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「ネットワーク通信」連載記事あ・ら・か・る・と

相談ネットワーク通信特別号

いつでもそばにいるよ
ーラジオで語りかけてきたことー
難波一夫


 

目 次

No.25 岡山シティFM レディオMOM0 ネットヮークを紹介…………………………1996年2月10日

№49 RSKラジオ放送 反抗期は自分づくりのとき………2003年

№60 父の日を前に 2007年6月8日放送(RSKラジオ) 

№68  RSKラジオ放送 おかやま朝まるステーション
難波一夫さん出演①………2010年11月25日


№69  RSKラジオ放送 おかやま朝まるステーション
難波一夫さん出演②………2010年11月25日


№7o  RSKラジオ放送 おかやま朝まるステーション
難波一夫さん出演③………2010年11月25日


№71  RsKラジオ放送 おかやま朝まるステーション
難波一夫さん出演④………2010年11月26日①


№72  RSKラジオ放送 おかやま朝まるステーション
難波一夫さん出演⑤………2010年11月26日
№73  RSKラジオ放送 おかやま朝まるステーション
難波一夫さん出演⑥………2010年11月26日
 no25
 岡山シティFM レディオMOMO ネットワークを紹介
放送2月10日18時20分


アナウンサー1 「ネットワークNGO」のコーナーです。
このコーナーでは岡山県内で、国際協力をはじめ、福祉・町づくりにと。「岡山の街をもっと元気に、もっと生き生きと」と活躍している、そんなグループをご紹介しています。
今日は子育て・教育なんでも相談ネットワーク」をご紹介いたします。お電話の方に、代表世話人でいらっしゃいます、難波一夫さんに出ていただいています。
もしもし、難波さん今晩は。

難波今晩は。

アナウンサー1 今日はよろしくお願いします.

難波 こちらこそ。

元気なお父さん・お母さん・先生をいっぱいつくりたい

アナウンサー1 難波さん、以前から「子育て・教育なんでも相談ネットワーク」の活動には、たいへん関心を持って、いろいろと応援させていただいていたんですが。

難波ありがとうございます。

アナウンサー1 そろそろ設立して何年ぐらいになりますか。

難波 そうですね。1990年(平成2年)ですから、7年目に入りましたねえ。

アナウンサー1 ああそうですか。主には相談活動を行っていらっしゃるそうですが。教育をテーマにした講演活動や、いろんな事をなさってこられましたよね。

難波 ええ、そうですねえ。

アナウンサー1 それでは、初めての方もいらっしゃると思いますので、この「子育て・教育なんでも相談ネットワーク」の活動内容を教えていただけますか。

難波 はい。一つはですね。毎日、電話と面接の両方で相談を受けています。一番多いのは、お母さんからの相談が多いんですけれど、お父さん、先生、それから、少し元気になった子どもたち、そういう子どもたちから、いっぱいメッセージw歩送ってもらうようなこともありますね。

アナウンサー1 ああ。なるほど。

難波 それが、毎日、一番大事にしている活動の一つです。
それから二つ目は、先ほどおっしゃって下さったように、いろんなところヘ行って講演をしたり、勉強会をしながら、お母さんや、お父さんや先生方が、元気になって下さるとね、子どもが、「あ、お母さん元気だなあ」「先生、元気になってるねえ」「いい顔してるねえ」、そういうことになるでしょう。だから、そういうことで、元気になって下さる、お父さんや、お母さんや、先生方をいっぱい作りたいと思って、毎日、そういう講演活動や学習会があれば、できるだけ参加するようにしているんですね。

私たちもみんなに励まされて

アナウンサー1 なるほど。やはり、お母さん、お父さんの中には、「どこにこういう悩みを持ちかけていいのか」と悩んでいらっしゃって、で、もう本当に最後の手段、駆けつけてこられて、心を開いていらっしゃる方も多いんでしょうね。

難波 多いんですねえ。だから、いろんなお礼のお手紙や、それから、、「この辺を通ったから、ちょっと寄った」とかね。私たちも、そういうもので元気をいただいて、この7年間頑張ってこれたのだと思いますよ。

アナウンサー1 なるほど、例えば、こちらの方にきて。ほんとうに本音をあかすことができて、いろいろとお力添えになったという方は多いでしょうね。

難波 多いですねぇ。だから、いろんな相談もあるんですがねぇ。一番多いのが、やはり学校へ行けない子どもさんの相談が多くって・・・。今までは、高等学校や中学の子どもが多かったんですけどね。最近では小学校の子どもが行けないとか、それから、保育園や幼稚園の子どもがねぇ、やはり行けないという状況もあったり・・・。
ご存じのように、岡山には「いじめ・不登校」というのがずいぶん多いですね。

アナウンサー1 全国的にもずいぶん高い・・・。

難波 高いんです。

アナウンサー1 そうですねぇ。

難波 平均から言いましても、学校へ行けない子どもの数は、全国平均の2倍もありますしねぇ。それから、いじめの数は、岡山市内の中学校で言いますと、全国平均の3倍もあるんですよ。それから、高校中退の問題は、私立の高校に多いんですが、全国で悪い方から2番目なんですよ。

アナウンサー1 そうですか。

難波 だから、やっぱり、どこかに頼って、どこかで自分お気持ちを聞いてもらりながら頑張りたいと、お母さん方は思われますしね。先生方も、時にはどうしていいかわからなくなって、私どものところに来られる先生もいらっしゃいますしね。

アナウンサー1 そうですか。

岡山にも同じような仲間があったんだ

アナウンサー1 そもそも、難波さんがこの活動を始められた”きっかけ”というのは、どういうきっかけだったんでしょうか。

難波  実は今から7年前なんですけどね、岡山でまだ「不登校」とか「いじめ」の問題とかが、あまり表に出てこないというように、私たちは思っていた頃があるんですよね。
たまたまその頃に、ある病院の先生方が講演会をもたれましてね、そのときにあまり宣伝もしなかったのに、200人も集まられるような会ができて、私もそれに参加しましたら、その時に、その講師の先生に対して。「いじめの問題や、学校へ行かない子どもに対して、どんな対応をしたらいいか」という質問がいっぱい出てきて、しかも、その時にお母さんは、それこそ、どうしていいかわからないということを、泣きながら訴えられたようなことがたくさんありましてね。私たちは、「都会のど真ん中の問題だろう」というぐらいに思っていたところ、「岡山にも同じような問題があったんだ」ということに、その時に気がつきました。
それで、有志の方々と、「岡山にどうしてもこんなものがいるんじゃないか」ということで、みんなと相談しまして、そして力を貸してくださる人、お金を出してくださる人、それから建物を貸してくださる人、みんなが知恵を絞りながら、今のようなところに事務所をつくりましてね。そして、始めることになったんですよね。
たまたま、そのとき、私が高校の教員を退職する年でしてね。他の方はお仕事を持っておられるし、辞めてこれからちょうど座ってもらうのに、いい人がおるじゃないかということになりまして。
それから7年間たったという事になるんですね。
だから、きっかけはほんの目立たないようなことだったんですけれど、実は問題はね、岡山にも深いところにいっぱいあってね、それが、恥ずかしいことに私たちに見えなかった。そういうことだったんですね。

アナウンサー1 なるほど。

難波いっぱい、いっぱい、そういうものが、子どもの中につまってきていた。それを見抜く力が、私たちに無かったということだろうと思うんですね。

アナウンサー1 まあ、あの、本当にそういう子どもの問題、いじめの問題というのは、まさに時代を映しているともいえますよね。

子どもたちに ほっとできる場所を

難波 そうなんですよね。子どもは社会を映す鏡だといいますね。社会をつくっている大人たちの中で、いま子どもたちが一番よくいうことばがあるんですけれど、「ムカツク」、「イラツク」というでしょう。でも、今それは「チョウ」をつけてね、「チョウムカ」「チョウイラ」というでしょう。「チョウムカ」「チョウイラ」は、子どもたちだけでなくて、大人たちがね「チョウムカ」「チョウイラ」の毎日を送っているわけでしょう。

アナウンサー1 うーん・・・、そうですねぇ。

難波 そして、なんでも早く、そして上手に、たくさんできないとね、なにか人間でないようなね、そういう雰囲気が大人の社会にもある。それを子どもたちは反映している。そして、大人が朝早くから、子どもに対して「早く、早く」と言い続けている。そういう状況だってあるわけですね。
だから、私たちは、そいういう「早く、早く」ということに、耐えていける子どもたちもいるけれど、耐えていけない子どもたちが、悲鳴を上げるということだってあるわけだから、子どもたちが心と体を癒すといいますか、「ほっとできる場所」をね、学校にも家庭にも、地域にも、たくさん、たくさん作ってやることが、いま何よりも大事なことだと思うんですよ。
「ほっとできる場所」、それが、いま、社会の中にずいぶん少ない。家の中でも、お母さんもお父さんも、「あれ我がこんなに頑張っているのだから、おまえも頑張れ」。そういうことだけでね、子どもだけみていると、子どもはその中で、よい子であればあるほどその”しんどさ”に耐えていこうとします。耐えていこうとするけれど、お父さんが若かった頃からいうと、ずいぶん"しんどい状況”というのは、比べものにならないくらい、増えてきてますからね。
だから、「根性がない」「弱虫だ」ということを言われる前に、やはり子どもの心の中にあるものを、心で見てやることがいるだろうと思うんですね。「チョウムカ」、「チョウイラ」この心は、いったい何を、SOSの信号として送っているのか、ここを見てほしいと思いますね。

アナウンサー1 そういった、子どもたちの叫びを、お母さん、お父さんたちがやっと気づいて、そして、”駆け込み寺”としての役目をなさっている難波さんですが、のちほど、連絡先の方を、ご紹介させていただいてもいいですか。

難波 いいですよ。

アナウンサー1 ありがとうございます。
それでは、これからも、様々な活動をなさるとき、是非お教えください。是非ご紹介させていただきたいと思います。

難波 どうも、ありがとうございました。

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 №49
 RSKラジオ放送

反抗期は自分づくりの時 

アナウンサー1 今週金曜日は、子育てを考えましょう。

アナウンサー2隔週コメンテーター、子育て・教育なんでも相談ネットワーク代表の難波一夫さんにうかがいます。

アナウンサー1 おはようございます。

アナウンサー2おはようございます。

難波  おはようございます。

アナウンサー1 難波さん。社内的にもね、このコーナーをもっと早く聞いておけばよかったというお父さんがいたりしましてね。いろいろ親父としても、お母さん方もそうかも知れませんが、考えさせられるいろんな子どもたちの声とかね、発信してくるものを感じますね。このコーナーは。

難波 わたしたちも電話でお母さん方や子どもの声を聞きますから、それが伝えられたらいいんじゃないかと思いますね。

アナウンサー2子どもの声に耳を傾けましょうというのはね、ついつい親だとね、親なんだから、おまえたちは子どもだろう、みたいな気持ちで接しちゃうところがどうも、自分のなかにもあったりするんですがね。

難波 反省だけならサルでもできるということがありますから・・・(笑)

アナウンサー1 サルなみなもんで・・・(笑)さて、今日は、なんのお話でしょうか。

子どものことがわからない。

難波 今日はね、最近ちょっと増えているのが、さっきのお話とつながるんですけどね、どうも子どもがわからんようになったという声が、お父さんやお母さんから、電話相談で続きましてね。

アナウンサー1 子どものことがわからない・・・

難波 子どものことがわからないというんですね。それで、どういうことなのかと聞いてみると、最近どうも、子どもが言うことをきいてくれないとか、あるいは、憎らしゅうなったとかね・・・。そういうなかでね、しつけをせにゃあいけんと思うて、つい手を出した。それで、虐待に近い、まあ「行儀」の意味でたたいたとかね。それで、あとで反省はしておられるんだけど、それだけだったらサルと同じになるから、そこのところで、どうも、子どもさんの変わり方といいますかねぇ。子どもさんが成長とともに変わっていく、もっと言うならば、発達しているのが、お父さんやお母さんに見えてないんではないかなーというようなことを思ってねぇ。

三歳児の頃

難波  たとえば、三歳の頃で考えてみても、それまでは親の真似をしたり、親の言うとおりの行動をしとったんですよ。それが三歳頃になってきたら、言葉もかなり覚えてくるし、お友達も3人ぐらいはできてきて、しゃべったり遊んだりするということもできるようになってくるわけですね。それから、いままで作れなんだようなものも少しずつ作れるようになる。つまり、自分らしくなっていく、その時期が三才の頃だと思うんです。そういう変わり方を見てあげれる、そういう心の余裕というか、子どもを見る目の高さと言いますか、深さと言いますか、それをちょっと、考えてほしいなあと思うことがあるんですけれどね。

アナウンサー1 子どもというのは、親に常に素直で従属しているものではないんだ。ひとりの人間ですからね。それぞれの成長過程がありますから。その部分をちゃんと理解してちゃんと見てってやらないと、間違った接し方をして、それが後々に大きな禍根を残す事になっちゃあ大変ですもの。

難波 だから親の言うことを聞かなくなったということの中に、子どもは自分らしくなって行ってるということではないか。
よく言うんですが壁にボール投けますよね。壁にボールをぶつけたら跳ね返りますよね。その時少しぶつけたら少ししか返らないし、激しくぶつけると激しく返る。親から離れて自立をするということは、親に対して激しくぶつけて僕の道はこんな道だよ、お父さん、お母さん、バイバイ、でも、寂しい時には、お父さんお母さんの方へ行くよ、というのが、時に出てくるくそばばあという言葉であったりするのではないかなと思うんです。


アナウンサー1 作用反作用ですね。

難波 そうなんですね。だからその時に、親が子どもを見ながら、今までここまで育て上げたのに、なんで可愛くなくなったのかとね。そんな思いだけで見るのではなくて、「人間らしくなっていきよるなあ」、「自立の道を進み始めたなあ」。たとえばそれが、13歳や14歳になっていくと、そろそろ親の方も子離ばなれをせんといけんな、という思いを、一方で持ちつつも、でも子どもはまだ寄ってくるわけですからね。向きを変えて。「くそばばあ」と言ったその次の瞬間には、「なお母さん」と言ってくるのが、寄りかかりながら、寄りかかりながら自立していく子どもの姿ではないかなあと思うんですよ。

アナウンサー1 自然界でも巣立ちの時がありますしね。”親ばなれ”"子離れ”というのは当然あるわけですけれど、その時にですね、親はどうすればいいんですか。

人間には発達の法則性がある

難波 やっぱり一番大事なのは、自然に発達の法則性があったり、社会にも発展の法則性があるように、人間にも発達の法則性がある。三才にはこういう時期があって、次の時期で言うと小学校の3・4年、9歳か10歳の頃に、もう一つ大きな節があって、さらに中学校の2年3年に一番大きな節がある。そういう発達の段階と言いますか、子どもの発達の法則性みたいなものを、親がつかんでいれば、ものすごく楽だと思うんですね。

アナウンサー1 そうですね。それを理解しておけば、親としても大きく構えてられますものね。そこであたふたしちゃいけないと。

アナウンサー2でも逆にびっくりしちゃって、どう接していいのか分からなくなるかもしれませんね。

親になるということ

難波 だから、学習と言いますか、ある程度見通しを持った子育てということができていくならば「あ、この次はこうなるんだよ」と、例えばさっき言いましたように、話し言葉を身につけたり、3人以上の友達ができたりする3歳の頃から、今度は小学校の3年・4年になってゆくと、書き言葉を身につけたり、物事を想像したりすることができたり、男の子や女の子のことを意識するような時期になったり、そういうような大体の発達というのがあると思うんです。そのことを理解しておけば、やがて来る疾風怒濤の時代である思春期に向けての心構えと見通しが、自分の方に出てくるのではないでしょうか。

アナウンサー1 それがまた親になるということなんですね。

難波 そうなんですよね。

アナウンサー1 自然と親になっていくのじゃなくて、やはり子どもと接する中で親になっていく。自分が親にならなきゃいけないんですね。

難波 そうなんです。それが結論ですね。

アナウンサー1 反抗期をちゃんと経て行かないと、親に対して冷たくなるような傾向があるということを前に聞いたことがあるんですが、だから、ちゃんとした発達段階を経て行くことはとてもその子にとって大事なことなんですね。

難波 そうなんですよね

アナウンサー2「くそばばあ」にしても、コミュニケーションを取ってくれているわけですから、言葉は「くそばばあ」でもね、喋らないわけではないんですから。

子どもの訴えを聞く心の余裕

難波 だから、そのくそばばあの中に込められた子どもの気持ちと、訴えが何かということが分かる余裕とかね、親の側の学びがいるんじゃないでしょうかね。それを大事にしながら、子どもと新しい接触をして欲しいと思いますね。

アナウンサー1 理解していれば、「くそばばあ」という言葉の中にも、愛おしさが感じられるようになるんじゃないのかな。これはまあおやじの勝手な発言だと、お母さん方から叱られるかもしれないけど、でも親父もお袋も同じですよね。ちゃんと接しているメッセージの向こう側にあるものを受け取らなきゃいけないのですね。親としては。どうもありがとうございました。

難波
いえいえ。

アナウンサー2ありがとうございました

難波
どうも

アナウンサー1 隔週コメンテーター「子育て教育なんでも相談ネットワーク」難波一夫さんに、子どもの反抗期についてお話をうかがいました。

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 No60
 
父の日を前に 2007年6月8日放送(RSKラジオ)

アナウンサー1 さあ今週の金曜日は子育てを考えます。

<B>アナウンサー2 </B>子育て教育なんでも相談ネットワーク代表世話人難波一夫んです。難波先生!

難波 はい!

アナウンサー1 おはようございます。

難波 おはようございます。

アナウンサー1 難波先生も各地で講演会をなさっていて、「とてもよかったです」というメールがこの番組にも届いております。

難波 そうですか。

アナウンサー1 「ラジオで聴いているイメージとはちょっと違う・・・

難波 ハッハッハッハ・・・。

アナウンサー1 「お声を聞くとラジオの難波先生だ!」見事な銀髪、そのお髪にびっくりされるようです。そんなメールが来てましたよ。

難波 そうですか。それでも嬉しいですね。

アナウンサー1 今週講演会があったんですよね。

難波 はい。何回か。

アナウンサー2  あっ、何回か。

難波 はい。何箇所かで、お話に行きました。

アナウンサー1 そうですか。

難波 はい。

アナウンサー1 そういう時にどうですか。お話になると、同じ空気の中で、子どもたちの話をされるのと、ラジオとはちょっと違った・・・

難波 そうですね。お母さんやお父さん中の顔が目に目の前に見えますしね。それで一番びっくりするのは、お父さんやお母さんの若いこと。若さを感じますね。なんか、卒業したての高校生か大学生かみたいな感じで、私が年を取ったのをすっかり忘れてしまって、今頃のお父さんお母さんは若いなあ、若いなあと思いながら、つくづく、あるいは、しげしげ顔を見せていただきながら、お話を一生懸命やっております。

アナウンサー1 そうですか。若いお父さんお母さんも一生懸命聞いてくださっている。

難波 そうですねえ。若いお父さんお母さんに、これからの日本の未来を任せる子ども達を育ててもらっているわけだから、一生懸命バトンタッチをして、いい子どもに育つように行って行かなきゃいけないだろうと思ってね・・・。

アナウンサー1 お父さんも来られるんですか

難波 お父さんがね最近は多いんですよ。特に保育園、幼稚園あたりは、お父さんがお母さんと一緒に来られて、ちょっとお父さんに刺激的な言葉を言うと、お母さんがそばでお父さんをつつくんですよ(笑い)

アナウンサー1 ほれ見なさいと言う・・・。

難波 これあんたのこと言っとったんだよ、というようなもんでね。

アナウンサー1 もうすぐ父の日ですね。

難波 はあ、そうなんです。父の日がもう目の前に来ていますんで、今日はお父さんのことを考えてみたいと思うんです。

アナウンサー2 はい。

難波 それで実は京都府の福祉部というところから、「出番ですお父さん」というパンフレットが出ておりましてね。その中に、お父さんへの質問というのがありましてね。
「あなたはお父さんとして何点ぐらいだと思いますか?」という問いがあるんですよ。
10問ありましてね、1つは、「あなたのお子さんが、一番好きなテレビ番組を知っていますか?」2番目が「お子さんが、一番欲しがっているものを知っていますか?」3つめが、「お子さんの一番仲の良い友達は、誰か知ってますか?」4番目に、「学校であったことをじっくり聞いてあげていますか?」5番目に「お父さんの仕事の話を聞かせていますか?」6番目に「お子さんのわからないことを質問されたら、ちゃんと教えてあげていますか?」7番目に「叱る前に、まずお子さんの言い分を聞いていますか?」8番目に「休みの日には、よく一緒に遊んでいますか?」9番目に「お父さんもテレビばかりでなく、たまにはちゃんとした姿勢で本を読んでいますか?」10番目に「休みの日には、お父さんも掃除や買い物などを手伝っていますか?」「さて、あなたは何点だったでしょうか?」という10問が用意されておりましてね・・・

アナウンサー2  石田さんは何点だったでしょうか。

アナ1 いや-、あの---そんなに点は良くないですね。
 
(笑い)

難波 どうしても、今日本のお父さん方というのはね、仕事が忙しくて、子どもと接したいと思ってもなかなか一緒に過ごせないという悩みが、随分大きいというのが昨日の新聞でも報告されておったんですが、日本や韓国、タイ、フランス、スウェーデン、アメリカで一斉に調査した結果で、日本のお父さんの労働時間が最も長いんです。そして、その中でお父さんが子どもと過ごす時間が6つの国の中で5番目。お母さんが子どもと過ごす時間は日本が一番長い。ということは、子育ては母親に任せているという部分が非常に大きいんじゃないかということをねぇ---。
そして、日本のお父さんの悩みはもっともっと子どもと接したい、接する時間が欲しい、こういうことを痛感しておられるというのが見えてきているんですねぇ。特に、日本の保護者全体の中での心配事はと言うと、今の日本の状況の中で、子どもの身の安全がなかなか保障されていないというようなことで、やっぱり父親が登場して、もっと子育てに関わりたいと思っているんだけれど、そうなれない今の日本の状況の中で、随分お父さんの悩みも大きいということがあると思うんですねぇ。

アナウンサー1 はい

難波 同時に、子どもはどんな願いをお父さんやお母さんに持っているか、とりわけお父さんにどんな願いを持っているかと言うと、やっぱり低学年の子どもは「お父さんもっと早く帰ってきてほしい」「お父さんが単身赴任で岐阜におるから、早く帰ってきてほしい」「お父さんは日曜日だからといって10時頃まで寝ないでください」

(笑い)

難波 それから「お父さんは、優しくて言うことを聞いてくれる。お母さんは怒る。お姉ちゃんは『バカ』とか心が傷つくことを言う」「父が酔っ払ってきて、背中をけった」こういうような低学年の子の思いもあるんです。
高学年になるとやはり「お父さん早く帰ってきて」「お母さん怒らないで」それから「たまには仕事を休んで家族でどこかに出かけたい」「お父さんはタバコをやめてほしい」「いくら私が女だからといって『女は手伝いをするもの』だとか『女は』『女は』と差別をしてあつかったり、すぐにぶったり、ヤクザみたいな怖いことは言わないように。私にも影響が出そうだ」これは小6の子どもの思いなんですね。

アナウンサー1 そうですねぇ。

難波 中学生になりますと、「子どもの前でお母さんがお父さんの悪口を言わない」あるいは「お父さんがお母さんの悪口を言わないでほしい」とそれから「男は仕事だけじゃなくて、家の事をもっとやってほしい」「自己中心的で嫌だ」それから「親が疲れた顔をしている。苦労をかけて悪いと思う」「もっともっと休んで欲しい」中学生ですねぇ。「仕事で仕方がないと思うけど、早く帰ってきてほしい」「お父さんと一緒にもっとでかけたい」これは中2の男の子ですねぇ。「お父さんの帰りが遅かったりするので、家族全員で揃うことが少ない」「家族と会話する事が少なくなった」
高校生になると「親父が変だ」「家を出て行きたい」変だという意味がどういうことなのか。「家族全員で食事をとりたい」「親父が酔っ払って帰ってくるので嫌だ。うるさくてたまらない」
こういうなのを順々に読んで、父親像みたいなものをイメージしてみますと、やっぱり一つはとにかく早く帰ってきてほしいという声があふれている。しかもこれが最低限の子どもの願いであるし、そして働きづめのお父さんへの同情でもあるし、もう一方では不満と言うか怒りでもあるんではないかと思いますねぇ。

アナウンサー1 父の日は、お父さんに感謝する日の前に、お父さんが反省する日ですね。

難波 そうなんですね。だから、お父さんはもっと身近なところの存在であってほしい。それはなぜかと言うと、中高校生が自立はじめて反抗期に入ってきたら、多くの子どもが父親嫌いになるというのがあるんですね。それはどうしてかと言うと、その前提になる父親が不在でしょう。だから土台がないんだから、その不安定な基礎の上に、父親が人生観や価値観を伝えようと思っても、あるいはしつけをしようと思ったって、成立するはずがない。そこまで言うと言い過ぎになるかもしれませんけれど、やっぱりものすごくそういう意味で平素の関係というのが大事だということが言えると思うんですね。

アナウンサー1 反抗期というのは自我の成長のためにとても必要なもので、それを受け止めるお父さんがいないということですねぇ。

難波 そうですね。それから、その時期こそ父親の背中を見て、お父さんを乗り越えようとする、そういう時期でもあるので、やはり平素の、日常の親子関係の中でお父さんの存在感というのは、もっともっと、どうしたらいいのかということで言うと、やはり社会的な諸条件というものが噛み合ってくるわけですけれど、やはり、家庭をもうちょっと大事にしてもらえるような状況が作られてこないといけないのではないかなぁと思いますねぇ。

アナウンサー1 父の日だから何のプレゼントをくれるんだぁ?と言う前に、自分自身を省みてみないと---。

難波 はい。

アナウンサー1 肩たたき券の前にね、子どもの心を揉みほぐしてあげないといけないですねぇ。

難波 ただねそういう中で、色んな紆余曲折があったとしても、安定した家庭生活を過ごすことができた高校生や中学生たちはね、こんな嬉しいメッセージを伝えてくれてるんですね。「苦労かけるね。ごめんなさい。これからもよろしくお願いします。私としては、自分の親は大好きです。子どもには親の欠点を認めてあげられるようにならないと---」お父さんはお父さんで欠点があるけれど、それはそれで大好きなんだというねぇ。嬉しいですねぇ。

アナウンサー1 そういう子どもに育ってくれたということは、ご両親がしっかりしてたということもあるんだと思いますが---。誰にでも欠点はありますからね。その欠点を認めてあげられるようなご両親だったということでしょう?それは、やっぱり立派ですねぇ。お父さんお母さんがねぇ。

難波 「私は選んでこの家族になったわけではないが、助け合って生きる原点ともなるのが家族だと思う。家族の人を尊敬しています。親は『勉強しなさい』なんて全然言わなかったので、勉強をやる気が起こってくると思う。でも、姉にはもっと色々感謝している気がする」つまりお姉さんとの仲の良さもねぇ、家族の中できっとあった、こういう声の奥にふれあいの豊かな家族関係がイメージされてきて、家族が濃密な絡みあった生活を営んでおったら、こういう優しい気配りのきく子どもが育っていくんじゃないかなぁということを感じまして、父の日を前にぜひ考えて欲しいなあと思いました。

アナウンサー1 負うた子に教えられることは、たくさんあるわけですね。

難波 はい

アナウンサー1 どうもありがとうございました。

アナウンサー2 ありがとうございました。

難波 どうも

アナウンサー1 子育て教育なんでも相談ネットワーク 代表世話人 難波一夫さんでした。
(これは2007年6月8日に放送されたものです)


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 №68

 RSK 山陽放送ラジオ
おかやま朝まるステーション
難波一夫さん 出演 ① 2010年11月25日(木)26日(金)


テーマ音楽

アナウンサー1 おはようございます。お目覚めいかがでしょうか。お変わりなければ何よりですが---。
おかやま朝まるステーション、週の後半のお相手は、滝沢忠孝です。どうぞよろしくお願いします。そして木曜日、金曜日のお客様ですけれども、ちょいと読ませていただきます。
「難波先生は、どんな人ですか?と尋ねられたら、私たちは『それは、でっかい白い頭と目の覚めるような大きな声。そして決して怖くはないけど迫力のある顔』とまず答えます。」高松農業高校の生徒さんです。難波先生、まずはご感想を!

難波 その通りですね

アナウンサー1 今、とても真っ赤になっていらっしゃいます。照れていらっしゃる。

難波 はい照れますね。

アナウンサー1 白髪なだけに、余計にポ-っと顔が紅潮されておりますけれど

アナウンサー1 子育て・教育なんでも相談ネットワーク代表世話人の難波一夫さん。今日のお客様です。どうぞよろしくお願いします。

難波 よろしくお願いします。

アナウンサー1 確かに、大きなでっかい白い頭と、メガネも随分大きなフレームで----。トレードマークで?

難波 そうですねなんとなくこれできました

アナウンサー1 そして、今日お召しなのは、まるで高校生の詰め襟のようなタイプのジャケット。

難波 そうですねえ。めんどくさいので、ネクタイをするのがだんだん嫌になりまして、できるだけ簡単な服装を心がけております。

アナウンサー1 「滝沢さん、おはようございます。今朝は子育て・教育何でも相談ネットワークの難波先生でしたね。先生、お元気ですか?」というメールが届いています。

難波 はい元気ですよ。とっても元気です。

アナウンサー1 え-、80と1歳、と伺いましたけれども、お元気です。「五十歳代の私、主婦です。高松農業高校の卒業生です。子育ての時は、電話相談したこともあります。一度お会いしたいなぁ、なんて。相変わらず大きなお声なんでしょうね。寒くなりますが、お体に気をつけてくださいね」

難波 顔が浮かんできますね。いろんな子どもたちの顔が アナウンサー1 。その中のどの子かなぁ、と思いながら、今聞いております。

アナウンサー1 「難波先生のいいところをいっぱい放送してくださいね」どうぞ、皆さん、お楽しみになっておいでだと思いますけど、今日はその子どもさん達の作文もまた是非ご披露願いたいと思います。子育て・教育なんでも相談ネットワーク代表世話人、おなじみの難波一夫先生と、この後1時間ご一緒です。

CM ニュース

アナウンサー1 さて難波先生---

難波 はい

アナウンサー1 倉敷でとんでもない出来事がありました。この後お伝えします。一緒に是非お聞きください。

山陽新聞ニュースです。昨日倉敷市で女子中学生が刃物で刺されて死亡し、17歳の兄が逮捕されました。昨日午後3時35分頃、倉敷市の女性から、近くに住む孫が包丁で刺されたと、119番通報がありました。倉敷警察署の署員が駆けつけると、14歳の中学3年の女子生徒が、自宅洗面所で血を流して倒れており、まもなく死亡が確認されました。側にいた無職の17歳の兄が犯行を認めたため、倉敷警察署は、殺人未遂の疑いで現行犯逮捕し、殺人容疑に切り替えて調べています。警察によりますと、事件直前に妹と口論になったとみられ、「馬鹿にされたのでカッとなってやった」と供述しています。親族等によりますと、少年は中学時代から引きこもりがちだったと言い、親族の家に一時期預けられていましたが、数日前に自宅へ戻っていたということです。少年は、昨日午後3時25分ごろ自宅で妹を殺害しようと、包丁で刺した疑いが持たれています。倉敷警察署によりますと、一家は四人暮らしで、当時、両親は不在でした。少年は、電話で母親に犯行抗を打ち明け、祖母が119番したということです。倉敷警察署は、家庭内トラブルや犯行の経緯を捜査するとともに、遺体を司法解剖して死因を調べます。

別のニュース CM

アナウンサー1 さて難波先生。「バカにされたのでカッとなってやった」17歳の兄が、中学3年14歳の妹を刺し殺すという出来事です。倉敷で起きました。

難波 そうですねぇ。この子---。お兄ちゃんは、どんな子どもであったのかというのが、もう一つ分かりませんけど、無職の少年であった、17歳ということは、中学校卒業した後高校へも行かない、あるいはいけないで、家の中にこもりがちであったということの中で起きたということに、大きな原因の一つがあるように思われますね。

アナウンサー1 先生のもとには、色々と学校へ行けない子どもさんたちからの、あるいは親御さんからの相談というのは、随分多く寄せられると思いますけど、引きこもった状態で色々なものが、どんどんどんどん子どもの中に溜まっていくというようなことが言えますか。

難波 そうですねぇ。子どもの状況を見た時に、例えば子どもの心の中を私なりに分析してみますとね、子どもがイライラする、ムカムカする、それからドキドキする、モヤモヤする、さびしいむなしいなどこういう気持ちが、今、子どもたちの心の中にいっぱい詰まっていると思うんですね。今言ったことが象徴的に見えるのは、子どもたちがよく言う言葉で言いますと、ムカつく、イラつく、それだけでは自分の気持ちが言い表せないから、前に”’チョー”をつけて、”チョームカ””チョーイラ”と言いますね。ある時、保育園に行きましてこんな話をしておりましたらね、園長先生が、「先生、そんなの古いですよ」と言われましてね。「何で古いんですか」と聞いたらね「今の子は、”チョー”と”ムカ”の間にもう一つ言葉を入れる」「どういうんですか?」と聞きましたらね、「”チョーミラクルイラつく”という」。「保育園の子がですか?」と聞きなおしたらね、「保育園の子がです。きっと、お兄ちゃん、お姉ちゃんが言ってるのを聞いて、それで言ってるのに違いない。その子が、『園長先生、”チョーミラクルイラつく”いうてどういうこと?』と私に聞くんですよ」とおっしゃったことがありましたね。それぐらい、イライラ、ムカムカする気持ちをいっぱい持った子がおるわけなんです。
その中に2通りありましてね。お友達がいて、友だちと話せる子。この子ども達は自分の気持ちを喋れてよかった、僕の気持ちわかってくれた、ということになっていく。これを”行動化”というんです。

アナウンサー1 「俺も一緒」、「お前も一緒だ」

難波 「おめえ算数分かったか」「分からんのじゃ!」「おめえもか」「ワイもじゃ」こういう話を子ども同士しながら、やっぱり共通の問題として、大人だってそうだと思うんですね。「きょう会社でなんかムカつくことがあってな」「あんたもそうなん。私もよ」「じゃあ帰りにコーヒーでも飲んで帰ろうか」そういう話になってね、それで気が落ち着いて、「今日はよかった」という形で、ストレスを解消していく。これが”行動化”で、親友もそういう形の中で出来る。
でも、もう一方で、そういう”行動化”ができない子ども達がおるんです。”身体化”と言うんです。つまりからだの中に溜め込む。だから、それをいっぱい溜め込んで、そして、それがお腹が痛いことにつながったり、頭が痛くなったり、熱が出たり、それでもって、学校へ行けない。あるいは、逆に学校へ行かないことでそういうものが出てくる、というような二つの傾向がありましてね。片一方がひきこもりになり、片一方が問題行動につながっていく、こういう別れ方をすると思うんですね。

アナウンサー1 一つ間違えばとんでもないことになりかねないほど溜まっている---。

難波 そういうことです
(続く)

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no. 69
RSKラジオ放送 おかやま朝まるステーション
難波一夫さん出演②………2010年11月25日


アナウンサ
ー  改めて今日のお客様をご紹介します。子育て・教育なんでも相談ネットワーク代表世話人の難波一夫さんです。難波先生には、もう山陽放送ラジオは、20年ほど前から色々な場面でご出演をお願いして、ラジオをお聴きの皆さんにも、すっかりお馴染みのお声とお名前だと思うんですが、改めまして、おはようございます。

難波 おはようございます。

アナウンサー 「難波先生のお声をお聞きして、懐かしく思います。以前この番組にも、電話ですが出演されてましたよね。ずっと聞いていました(元祖桃太郎さん)」
「懐かしい難波先生の、大好きなお声、とても嬉しいです。二日間楽しみにしています」。匿名さんからのメールも届いています。

難波 嬉しいですね。

アナウンサー お元気でいらっしゃいますが、いつのまにか81歳ということで、子育て教育なんでも相談ネットワークも、もう20年---。

難波 そうですね。私の81マイナス60の時から始まったわけですから---

アナウンサ
ー 学校の先生は定年で退職されて60歳。それから---

難波 そうです。それからずっとですからね。

アナウンサー あの-、「はっきり言ってデモシカ先生だったんです。でも張り切っておりました」と、おっしゃっておられましたね。難波少年は、大人になったら何になりたいというような夢をお持ちだったのですか?

難波 はい。私らの時代は、戦時中なもんでね。だから、軍人になるのが夢だったし、それから、両親も「立派な兵隊さんになれ」というのがね、大きな希望を託してくれたと言いますか、「しっかり頑張れ」ということで、それに応えるのが親孝行だと思ってましたから、そのために、一生懸命に勉強して行こうと思って、それで迎えたのが昭和20年なんですよね。8月15日、終戦の日ということになりまして、その時が中学校の4年生だったわけです。

アナウンサー 岡山一中の---。

難波 岡山一中の4年生だったもんで、その時にちょうど陸軍士官学校の試験があるということで、広島まで行く予定だったんですけれど、日程が少し変更になりまして、その時に陸軍経理学校の試験を受けに行った同級生達が原爆にあうということになりましたけれど、私は運良くと言いましょうか、原爆に会わずに先に伸びるというようなことになりましてね。結局陸軍の軍人になることもなく、終戦を迎えた。
それで、そこから先、自分は将来何をしたらいいのか、ということの夢も希望もなかなか出てきませんでした。特に、岡山の空襲で家は丸焼け、父も仕事を変わる、住むところがない、母親の実家に帰る、そこでつつましい生活を繰り返す、というようなことになりましたね。それで、なんとか学校を出た後、やらなきゃならん仕事を見つける中で、たまたま中学校の時の恩師が高校の校長先生をしていらっしゃって、そこへ来ないかと言われまして行ったのが運のつきと言いましょうか、はじめの一歩になりまして---。

アナウンサー 運のつきなんておっしゃらないでください。

難波 ハッハッハッハ---

アナウンサー 岡山一中は、お城のところに---

難波 そうなんです。お城のところへ勉強に行ったのを思い出しますね。でも、2年生まではしっかり勉強したんですけど、あとは、クラボウの万寿工場へ学徒動員で行きましてね。チボリがあったところですよね。あそこで飛行機を作る仕事をずっとやりました。

アナウンサー 当時。「ナンブー」と言われていた---。お友達から---。

難波 はい

アナウンサー どうしてですか

難波 「難波のブタ」という---、太っていたんですね。それで、略して「ナンブー」「ナンブー」というのが、あだ名でした。

アナウンサー そうですか。

難波
 はい。

アナウンサー 感じ悪いですね。

難波 いやいや、別にそうは思わなかったですね。

アナウンサー むしろ、仲間内のニックネーム---。

難波 はい、「おい、ナンブー!」「おう、何じゃ!」というような関係だったですから。

アナウンサー あーそうですか。なるほどね。で、その中学校も焼けてしまった。6月29日。岡山が戦場であった。空襲?

難波 空襲に遭いましたね。

アナウンサー それを、決して忘れることはない---。

難波 はい。忘れられませんね。特に、父親が当時町内の役員をしておりましてね、夜のさなかに、「空襲じゃ!空襲じゃ!」というて、近所へ伝令のように走って回って、父親がいない時に、早くも爆弾が落ち始めましてね。ちょうど、門田の、今、山陽女子高校になっているあそこへ、カネボウがありまして、あそこを集中的に狙って爆弾が落ちたようでしたね。それで、もうとにかく逃げんといけんというんで、母親はリュックサックの中にお米と位牌と貯金通帳を入れて逃げる用意をし、私達は、弟と一緒に、布団をかぶって逃げる用意をしながら、父親が連絡をして帰ってくるのを待っていたという状況でした。

アナウンサー 今日も、後でニュースに入ってくるかもしれませんが、韓国と北朝鮮の間で、とんでもないことが始まって、でも、かつて、この岡山でもそうだったんだぞ、という実話ですよね。

難波 そうなんです。それで、何人も空襲で---。戦争というのは、テレビや映画で見るよりは、もっともっと、真実というのは残酷なものですね。玉井宮というお宮が東山にあるんですが、そこを一生懸命逃げたんです。アメリカ軍が、ピカッと光る照明弾をまず落としましてね。明るくしといて、黄燐焼夷弾やなんかを落としていくんですね。黄燐焼夷弾と油脂焼夷弾というのがあって、黄燐焼夷弾は、普通の温度でも発火します。そして、至る所が火事になって---。

アナウンサー 「お袋を支えて懸命に走った。『私は、しんどいからここに残る』『何を言うんじゃ、死んでしまうぞ』バチバチと燃え上がった炎の映る横顔を睨みつけ、それでも走った。照明弾が落ちる。眩しい。思わず身を縮める直後に爆弾。シュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュル。道端に、焼けた遺体が横たわっていた。布団をかけ手を合わせて走った。それからどれぐらい経っただろうか。夜が明けてきた。家はどうなっただろうか。教科書は、可愛かった猫は、ニワトリは。近くまで帰ってみたら、何もかも、すっかり焼けてしまっていた。そう、本当に。『何もかも、これで我が家も終わりじゃ』絞り出すように言った父親の声を忘れることはない。」

難波 はぁ-。何かに書いておりましたね。

アナウンサー 「岡山が戦場だった時」と題して、難波一夫先生が書かれてました。その1ページを紹介しました。

CM ニュース CM

アナウンサー 今朝のお客様。子育て・教育なんでも相談ネットワーク代表世話人 難波一夫さんです。難波さん、なんでも相談ネットワークと看板に出したものですから、色んな相談が寄せられている、子育てと教育に関してというおつもりだったのに、戸惑ったという場面もおありだったとか。

難波 はい。ということは、子どもの相談を考えていくと、親の考え方とか親の方針とかいうものに必ず当たりますよね。だから、子どもを変えて行くためには、親が変わらんといけない。という部分もあって、それに気づいたお父さんやお母さんからの電話が、ずいぶん増えてきましてね。最近では、人生相談のようなものが一番多くなりました。

アナウンサー 親御さんの人生相談が---。

難波 しかも、それは子どもさんの事を通じながら、子どもの話をしながら、自分のこれからの人生について考えていくという、そういうゆながり方として、増えてきたように思います。

アナウンサー そうですか。難波先生を中心に、今、8人の方が活動されているということで、ボランティアです。そして、私たちの仕事はコーディネーターのようなものだ、とおっしゃっています。しかしながら、子育て・教育なんでも相談ネットワークという事務所は、現代の駆け込み寺という風にも理解できるのかもしれませんがーーー。
いちご大福餅さん。「難波先生のお話は、楽しみにしています。私は、先生にお会いしたことはありませんが、以前あった朝の難波先生のコーナーを、楽しみに聞いていました。また、末娘が高松農業高校でお世話になったことで、より身近に思います。私には、三人娘がおりまして、それぞれ娘たちは違う高校で高校時代を楽しんでいましたが、末娘は特別で、先生のお人柄のように、高松農業高校で毎日楽しく楽しく登校していました。中学時代には、ちょっと問題があったりした子ですが、でも、お陰でとてもよかったです。温かい心遣いのお話、いっぱいお聞かせください」というメール。
こちらは、「9年前先生の優しい励ましが、私の救いでした。高校の息子が不登校になり、初めての事に戸惑い、苦しみ、悲しみ、何で?って、自分を責めたり、人のせいにしたり、本当につらかったです。でも、先生に話を聞いてもらい、本当に、あの頃乗り越えることができました。今、まだ社会には出ていない息子で、先生によい報告もできませんが、家業を手伝い、年々よい変化を感じています。将来、不安がないわけではありませんが、とにかく、今があること、先生に感謝で、もう、お声を聞くと涙が出ます。放送楽しみです。81歳にはとても思えませんよ」Yさんという方から。

難波 ありがとうございます。

アナウンサー みなさん、先生のお人柄に、ラジオを通して触れて、あるいは直接ご相談されたり、というメールも届いています。今日も、先生の手元には、たくさんの子どもたちの心が集められた---。ファイリングされて、随分分厚い---。

難波 そうですねぇ。20年間の私の宝物ですから。

アナウンサー ご紹介いただけますか?
難波 そうですねぇ。いろいろあるんですけれど、私は、立派なお父さんやお母さんになろうということばっかりを考えないで、こんな子どもたちの声があるんだというのを、一つ紹介したいと思います。
それは小学校5年生の子で、「私の母ちゃんバカ母ちゃん」という作文を書いた子がいるんです。

アナウンサー 「私の母ちゃんバカ母ちゃん」

難波 「私の母ちゃんは、本当に馬鹿です。いつも失敗ばかりしています。掃除と洗濯を一緒にするから、煮物の途中でシャツを干そうとしていて、煮物が吹きこぼれ、火を止めに走ろうとすると、竿に通しかけたシャツは地面に放り出されます。シャツは泥だらけ。そして、煮物の鍋は、ひっくり返して台無しです。すると、馬鹿母ちゃんは、ひょうきんに。すぐおどけて謝ります。『こんな私で悪かった。ごめんね。父ちゃん、かんべんな』すると、父ちゃんは、『バカだなあ』と言って笑います。そういう父ちゃんも、バカ父ちゃんです。いつかの日曜日、みんなで朝ご飯を食べていると、奥から慌ててズボンと洋服を着ながら、鞄を抱えて茶の間を通り抜けていきました。「ああ、もうだめだ。こりゃいかん』とか言って、玄関から飛び出して行ってしまいました。『しばらくすると帰ってくるからな』と、母ちゃんは落ち着いたものです。すると、案の定、父ちゃんは帰ってきて、恥ずかしそうに『また無駄な努力をしてしまった。日曜日だというのに、ハハハ』と言い訳を言っています。そんなバカ父ちゃんと、バカ母ちゃんの間に生まれた私が、利口なはずがありません。弟もバカです。私のところは、家中みんなバカです。でも、私はそんなバカ母ちゃんが大好きです。世界中の誰よりも、一番好きです。私は、大きくなったら、うちのバカ母ちゃんのような大人になって、うちのバカ父ちゃんのような男の人と結婚して、子どもを産みます。そして、私のようなバカ姉ちゃんと、弟のようなバカ弟を作って、家中バカ一家で、今の私の家のように、明るくて楽しい家庭にしたいと思います。バカ母ちゃん、その時まで元気でいてくださいね」すごいでしょう---。

アナウンサー すごいですね---。

(つづく)

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 №7o
 RSKラジオ放送 おかやま朝まるステーション
難波一夫さん出演③………2010年11月25日


CM 気象情報 スポーツニュース (大相撲のニュースほか)

アナウンサー お相撲はやっぱり興味が---?

難波 そうですね。”ナンブー”と言われた時代は、相撲の選手(小学校の時)だったんですよ。

アナウンサー 強かったんですか。

難波 弱かった。ハハハ---。

アナウンサー からだが大きくて---。

難波 からだが大きくて、ブヨブヨったんでしょうね、きっと。

アナウンサー あんこ型。

難波 はあ---。

アナウンサー そうですか。

難波 選手になって出たんですけど、あまり勝てなかったですね。

アナウンサー そうですか。私の親父に話を聞きますと、やっぱり子どもの頃は相撲というのが、他に遊ぶ道具もなかったので、みんなでぶつかり合って燃えたという場面だったそうですねぇ。

難波 それで、基本的に練習している人たちというのは、突っ張っていくでしょう。私は、そこら辺があまりできなくて、投げることばかり考えて、 それで、引き寄せて”ヤグラ投げ”というのをするのが好きで、「やぐら、やぐら」とみんなから言われると、思わず”やぐら投げ”をかけて---。

アナウンサー ”ナンブ-”の得意技”やぐら投げ”!

難波 それで負けょうりましたね。ハハハ---。

アナウンサー 負けちゃいけません。
せっかくですから、先生、たくさん今日お持ちいただいた作文の中から、もう一つ選んでおいて頂いて、番組の時間、そのために少し用意しますので、後ほどまたご紹介いただければと思います。

CM ニュース
ウェザーリポート

アナウンサー 先生、お待たせしました。ラジオをお聴きの皆さんもお待ちかねだと思いますが、子どもたちの心をご紹介ください。

難波 はい。まず一つは、子ども達は、お父さんとお母さんがどんな関係でいるのかなというのを、絶えず気にしながら毎日を過ごしている部分がありますね。こんな作文を書いた、これは詩ですね、小学校3年生の子がいます。

アナウンサー 男の子ですか?

難波 男の子です。

お母さんとお金
あるとき お父さんに聞いてみた
お父さん、お母さんとお金とどっちがいい?
そりゃ お母さんがいい
1000万円出しても?
うん
1億円出しても?
うん
いくら出しても?
私は やっぱりと思った
やっぱり 好きで結婚したんだな」

アナウンサー わーー---。

難波 ねえ-。もう、なんか、よく分かりますね。でも、中には、1千万円では「うん」と言えたけど、「1億円出しても」と言われたら、「う--ーんん」と言いながら、次の言葉が出なかったというようなこともあるんじゃないでしょうかねぇ。

アナウンサー 子どもにとってみれば、お父さんとお母さんが仲良くというのは一番なんですよね。

難波 そうなんですねぇ。もう一つよろしいですか?小学校5年生の「お父さんとお母さん」というのがあります。「お父さんが、遅くまで仕事をしてくる時、お母さんはご飯を食べずに待っています。ぼくたちは、先に食べてしまいます。お父さんは、黙っているけれど、本当はとても嬉しいんじゃないかな、お父さんとお母さんが、二人とも仕事で遅い時は、お父さんも手伝って風呂を沸かしたり、布団を敷いたりします。お米を研いだりしてくれます。家の仕事も二人で協力して助け合うもんだなと思います。きっとお母さんだって、とっても喜んでいるとぼくは思います。
でも、いいことばかりではありません。それは夫婦げんかです。けんかになると、お父さんは黙って出ていってしまいます。そして、2時間くらいたつと、お父さんは何をしていたか分からないけれど、すっきりした顔で帰ってきて、お母さんにやさしく話しかけます。すると、お母さんもやさしい声で返事をします。だから僕は、心配してそんしたなあと思うことがあります。
、でも大きくなったとき、ぼくもお父さんみたいになれるかなーと思うときがあります。僕はがまんが足りないからです。それで、お父さんに聞いてみたら『大丈夫さ。いいお嫁さんと結婚すれば、お前もそうなる』といった。僕はああそうかと思った、お父さんは、お母さんが好きだからやさしいんだなあと思った」
 夫婦がこうあってくれたら、子どもたちはねえ、いい毎日が過ごせると思うんですよね。

アナウンサー
 本当にそうですねえ。
皆さんからファックス、メールが、今日はたくさん届いています。
「久しぶりに難波先生の声を聞いています。先生、八十歳ですか。声がとてもお若いのでびっくりです。私、先生のお話が大好きです。さっきの「バカ母ちゃん」の作文、とってもよくかけてますね。子どもって、親のことほんとによく見ているのに驚きです。朝から涙が出ました。ほんとに大笑いしました。先生、明日も楽しみに聞きますよ」

難波 ありがとうございます。

アナウンサー 先生、泣いていらっしゃるんですか。

難波 は?アハハハ…。

アナウンサー いやだ-、二人で涙を流して…。
「懐かしい先生の声をお聞きして、気持ちがホッとしています。81歳ですって?まあ、ずっと60代だと思ってました。今日・明日の放送、楽しみにお聞きしています」
みなさんからメールが…。明日もご紹介させていただきますので、お寄せいただきたいと思います。先生がまとめた本「心に包帯を巻いて」、、この中にも、たくさんの実話と、純真な子どもたちの思いと、込められてますね。明日もぜひ紹介させていただきます。まだまだ本当に、先生は「宝物」とおっしゃって大事に抱えてお持ちくださいましたけれども、明日もたくさんの子どもたちの気持ちをぜひ紹介してください。

難波 はい。

アナウンサー ありがとうございました。

難波 こちらこそ。ありがとうございました。

アナウンサー 最後は二人して涙を拭きながらになってしまいましたけど、お客様、子育て・教育なんでも相談ネットワーク代表世話人をお勤めの難波一夫さんでした。どうもありがとうございました

難波 ありがとうございました。

アナウンサー 明日もお待ちしています。


「お母さん,ぼく何でも言うこときくから学校だけは行かせないで」…,こんな子どもたちの息づかいが聞こえますか?著者の相談ネットワークには,様々な悩み事がよせられる.いじめとたたかったM君.愛して,信じて,待ったお母さん.本書は,登校拒否やいじめに悩む親子の子育て相談体験記である.
もくじ
1 相談の状況
2 子どもの3 いま,気になる子どもの心のなか
4 居場所も,夢も,希望もない子どもたち
5 いま,子どもたちが問いかけているもの
6 だれだって輝いて生きたい!
7 お母さん! 愛の時間よ
8 愛して,信じて,待って
9 いじめとたたかったMくん
10 たから物さがしに-むすびにかえて

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 №71 
RSK山陽放送ラジオ 「おかやま朝まるステーション」
難波一夫さん出演番組 2010年11月25日・26日2日目の1


アナウンサー おはようございます。お目覚めいかがでしょうか 。お変わりなければ何よりです。 11月26日金曜日「おかやま朝まるステーション」、お相手の滝沢忠孝です。そして、今朝も、スタジオには「子育て・教育なんでも相談ネットワーク」代表世話人の難波一夫さんです。
おはようございます。

難波 おはようございます。

アナウンサー はい。難波さん、早速今朝も皆さんからメールと FAX 届いております。 「難波先生の教え子の数は、想像できない多さ大さでしょう」

難波 想像できませんね。

アナウンサー そして、「難波先生の声を聞くと、懐かしい小学校の先生が脳裏に浮かんできます。ところで、先生は現役時代に生徒に体罰はされたのでしょうか。暴力をふるう子どもたちを諭す時にはどのような言葉をお話になったんでしょうか」

難波 暴力をふるったことは、絶対にありません。子どもと向かい合いながら、子どもの目を見ながら、心の中では、「愛して・信じて・待って」と言い続けましたね。思い続けましたね。「愛して・信じて・待って」。お前を本当に心から「信じて・愛して」いるんだと。だから、 こういう言葉を言うんだ、叱るんだ、こういうことだけは言いましたね。最後は、やっぱりいっぺんに変わるもんじゃありませんから、「待って」やらないと、この「待つ」のが大変なんですねえ。

アナウンサー「難波先生のお声は。以前から朝まるのラジオで聴いていました。まさか81歳とは知りませんでした。」--- 余計なことを言っちゃいましたかね。

難波 いえいえ。

アナウンサー 「岡山空襲のお話、バカ母ちゃんの話、もう泣いてしまいました。思い出すと、また泣けてしまいます。妻や子どもを大事にしなければと、あらためて思いました。明日は どんないいお話が聞けるんでしょうか。46歳の男性です。メールで失礼します」

難波 ありがとうございます。

アナウンサー 昨日も、目的地に到着してもなかなか車から降りられないという方が多くって、 先生のお話を一区切りつくまでは聞かないと---。 

難波 うれしいですねえ。

アナウンサー なかには、涙--- きのう日私も何かうるうるしてしまいましたけれども、今日もまた、すてきなお話、子どもたちの心がいっぱいつまったファイルをお持ちです 。随分重たいでしょうね 。
難波 重たいです。重たいけれど、これが私の宝物ですから。どこへ行くにもこれを提げてて、そして、いっぱい引き出しがありますから、その引き出しの中から ---。何十年の歴史と宝物ですから大事にしております 。 

アナウンサー その大事な先生の宝物の中から、今朝もいくつかご披露いただこうと思います 。 
皆さんからのメール ・FAX でのご参加もお待ちしています 。今日は難波一夫先生とご一緒です。

CM 7時の時報 ニュース

(ニュースの中の一つ)宮城県石巻市で二人を殺害し、一人に大けがをさせたとして、殺人などの罪に問われた少年の裁判で仙台地裁は昨日、裁判員裁判では初めて少年の被告に死刑判決を言い渡しました 。
この裁判は、今年2月石巻市で交際相手だった少女の家に押し入り、少女の姉で当時20歳の南部みささんと、友人で当時18歳の大森みかこさんの二人を刃物で刺して殺害したほか、男性一人にも大けがをさせたとして事件当時18歳の裁判で少年は3人の殺傷を認め、警察側は死刑を求刑していました 。
判決で、仙台地裁の鈴木信行裁判長は、「遺族の感情などを踏まえた上で、事件当時18歳だったことは、死刑を回避する理由にならず、少年が立ち直る可能性は著しく低いと言わざるを得ない」と指摘して、裁判員裁判では初めて少年の被告に死刑を言い渡しました。
少年の弁護士によりますと、「少年は判決を受け入れたいと話している」ということですが、弁護士は少年に控訴を促す方針です。
一方、裁判員を務めた男性は記者会見で、死刑判決の言い渡しについて「怖かった。一生悩み続けると思いました」と心境を語りました 。

CM

アナウンサー さて、難波さん、「事件当時18歳だったことは、死刑を回避する理由にはならない 。少年が立ち直る可能性は著しく低いと言わざるを得ない」という指摘で、死刑が判決で言い渡されたという仙台地裁のこのできごと、どのようにご覧になっておいででしょうか。

難波 私は、立ち直る可能性というものを、捨ててはいけないと思うんですねえ。
あのー萩原朔太郎の詩かなんかに、飛び降りることを考えた子どもが屋上から飛び降りて、そして、その飛び降りている最中に、「シマッタ-。」もう1回生きようと思ってももう遅いと。つまり、それは、死につながるわけですから、もう一度立ち直る可能性というものをあくまでも信じてやる、そのことが一番大事なことじゃないかなぁ-と思うんですね。
なぜどう思うかと言いますと、静岡県の少年院の子どもたちが「ぼくの一言」というのを書いたものがあるんですねぇ。
「裁判官さんへ 。『お母さん、子どもがこうなってしまったのは、親のあなたの責任ですよ 。分かっているんですか。ほんとうのお母さんんですか』。審判の時あなたの言った言葉です 。裁判官、少しは母の気持ち、ぼくの気持ちを考えてものを言ってください」 。こういうのもあるんですよね ぇ。で、お母さんは「お前なんか鑑別所へでも、少年院へでも入らないと分からないんだ 。口ではきつく言ってたけれど、ぼくが警察に連れて行かれる時の母ちゃんの涙は、一生忘れません。こんな家になんで僕を生んだんだよ。本当につらいことを言ってごめんなさい 。私はこの家族に囲まれて幸せをかみしめています」。こんなことの言える可能性をすべて否定される 。それが死刑だと思うんですね 。
私は、立ち直りのためには、何十年、何百年かかっても、終身刑でこの子の立ち直りを考えてやるのが一番大事なことではないか 。被害者にとっても、このことを考えて、人間の可能性というか、未来を信じてやることが、子育ての中でも大事にしてほしいと思いますね 。

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