本文へスキップ

相談活動30年の信頼!ひとりで悩まず、まずは相談してみましょう。子育て・教育なんでも相談ネットワーク

電話でのお問い合わせはTEL.086-226-0110

〒700-0822 岡山市北区表町1-4-64 上之町ビル3F

ネットワーク通信バックナンバーREPORT

 No.111(抄)

目 次

☆ 忘れ残しのあれこれ ④ 難波 一夫

☆ モタモタしながら支えられ、今の私を責めないで、未来の私を励まして

☆ 生まれ育ち、学びながら育つということ⑧
学校風景 Ⅱ その9認定フジゼミ講師  志賀 兼允


☆ ヒダカの四季 パン職人 日 高 晃 作

☆ 発達障害について(その2)                 臨床心理士: 福田 求

☆ 楽しい「数楽」こぼれ話  数に親しみを抱くために 第1回   志賀 兼允 

☆ ステイホームのつれづれに               相談員 山本 和弘

<例>☆ 四季の花言葉  「やまぶき」

忘れ残しのあれこれ ④            
閑話休題    「 わたしの 子ども時代 」        元代表世話人  難波 一夫


今年は新学年を迎えても、「コロナ」の影響で、卒業式も入学式も形だけになりました。
子どもたちを心から「おめでとう、でも大変だよな、コロナに負けるなよ」とみんなで抱きしめてやりたい。
子どもがおとなになった時、イヤなことを忘れて、少しでも懐かしむことができたらと願うばかりです。
 ぼくも、四回も変わった小学校のこと・・・折角できた友だちとの別れ、そして新しい友だちができるまでの辛さ、さらに進度が違う勉強などなど・・・
 でも、いまでは懐かしい懐かしい思い出になりました。
あの頃
 駅前から東西の長い一本道に家並みがつづき、その東のはずれに我が家がありました。近くにお菓子屋さんと時計屋さんがありました。
 前にも紹介したことがあるように思いますが、小遣いに一銭もらうと、菓子屋さんへまっしぐら、口に入らないくらい大きな飴玉が二個買えるのです。ときには高価な甘納豆を一銭分チョウダイというと、三角に折った新聞紙に十粒ほど入れてくれるのです。それを大事に舐めるようにして食べました。余程気に入っていたのでしょう。
 その横の時計屋さんからは流行歌が聞こえてきました。
「ああそれなのに それなのに うちの女房にゃ髭がある」「パピプペ パピプペポ…」 # ♭
 節回しと歌詞の面白さにつられて、大声で歌っていたら、店の人にものすごく叱られました。
 入学して
 一九三六(昭和十一)年、母親に連れられて、レンゲの咲く田んぼ道を歩いていきました。
母親は、「どんな勉強をするのかなあ?担任の先生はどんな先生かな、男の先生かな、女の先生かな」・・・などと、期待をもたせるように話しかけてくるのですが、どうせまた転勤するだろうと思われて、何か投げやりな気分になってくるのです。
 担任の先生は、羽織袴の正装の女性で、同じ姓であったので、すごく親近感を覚え、何となくほっとしました。
この年の七月、太平洋戦争の導火線になった盧溝橋事件(満州事変)が突発しました。
転校 さようなら難波くん
 果たして、二年生の終業式のころ、父親の転勤が決まりました。
 クラスのみんなが「さようなら なんばくん」の文集を贈ってくれたのを引っ越しの車の中で読みながら、泣けて泣けてたまりませんでした。この時ほど父親の仕事を恨んだことはありません。
 大切にしていた文集は、新しい学校になじめない淋しい時や、一人ぼっちのとき、読み直しては慰められたり、悲しくなったりもしたものです。
 いつまでも大切にしていたこの宝物も、岡山空襲のときに焼けてしまいました。
二回目の転校    労研パンの味
 三年生の二学期が終わったころ、また転校することになりました。同級生のことはほとんど覚えていません。覚えているのは、学校の前の店屋で、はじめて「労研パン」という黒豆の入った蒸しパンを食べたことです。弁当を持ってきていない同級生がおいしそうに食べているのを見て、無理を言って弁当をぬいてもらいました。ほんのりとした甘みとふんわりとしたやわらかさがたまらなく、美味しく感じました。後に、このパンは大原労働研究所が労働者のために研究して作られたものだと知りました。
三回目の転校 
 相も変わらず一人ぼっちの転校生は、学校の掲示板の前に佇んでいました。
 先生はカーキ色(国防色と言いました)、帽子は軍人と同じ戦闘帽、女先生はモンペ姿でした。
 当時の流行歌は「愛国行進曲」「愛馬進軍歌」、「父よあなたは強かった」などでした。
「見よ  東海の空明けて・・」は愛国行進曲、「父よあなたは強かった」の作詞は「皇軍将士に感謝の歌」の懸賞募集(朝日新聞)で一等賞になったものだそうです。
 父よあなたは強かった
 兜も焦がす炎熱を
 敵のかばねとともに寝て
 泥水すすり草を噛み
 荒れた山河も幾千里 
 よくぞ撃ってくださった
 
 音楽(当時は唱歌)の時間のテストに、この歌で「元気があってよろしい」と褒められました。
 でも、本人は歌詞が怖くて仕方がなかったのです。
 敵兵の死骸の横で眠れるのだろうか、泥水をすすったりしたら病気になって死んでしまうのに・・・。
 先生が言われました。
「どんなことがあろうと、この戦争に勝たなければなりません。この歌詞も終わりまで歌うと、父、夫、兄弟、友だち、わが子がみんな戦死している。この尊い犠牲を乗り越えて、小国民よ奮起せよ」と。
柿の木から落ちて
 家の裏庭に古木の柿の木がありました。ものすごくうれしく大好きな柿がいっぱい生っているのを想像しながら、いつもニコニコ顔でした。
 待ちに待った秋がきて、たわわに熟れました。
 早朝、カラスがやってきて柿をつついている鳴き声が聞こえると、たまりかねて起きて追い払います。そして、どれとどれが熟れているか確かめておいて、母親にとっておいてもらうのですが、その日の放課後、家に帰っても母親がいませんでした。
「これ幸い、よじ登ってかぶりつけば、たらふく食べられる」と判断して、木に登りました。思う存分食べまくりました。
「予は満足じゃ」次の瞬間、枝が折れて、地べたに叩きつけられました。腰から胸のあたりを強く打って息ができなくなりました。
「どうしよう、家にはだれもいないし・・・・」
不安と後悔が入り混じって、そのままジッと空を見上げていました。
 気がついたらお日様が傾いていました。「どうしてここにいるんだろう」から、自分の行動の経過をだんだんと思い出すことができるようになってきました。そして、手や足にそっと触ってみて、痛いところがなかったのでホッとしました。このことは長いあいだ誰にも言いませんでした。
酒粕に酔った
 友だちも増えてきて、外で遊ぶことが多くなりました。寒い時を除いてよく川のあたりで遊びました。
 滑らないように靴のまま川に入って、浅瀬の水草や石を静かにゆっくりと持ち上げると、鮒やナマズが手づかみできました。
 広い河原に寝そべっていると、近くにむしろが一面に敷いてあるのが見えました。
「こりゃ なに?」「これは 酒の粕じゃ。食べられるぞ」
「食べてみい、うめえぞ」
 まぶしてある籾殻を少しずつとっていくと、白い酒粕がのぞいています。においをプンプン嗅ぎながら口に入れました。また一口、またまた一口。
気がついたら、もう夕日が沈むころになっていました。酔っていつのまにか寝ていたようです。
 後から聞いた話では、この酒粕は肥料として輸出していたとか。誰かが子どもたちの行動を酒屋さんに報告したのでしょうか、見張りがいるようになってこの河原にはもう行けなくなってしまいました。
興亜奉公日と愛染かつら
毎月一日が戦意高揚のために興亜奉公日と制定されて、お昼の弁当は戦地の兵隊さんのことを思って「日の丸弁当」と決められました。食べる前に先生が巡視をし、違反をしていたら、修身と操行の評価が下がるのです。箸を突き刺すと弁当箱の中のご飯がもちあがるほど詰めてあって、おかずは梅干だけ。
 冬のあいだは、小使い室に弁当を温める設備があって温かくなった弁当を食べることができるのです。
 昼近くになると、匂いが漂ってくるのです。梅干弁当ならこんなこんなおいしそうな匂いはしないなあと思い、とても不思議でした。
当ならこんなこんなおいしそうな匂いはしないなあと思い、とても不思議でした。
 この頃、映画館に上原謙・田中絹代主演の「愛染かつら」がくるので、母親がどうしても観たいと連れられて行きました。
 美男の医師と幼児をもつ美女の看護師のラブロマンスでした。すれ違う二人にハラハラドキドキ。「花も嵐も踏み越えて」と歌う田中絹代がとてもきれいでした。
 満員のほとんどが母親のような中に、すすり泣きや嗚咽がはじまると、何か不思議な感じにおそわれました。
 また、会いたい二人が擦れ違うばっかりするのにイライラしました。
 終わって館内が明るくなると、「よかったなあ」と満足そうな顔でハンカチをもっている母親を見て黙って家に帰りました。
 翌朝、全校朝礼で「昨夜映画を観に行った人は手を挙げなさい」いきおいよく挙手しました。「その人たちは残りなさい」ゾロゾロ数十人が集められました。
「兵隊さんは戦地で血を流して戦っているのに、銃後を守る私たちがあんな女々しい恋愛映画など観てはいけません」と厳しく叱られました。
 白いユニホームを着て歌う田中絹代の姿を思い浮かべて、きれいなものをきれいと思ってはいけないのだと教えられたのです。このころは、戦争を鼓舞する勇壮な歌が巷に溢れていましたが、あまり好きなものがありませんでした。
湖畔の宿 蘇州夜曲・・・、今から思えば、当時「女々しい臆病者の歌」といわれた優しいものがよかったのですね。    なんば かずお  

ページトップへ


モタモタしながら支えられ、  今の私を責めないで、未来の私を励まして
生まれ育ち、学びながら育つということ⑧
学校風景 Ⅱ その9

高卒認定フジゼミ講師  志賀 兼允

 できん者はできんままで結構。戦後50年、落ちこぼれの底辺を上げる事ばかりに注いでいた労力を、これからはできる者を、限りなく伸ばすことに振り分ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張ていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいです。それが、「ゆとり教育」の本当の目的。エリート教育と言いにくい時代だから、回りくどくいっただけの話だ」(『教育の論点』文芸春秋)教育課程審議会の会長を担った三浦朱門が学習指導要領の本質を語り、その思想が、改悪された今の教育基本法の底流をなした。
 その日、とある中学校で「習熟度別少人数授業」の公開研究会があった。「県教委、市教委、大学関係者」など、そうそうたる、というか、重々しい人たちが集まってきた。その日、当該学校の一時間目は公開研究授業準備と称して、全校生徒による徹底的な清掃活動。聞けば、昨日の放課後も掃除をしたそうだ。二,三時間目の授業を終えて、四時間目、更に最後の仕上げの清掃活動。そして午後、習熟度授業の該当学級を残して、全員下校。日ごろから、授業確保・授業確保と叫ぶのに、今日はたった二時間の授業を終えただけで、下校と相成った。
 いつ飾ったのか、見たこともない菊の花の鉢があちこちに・・・。どこで頼んだろうか?研究テーマを描いた立派なパネルが校門と体育館に飾られている。学校中のみんなの協力によって(?)まるで正月前のハレの日のようにピカピカになった学校校舎。生徒は、一体なにが始まり、何が起ころうとしているのか、詳しくは知らない。ただ、明日の研究大会は多くのお客さんが君らの授業風景を見学に来るから、しっかり挨拶をしろよ!」と指導を受け、該当学級の生徒には「授業中、しっかり手を挙げて、先生に協力するように」と伝えられている。
 いよいよ「習熟度別公開研究授業」は始まった。教師は全員、名札の着用を義務付けられ、背広姿を着こなしている。その風景だけで、学校の空気は一気に張り詰めてくる。走り回ったり、あちこちで聞こえてくる楽しそうな話声も聞こえず、いつもの賑やかしい空気は消え去っている。いつも、ゆらりゆらりと遅れて授業に臨む教師も、今日だけは、さすがに時間通りに教室に入る。そして、いよいよ公開研究授業のはじまり。
「できる子」「普通の子」「できない子」の三か所に分かれた教室の後ろには、所狭しと公開授業研究会にやってきた見知らぬ先生方や、教育委員会の面々が突っ立っている。もうこの情景だけでも異様である。私は、思わず「よう、こんな雰囲気の中で授業をやっとんなあ!」と隣の同僚につぶやいた。そんな、こんなで授業は進む。日ごろ手をあげたり、質問されたりすることない授業なのに、今日はなぜか、挙手を求めたり、質問を投げかけられている。いつも教卓の前に突っ立ったまま、やたらに板書してノートに写さすだけの授業なのに、今日は机間を回りながら生徒に声をかけている。今日の先生は、どこかおかしい(笑)。まさに、「ハレの日」の「みてくれの授業」である。それとも、こんなピリピリした空気の中で学ぶ姿が理想の授業風景なのだろうか。
 気になるのは、この習熟度授業である。「できる子」「できない子」を分けて公開する授業。保護者にはきちんと説明しているのだろうか。というのも、かつて、参観日に、習熟度授業の公開をした時。『できる子』のクラスは、ほとんど全員の保護者が、「普通の子」のクラスには2,3人の保護者が、「できない子」のクラスには、保護者がひとりも来なかった、と他の学校に勤務する同僚の教師から伝え聞いたことがあった。
 まさに人権問題であると思うが、「それぞれの学力に合わせた丁寧な授業」と言う名のもとに、こんな理不尽な授業形態がまかり通っている。これで生徒が荒れないのが不思議である。そもそも義務教育で「できる子」「できない子」を分けて生まれる学力って、一体なんなん?と問いたくなる。ある若い教師は「習熟度になって、授業中静かになって、やりやすくなった」と言う。別の教師は、「まるで、授業が生徒指導をしているようだ」と嘆息気味に訴えていた。要するに、「できる子クラス」はやりやすく、「できない子」のクラスは、授業にならん、というわけである。
 さて、習熟度公開研究、授業の後に行われた反省会が県教委、市教委、大学関係の講師を囲んで開かれた。そして、討論に入って、昨今の教育界の動きの内容を問題視して、習熟度授業のありようを批判的に訴えながら、質問をすると、講師の准教授から信じられない言葉が出てきた。「これからの教育についていけない先生方は、やめてもらわないといけませんねん」と私から目をはずし、参加者をなめるように見渡しながら強い口調で応えた。大学の教育学に携わる学者の応えに、多くの方がうろたえた。
 公開授業では、教師の創造的な教育活動の展開は話題にならず、「いかに、指導書通りに授業が展開されたか」どうかに終始した。つまり文科省の指導の枠を超えない授業が評価されるのである。重々しい権威主義。そもそも教育活動は「計る事をめざすものではない」はず。
 学校の成績が良かったからといって、その人が、必ずしも幸せの道を歩むわけではない、学校の成績がさっぱりダメでも、大人になって、幸せそうに歩んでいる仲間はいくらでもいるし、クラスの中でハチャメチャに振舞っていた者が社会のために懸命に頑張っている事などは、いくらでもある。そもそも幸せは人さまに評価されるものではない、自分の中で感ずるものである。
 問わなければならないのは、この国に生まれ、この国で未来を描きながら生きていける学力観である。

ページトップへ



ヒダカの四季  パン職人 日 高 晃 作
 二〇〇六年から二〇一一年までドイツに滞在し、相談ネットワークにドイツ通信を書いて送っていたパン職人日髙晃作です。長らくご無沙汰していました。
 日本に帰国後は、ドイツで共に修業した日本人のお菓子職人の女性と結婚し、縁あって広島のドイツパン菓子屋で働いていました。長男の誕生を機に妻の地元である東京へ移り、さらにパン作りの経験も積んでゆきました。
 現在はご縁に導かれ島根県大田市大森町、世界遺産石見銀山の麓でドイツパン菓子屋「Bäckerei Konditorei HIDAKAベッカライ コンディトライ ヒダカ」を開業し、子ども達も三人に増え家族五人でこの豊かな自然と歴史に彩られた人口四〇〇人の田舎町で暮らしています。

「ヒダカの四季」二月
  異常な暖冬、終息する気配が見えないコロナウイルス、何とも落ち着かない冬だ。
 二月初旬にはもうフキノトウが顔を出し、梅も咲き始め、菜の花までいつの間にか満開になっている。来月開催予定の「梅まつり」「菜の花まつり」も名ばかりで、ついにはウイルス騒動で中止となった。
 とはいえ、京都や奈良、出雲大社のような人気観光地でもない石見銀山はいつもと変わらず、客足が落ちたとも感じない。
『春の苦味 フキノトウ』
昨年よりフキノトウをパンに使い始めた。
 松江のフレンチのシェフが料理に使っていたフキノトウのソースにヒントを得て、「ふきのとうバター」を作り、クロワッサンを作ってみたらこれがいける!ブリオッシュと合わせたり、地元の方から頂いたフキノトウ味噌が美味しくて、白ネギと合わせてパンにのせたりもした。
 そんな中、町内の山裾を散策していてフキノトウの群生地を発見した時は、まるで花畑か竜宮城にでもいるように時間を忘れて日が暮れるまで摘んでいた。春、最高!!   ひだかこうさく

ページトップへ


発達障害について(その2)                 臨床心理士: 福田 求
 前回の末尾に、ASDの特徴を<注>として付記しておきましたが、今回は主な発達障害の特徴(2)を、具体的で身近な表現を使ってまとめています。
 また発達障害の原因(3)については、大脳生理学の立場から定説を紹介し、「発達障害は治るのか?」という疑問について考えながら、発達障害の捉え方に言及しています。

          2 発達障害の特徴

(1)自閉症スペクトラム障害(ASD
 a)社会性(対人関係)の障害 <人と付き合いにくい>
  ① 親が声をかけても反応(表情)が乏しく、目を合わせない。
  ② 親が見えない所へ行っても後を追わず、戻ってきても喜ばない。
  ③ 人との接触を嫌い、近寄ると離れようとする。
  ④ 一人遊びを好み、友だちの輪に入れない。
  ⑤ 人の気持ちや場の空気が読めないし、共に喜んだり悲しんだりすることを   求めない。
  ⑥ 人に理解されない自分だけの理屈を主張するため、人とのトラブルを起こ   しやすい。

 b)コミュニケーションの障害 <会話が成り立ちにくい>
  ① 言葉の発達が遅れたり発達がみられなかったりする。
  ② オウム返しをしたり独特の言い回しをしたりする。
  ③ 比喩や冗談がわからなかったり正確に言い過ぎて人を傷つけたりする。
  ④ 堅苦しく打ち解けない話し方をしたり、必要以上に理屈っぽく話したりす   る。

 c)創造性の障害(同一性保持) <こだわりが強い>
  ① 一つまたはいくつかの好きなこと(鉄道、アニメ、昆虫、将棋など)には   没頭し精通している反面、それ以外のことには関心を持たない。  
  ② 融通が利かず、生活するうえで妨げになる習慣や儀式(一度決めた道順や   並ぶ順番、特定の食べ物や色など)に並外れたこだわりをみせる。
  ③ 人から見れば風変りでパターン化された行動(手をパタパタさせる、空中   で文字を書くようなしぐさ、身体を大きくゆするなど)を繰り返す。

 d)過敏性 : 感覚刺激(痛み、音、光、臭い、触感など)に対する並外れた   過敏さや鈍感さ、あるいは興味を示す。
※a)~d)の各特徴や症状が一つ以上当てはまり、そのため社会生活を営むうえで重大な差  支え 打あることが明らかな場合には、自閉症スペクトラム障害があるかもしれない。

(2)ADHD(注意欠如多動性障害)
 
 a)不注意
  ① 注意を持続できないことが多く、不注意なミスが多い。
  ② 人の言うことを聞いていないことが多く、指示に従えないことが多い。
  ③ 精神的努力の持続が必要な課題を、しばしば避けたりいやいや行ったりす   る。
  ④ 計画を立てたり、複数の課題を順序立てて遂行したりすることができない。
  ⑤ 課題や活動に必要な物を、しばしば忘れたりなくしたりする。
  ⑥ しばしば日々の活動(用事、当番、支払い、約束など)を忘れてしまう。
 b)多動性・衝動性
  ① 落ち着かず、もじもじしたりそわそわしたりすることが多い。
  ② しゃべり過ぎたり、静かに遊べなかったりすることが多い。
  ③ じっとしておれず、席についていなければならないときでも席を立つこと   が多い。
  ④ 自分の順番を待つことができないことが多い。
  ⑤ 質問が終わらないうちに出し抜けに答えるなど、衝動的な行動が多い。
  ⑥ 人の会話やゲームに干渉して邪魔することが多い。

 ※ a)・b)の各領域で、4項目以上が家庭や学校などで6か月以上持続して  おり、社会生活を営むうえで重大な差支えがある場合には、ADHDがあるか  もしれない。

(3)限局性学習障害(SLD)
 
 a)読む
  ①  正確に読むことができず、読む速度が遅い。
  <例> 「て・に・を・は」の使い方をまちがえる。句読点で適切に切って読め   ない。似た文字を読みまちがえる。行を飛ばしたり重複して読んだりするこ   とが多い。
  ②  ただ文を読んでいるだけで、その内容(言葉の意味、事柄のつながりや   関係など)が理解できないことが多い。
 b)書く
  ① 単語や文を聞いて書き取ったり、考えたことを書いたりすることが難しい。
  <例> 作文が苦手である。句読点の打ち方や複数の文法を間違える。
  ②左右や上下が反転した鏡文字を書いたり誤字脱字が多かったり、「へ」と   「え」、「は」と「わ」を書き間違えたりする。
 c)計算する
① 数字や数値の概念、または計算を習得することが困難である。
② 数学的に推論することが難しい
 例:文章題の意味が分からない。解決への見通しを立てることが苦手である。

※a)~c)の症状の少なくとも一つが6か月以上持続しており、そのために授業や社会生活を営むうえで困難がある場合には、限局性学習障害があるかもしれない。

      3 発達障害の原因
 (1)脳の機能不全
 脳内の微細な傷などの基礎障害によって、脳の機能がうまく働いていないことで、発達障害(一次障害)が生じると考えられています(親の育て方や生育環境の不適切さが主因ではありません)。
 ADHDを例にとると、大脳前頭葉や側頭葉〈右図〉で何らかの不具合〔神経細胞の傷や神経細胞間の神経伝達物質の送受〈下図〉が上手く行われなくなるなど〕が起こっているため、物事を順序だって考えたり計画が立てられなかったり、あるいは感情をコントロールすることができなかったり、大事なことでもすぐに忘れたりするなどの症状が出てくるのではないかと考えられています。

(2)神経細胞(左図上部) 
直径は3~18ミクロン〔1/1000ミリメートル〕。本体(核)、樹状突起(1神経細胞に1~1万個)、軸索(1ミリメートル~数十センチメートル)から成っています。
大脳皮質には1000億個の神経細胞が100兆個のシナプス〈注1〉で結合し、無数の神経回路を形成して様々な考えや行動、感情をコントロールしています。
〈注1〉シナプス(左図下部)神経終末に送られた電気シグナルは、他のニューロンとの接合部であるシナプスで、送り手側のシナプス前細胞から神経伝達物質(ノルアドレナリン,ドーパミン,セロトニンなど)を放出させます。放出された神経伝達物質が、接合部の隙間(200~300オングストローム<注2>)を経由して受け手側のシナプス後細胞の受容体に届けられると、電気シグナルが発信されていくのです。
<参考>ADHD治療薬のストラテラはノルアドレナリンを、またコンサータはドーパミンの伝達を活性化して集中力を高める働きがあります。一方、うつ病などの疾患に処方されるSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)は、セロトニンの情報伝達を助けてうつ状態の改善を図る薬です。  <注2> 1オングストローム=1千万分の1ミリメートル
 (3)発達障害の症状(一次障害)の捉え方
  ①発達障害の基礎障害は生来のものですが、発達障害に見られる現在の症状(一次障害)の大半は、過去から現在に至る発達の過程で形成されたものです。
  ②発達障害にみられる症状は、不変的なものではなく、将来にわたって改善したり増悪したりしていくものです(変容していくものです)。
  ③発達障害は、一般的な発達の過程が阻害されているので、子どもの発達障害の多様な症状に親が関わり合うことが難しく、親子関係のきしみが生じやすいのです。そのことが子どもの心身の発達に影響を与えることによって、子どもの症状の多様さが生じてくるのです。
 (4)発達障害は治るか?
 一般的に言えば、「病気」と名付けられているものの中には、原因を除去すれば治すことができるものが多くありますが、「障害」と名付けられているものにはそうでないものが多いようです。
二次障害  
発達障害に対する周囲の認識・理解不足に由来する不適切な対応により、障害を持つ子どもが深刻な二次障害(いじめ・虐待,学業不振・ 不登校,家庭内暴力・非行,うつ病・心身症・社交不安障害,ひきこもりなど)に繋がることが多く、そのために生来の発達障害が見逃されて、適切な治療や支援がなされない場合も少なくないのです。

 発達障害の場合も、基礎障害自体の治療は難しいとされています。それは想定されている発達障害の基礎障害があまりにも微細であることや、機能不全を起こしている脳内神経細胞の詳細な部位や神経伝達物質などに関する全容が明らかにされていないからです。
 しかし、生後早い時期からの療育や周囲の適切な支援があれば、発達障害(一次障害)の個々の課題を少しずつ克服し、自立していくことも可能であるし、二次障害も防ぐこともできると考えられています。 大切なことは、環境への適合が上手くできなくても、生まれ持った障害の特性を子どもが自ら受け容れ、それと折り合いを付けながら自分らしく主体的に生きていくことが可能となるような支援が必要なのです。SST(社会技能訓練)のような環境との適応を目指す支援とともに、子どもの「心」に対するカウンセリングなども必要な支援と考えられるようになっています。

ページトップへ


<例>楽しい「数楽」こぼれ話     
 数に親しみを抱くために  第1回 「7について」   志賀 兼允


 小学生が割り算や小数について学習し始めるころ、一番嫌われる数が7です。7で割ると、なかなか割り切れないし、変な数字が繰り返し出てくる、いわゆる循環小数が現れるからです。
 一方、1~9までのうち、2,3,4,5、6,8,9は全て、他の数と係わりを持っていますが(例えば6=2×3という風に)7は、誰とも交わらない清らかな数とも言われています。 
 そんな7ですが本当は私達にはとてもなじみ深い数字なのです。一週間は7日、初七日、北斗七星。地震の震度の最大は7だし、音階も郵便番号の桁数も、更に七光りとか、七福神、七味唐辛子、七不思議、七つ道具、それに日本シリーズも7戦だし(笑)、野球のラッキーセブン、水球は7人制、海で死んだ7人の幽霊、昴(プレアデス星団)で明るく輝く7つの星、ギリシャ神話に出てくるアトラスの7人娘、7は8から1少ないという意味から何か足りない事を表す☞七転八起、6面さいころの向かい合う面の数の和は7、白雪姫の小人さんまで7人ですよ。声優事務所の名はシグマセブン、CDEFGABの7音階、映画では7人の侍、007、ウルトラセブン、煙草にさえセブンスターという名がついていますし、政治ではG7,麻雀にも7対子(チートイツ)という投がありますし、コンビニさんさえセブン・イレブンというのがあるじゃないですか、カラスなぜ泣くの、スロットマシーン777でフィーバー、日本では虹色は7色、7つのドラゴンボール、セブンブリッジ、戦国七雄、又、春の七草とか、七帝大、七大学、七つの海、七洋(南シナ海、ベンガル湾、アラビア海、ペルシャ湾、紅海、地中海、大西洋)七海(南太平洋、北太平洋、南大西洋、北大西洋、インド洋、北極海、南極海)七福神(大黒天、恵比寿、毘沙門天、弁財天、福禄寿、寿老人、布袋)・・・まさに枚挙にいとまなしですね。7にはとても崇高で気高い意味が込められ、七つの罪と七つの徳☞謙遜⇔高慢、慈悲⇔嫉妬、節制⇔暴食、純潔⇔色欲、忍耐⇔憤怒、寛大⇔羨望、勤勉⇔怠惰・自由七科☞論理、修辞、文法、算術、音楽、幾何、天文学・七つの金属(古代)☞銀、水銀、銅、金、鉄、錫、鉛・七つの段階☞強制、良心、感動、冷静、従順、献身、熟達・七つの徳☞信仰、希望、愛徳、剛毅、正義、賢明、節制☞七つの内分泌。七つの天体、七つの施法。そして万国共通の七福禄寿、新約聖書ではヨハネの黙示録に7つの門が登場します。
という事で、なぜか算術で嫌われる7の名誉回復のために、7に潜む感動の物語を始めたいと思います。(パチパチ)
 それでは、ひとまず1を7で割ってみますと0.142857142857・・・と小学生の嫌う訳の分からない数字が並ぶ循環小数になります。同様に2を7で割ってみますと0.285714285714・・・3を割って0.428571428571・・・4を割って0.571428571428・・・5を割って0.714285714285・・・最後に6を7で割りますと0.857142857142・・・となりますが、これではごちゃごちゃしているのでそれぞれの循環部分だけの数字を表にしてみます。

1÷7 142857
 2÷7 285714
 3÷7 428571
 4÷7 571428
 5÷7 714285
 6÷7 857142
 はてさて、この表を見て、何か気づきましたでしょうか。特別な知識は要りません、恋人の目をじっと見つめるように、数字を見やってください。すると、いろんな秘密が見えてきます。ある生徒が「先生!どの答えも、3,6,9がない」と答えてくれました。そこで「すごい発見だぜ!そこで「すごい発見だぜ!しかし、もっとあるぜ!」と励ますと、「先生!各桁の数字を足すと、全部27になっとる」「3, 6,9の次に9の倍数の27の発見!これもすごいが、もっともっとあるぜよお」と言いうと、すぐさま「判った、すげえことじゃあ、これ、全部、きれいに数字がならんどる」「どういう事じゃ?」と声が
かかると、「ええかあ、1÷7の142857最初は1で始まっとるじゃろう、次の2÷7は最初が2で始まっとるけど、その後は、1を割った時とおんなじ順番で4☞2☞8☞5☞7☞1となっとるじゃろうがあ」「ほんまじゃ、先頭が違うだけで、あとは、順番に並んどる!」と、循環小数の規則に気づいたのです。すごい発見をしてくれました。
 
 142 857
 285 714
 428 571
 571 428
 714 285
 857 142
 しかし、実は、7の秘密はこれだけにとどまりません。そこで、ヒントを兼ねて、上の表の6桁の数字を真ん中で仕切ってみましょう。何か気づいたでしょうか?そうです、左側の一番上の3桁の142と右下の一番下の142が全く同じ数字になっています。同様に、左の上から2番目の285と右側の下から2番目の285も同じ。つまり点対称にように綺麗に分かれているのです。とても美しい風景ではないでしょうか。しかし、実はこれだけではありません。左右の表の左右の数字を加えてみます。例えば一番上の142と857を加えますと、999になります。2番目の285+714も999ですね。という風に、総て、左右の足し算は999になっています。7ってすごい几帳面で、規則正しい仲間であることに気づいていただけたでしょうか。まだまだ7については驚きの世界があります。次回も、7について紹介しますので、お楽しみに!それでは、またお会いいたしましょう!バイバイ(@^^)/~~~  しが かねみつ

ページトップへ



ステイホームのつれづれに 
       相談員 山本 和弘


 新型コロナが猛威を振るう中、不要不急の外出を控え、ステイホームを心がけることは、個々人にできる社会的責任でしょう。とはいえ、四六時中、狭い室内に閉じこもって過ごすことは、心身を酷く消耗させます。時には、三密を避けて戸外に出かけ、ご近所散歩で少し気を紛らせています。


 いつの間にか麦秋となり、場所によっては刈り入れが始まっているところもあります。


見上げると、コロナにめげず、ヒバリが天高く羽ばたきながら、元気にさえずっています。畑に降りてくつろいでいるものもいます。
 時節柄、ソーシャルディスタンスを、意識している鳥たちもいるようです。
 電線に止まるキジバト。 郷土の詩人永瀬清子さんは、「ててっぽっぽうの声のする方から私の所へしずかにしずかにくる人よ」(「あけがたにくる人よ」)と歌いました。

次は、ソーシャルディスタンスを意識する?ツバメ。
  
 
ウグイスの囀りも、すっかり上達しました。野山では、今の季節も、ウグイスの高らかな囀りが聞こえますが、それと競うように、そろそろホトトギスの季節となりました。


 上の写真の鳥がウグイスですが、体の色から、下の写真の鳥をウグイスと錯覚していたという声をよく聞きます。メジロです。アベさんたちの「桜を見る会」はさっさと中止しちゃいましたが、メジロたちはコロナの中でも花を楽しんでいます。



 葦原の中などで「ギョウギョウシ、ギョウギョウシ」と仰々しく囀るヨシキリの別名は「行行子」だそうです。最近、声をよく聞きますが、撮影できていないので、ちょっと古いオオヨシキリの画像です。

「一筆啓上仕り候」とさえずるのはホオジロ。

 
コジュケイは、「ちょっとこいちょっとこい」と鳴くそうです。昔一度だけ写したことがあります。



 存分に野鳥観察を楽しめる日が、早く戻ってくることを切に望んでいます。(やまもと かずひろ)

ページトップへ


四季の花言葉  「やまぶき」
  <例>
ングへ 鳥たちはこの世の春とばかり歌いつづけます 
この愛を告げる鳴き声が 
人にはどんなに     
聞こえるのでしょうか
昔から生活とかかわって悲喜こもごも 
老若男女で色々聞きなしてきました    
南から帰ってきたツバメ(燕)は今巣作りに懸命です
  〇土食うて虫食うて口(くち)シブイ  
  〇グツグツ米炊いて ピチャピチャ虫食おう

るで民衆の日々の暮らしを見事に聞きなしているのは 
なんといってもヒバリ(雲雀)でしょうか
  〇一升貸して二斗取る  利取る 利取る
  〇餅食べろ 餅食べろ 一口ペロリ
  〇(昇るときには)日一分 日一分
  〇(降りるときには)月二朱(ツキニシュ)金貸した 利取る 利取る
  〇天から小便しよう 天からもったいない 降りてしよう 降りてしよう 
   やっぱり天はいいわい
    
ホオジロ(頬白)は   
  〇一筆啓上つかまつり候     
ウグイス(鶯)は
  〇ほうほけきょう((法法華経)    
はっきり聞けますね

(フ)クロウ(梟)は 
  〇ぼろきて奉公 
コノハズク(木葉ズク)は
  〇ぶっぽうそう(仏法僧) 
サンコウチョウ(三光鳥)は
  〇月 日 星 ホイ ホイ 
コジュケイ(小綬鶏)は
  〇ちょっとこい ちょっとこい かあちゃんこわい    
センダイムシクイ(仙台虫食)は
  〇焼酎いっぱい ぐいー  
メジロ(目白)は 
  〇長ベエ 忠ベエ 長ベエ 忠ベエ
ジバト(雉鳩)は
  〇てっぽう(鉄砲)てっぽう  
 ウズラ(鶉)は
  〇あじゃぱー    
小さいからだで大声で啼くのは
  〇いっぴー にい とり さんぴー しいなん ごちいち ぶんぶく ちくりんちゃん  のミソサザイ(鷦鷯)です 
アカハラ(赤腹)は
  〇キョロン キョロンチー カモンカモンチュウ 
サシバ(差羽)
  ○キッスミー    
アカショウビン(赤翡翠 カワセミの一種)は    
  〇キョロキョロ・・・・この鳴き声が聞こえると大抵近日中に雨が降るので有名です

 さあ 耳をすませて 今よく聞こえてくるホトトギスの声をきいてみませんか。あなたにはどんなに聞こえるでしょうか。


ページの先頭へ

ナビゲーション

information

子育て・教育なんでも相談ネットワーク

〒700-0822
岡山市北区表町1-4-64 上之町ビル3F
TEL.086-226-0110
FAX.086-226-0110