ・・・。
さて、じゃあ次に動いている地球だけど、一体どれくらいの速さで動いているのだろうか、一秒間に動く速さを、次の4択で手を挙げて答えて下さい。①5cm②5m③50m④500m。じゃあいくよ、①番だと思う人・・・④番だと思う人、と問いかけながら手を挙げてもらう。みんな考えたこともないので、戸惑いながらも、①、②あたりで手を挙げる生徒が圧倒的に多いけど、まれに、笑いながら、③のような気がすると手を挙げる仲間もいる。すると、「50m言うたら、50m走るのに10秒もかかるんよ!」と反撃気味に言い出す仲間も出てくる。そんなこんなで、とにかく、電卓で計算することにした。
地球一周は、正確に40000kmです。(単位mはどのように決まったのかは、機会を見て詳しく話しますが、1mは地球の円周の四分の1を1万㎞と定めました)1kmは1000mなのでmに直すと、40000000mなので、電卓で400万mをうってみよう。それでは、まず24時間で回っているので、÷のボタンを押して、次に24を打ってみよう、変な数字がいっぱい出てくるけど、気にせずに、次に1時間は3600秒なので、÷3600を打ってみよう。さて、どんな結果になりましたか?」すると大きな声で「462.96294・・・」と答えてきました。ところで、この数字の単位はなんだった?「メートルです」「そうですね、なんと私たちが住むこの地球は、1秒間にざっと463mも動いているのです。君らの学校のグランド一週は何メートルぐらい?」と聞くと、引率の先生が「だいたい一周100mです」と応えてくれたので「という事は、この地球は、たった1秒間で、グランド4周分ぐらいの速さで動いているのということになるね」だんだん実感がわいてきたのか、ほとんどの生徒が、目を白黒させながら、自分たちが住む地球の回転の速さに、信じられない眼差しを私の方に向けながら、驚きを表した。更に「でも、君たちは、そんなすごいスピードで動く速さを、感じたことあるかい?」と聞くと、「全然感じない」「じっとしているように感じる」「朝は太陽が起きてきて地球の上にやってきて、夜になると、太陽が家に帰って行くから、夜になるように見えるけど、一秒間に463mも動いているなんて、話を聞いても感じることができない」などと、だんだん声に出して、説明に絡んできた。
「君たちは、小学校5年生。学校の算数の時間に、足し算、引き算、掛け算、割り算などを勉強してきたけど、実は、地球のスピードは、小学校の計算の力で計ることができたね。計算の勉強って、決して人と競い合って速くできる事が目的じゃなくって、学んだ計算の力で、目に見えないものや、感じることのできない未知の世界を実感できる創造力を伝えてくれるものなんだ。だから、学校で、計算のお勉強をするんだね!」
と言いながら「ところで、1秒間に463mものスピードで動いている地球なんだけど、なんで、そんなに早く動いているの、私らは、感じることができないんだろうね」次の問いかけをしてみた。みんな「そりゃあそうだな」といった顔をして、「なんでなん?」と聞いてきた。そこで、私は、机の上に、地球儀を持ち出して、最前列にいた一人の生徒に声をかけ、前に登場してもらった。 つづく
なんで勉強するん?に応えて-その4-
今、ここに命が在るという事の奇跡②
「地球は1秒間で463mというすさまじい速さで動いているのに、なんで止まっているように思うのだろうか」という事で、地球の5000万分の1の地球儀を机の上に置き、ひとりの生徒に登場してもらった。そして、生徒に次のように指示してみた。「地球は一日24時間で回っているね。それでは、この地球儀を、実際と同じ24時間かけて回してみて下さい」と。すると生徒は地球儀を持って回そうとしたけど、地球儀をどんなにゆっくり回そうとしても、1分もかからない内に一回りしてしまう。実際の所、地球儀を1時間かけて回すこともイヤになってしまうほど、ほとんど動かない、知覚に感ずることのできないほどの動きになってしまう。まるで罰ゲームのようである。「台風の風速が60mでも、電柱が倒れたり、木造家屋が倒れたりするのだから、もしも、地球が急停車したら、風速60mのほぼ7倍、圧力は7×7だから、我々らの住む地球上の建物はもとより人間まですべて吹き飛ばされることになるね。地球は余りに大きいので、丸いのに水平線上にあるように見えたり、動いているのに、まるで止まって、あたかも太陽が廻っているかのように見えたりで・・・とてつもなく大きな世界を感ずること事は難しいけど、計算の力で、君らは、本当の地球の姿の一端を知ることができたね」。時間があれば、太陽の周りを廻る速さを調べたり(①太陽と地球の距離は1,5000,0000kmなので、電卓で150000000を打ち②次に直径と円周率をかけて円周の長さを出して電卓で×2と×3.14を計算し③地球が一年間で動く距離を出し、365日に割って、更に24で時速が、÷60で分速が、最後に÷60で秒速が出ます。その答えは29.870・・・」つまり、地球は太陽の周りを実に一秒間で、ほとんど30kmの速さで動いていることが分かります。私の家から、この天体観測場まで高速道路を使って60kmの距離を1時間ちょっとでやってきますが、太陽の周りを回る地球のスピードに乗っかると、あっというまの2秒間で着くことになりますといって、大きく目の前でジャンプして見せて、「今ジャンプして降りた瞬間、私は、自分の家からここについたことになる。地球って、すごいスピードで太陽の周りを回っていることになるね」もはや、子どもらは、未知の世界に導かれたような顔をしながら、話に聞き言ってくれている。よく見ると、引率の先生方までが、メモを取り出してくれている。そんなこんなで、計算の力を使って様々な私たちの住む地球、太陽系、更には宇宙の話を展開する中で、子どもらは、楽しそうに数の世界にのめりこんでくれます。
ちなみに、太陽系は銀河系を時速420万㎞(20回~25回周回)秒速1167㎞、宇宙空間の「うみへび座」に向かって秒速600㎞で遠ざかっています。つまりたった2秒間で日本列島を突き抜けてしまう。更に、光速は(一秒間で)30万㎞といいますが、地球上で一番早いスペースシャトルは、なんと90分間で地球を一回りしますが、そのスペースシャトルに乗って、地球に最も近いケンタウルスαまで行くのに何年かかるかと言うと、光はほとんど秒速30万㎞です(一秒で地球7周り半)ので、計算してやると、なんとスペースシャトルの4万倍の速さという事になります(みなさんで、計算してみてね)という事で、最も近い星までは、4.3×4万ですので、17.2万年もかかります。この宇宙のどこかには、確かに生命を育んでいる惑星はいるかもしれませんが、宇宙人が攻めてくるなんぞという話は、およそ非科学的な空言である事に気づきますね。
他にも、計算の力を使って、様々な創造力を図る事ができますが、一方で数の力で人々を陥れるために謀(はか)られることもできますので、ご用心!それはともかく、私は、展開観測日に星が見られなく室内でお話しする締めくくりに、「なんで、勉強するの?と問いかけながら、たとえば算数の計算の力で、自分たちの『今、ここに在る事の不思議と』『見えない世界や、見えているけど感ずることのできない世界』などを調べて知ることができますね。だから、単に計算が早くできる事を仲間と競ったり、人より早く進んだ勉強をするためにあるのではなく、みんなで、計算の力を使って、創造的な、つまりイメージを広げていくためにあるのです。だから、学校でも「算数嫌だ!」などと言わずに、ボチボチわかろうとして先生のお話を聞こうね!これは算数だけでなく、国語や、社会、理科などすべての授業が、君たちの創造力を広げるために先生たちは君たちの前に立って教えられているんだよ」と、引率の先生を励ますつもりで締めくくる事にしています(笑)
昨年の10月にお亡くなりになった志賀兼允先生が、事前にネットワー
クに送ってくれていた原稿を、掲載させていただきましたが、この号で最
後になりました。この原稿の最後には「つづく」と書かれていました。
この後、どんなメッセージが届いたのでしょうか。子どもたちへの温か
いまなざしが随所に表れ、わたしたちもどんなに勇気をいただいたことか。
本当に残念です。長い間、ありがとうございました。秋山
|