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ネットワーク通信バックナンバーREPORT

 No.103(抄)
INDEX
豪雨被災地矢掛からの報告
「サラ先生に聞くアメリカの教育事情」 大谷 浩司
◇参加者の感想
◇私の好きな芸術家    石川 真佐代

豪雨被災地矢掛からの報告               
代表世話人・矢掛町議    石 井 信 行
7月7日の朝、外は一面の海でした。わずかに、小田川の堤防が2本、今にも川の流れに消えてしまいそうな感じで見えました。
 前の日の夜10時頃、大雨の中、私は町内会長と一緒に、国道486号線沿いの新しい団地5軒に、
「車を山側の道に上げて下さい。人間は二階に逃げられるけど、車は逃げられんから。」と叫びながら、車を移動してもらいました。
 車を移動した家は、人も避難していましたが、移動させていなかった2軒からは、「床上浸水で、二階に上がる階段の三段目まで水がきています。救出をお願いできませんか。」と電話があり、消防隊に出動してもらいました。
母親と中学生が、最初にボートで救出され、次いで夫婦が救出され、その人たちも、昨夜から一時避難していた2家族と、町内の公民館で合流しました。
 国道が、冠水して寸断されているらしく、山の手側の我が家の下の道を車が、行ったり来たりしてごった返していました。国道486号線(通称倉敷井原線)は、冠水しているばかりか、根がむき出しの流木が何本も国道にあり、大型コンテナも横転したままでした。
 我が家は、中川小学校区なのですが、高梁川支流の小田川が校区内3か所で決壊し、国道沿いと小田川沿いの集落が床上浸水しました。ひどい所では、二階の床近くまで浸水し、二階へ逃げるのがやっとという家も多くありました。
 中川小学校の体育館に立つと、私の目の高さまで、緞帳に泥水の跡形がついていました。運動場のはしっこのブロック塀は、根っこからなぎ倒されて、用水路をせき止めています。小学校から200mほど下流の小田川土手が決壊したからです。学校近くの被災世帯25軒85人に、もれなく飲料水と食料を配るのには、たくさんの人の手が必要でした。
 中川小の45人の子どもたちは、隣の川面小学校と合同して、学習をしました。バスで学校から、隣の学校まで運ばれていきました。
今、床下床上浸水を問わず、各家では、床板を剥がし、根太も取り、戸をあけ放って床下を乾かし、消石灰を播いて殺菌をしている状態です。
 被災から三週間以上過ぎた今、台風の襲来を心配しつつも、何とか復興をしようと、炎暑の中、片づけと再建を急いでいます。
 それにつけても、真備町の被害は、想像を超えるものです。矢掛の比ではありませんが、私たちは、近所の人々と励まし合いながら、少しでも早い復興を願いつつ、矢掛の支援活動を続けています。  
                                  2018・7・28   石井 信行

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They say cut back   We say fight back!
シカゴから日本への警鐘 「同じことが 日本でも必ず起こる!!」
   相談員 大谷 浩司

7月27日岡山市内でおかやま教育文化センター主催の「サラ先生に聞くアメリカの教育事情」と題する「シカゴ&岡山交流のつどい」が開かれ40名が参加しました。つどいではシカゴ教員組合のサラ・チェンバースさんが、教職員、父母、子どもたちともにたたかったシカゴでの学校統廃合反対の取り組みについて講演しました。サラさんは「学力テストの結果を理由にした学校統廃合に対し、保護者に粘り強く働きかけ、最終的には子どもたちも反対運動を支援してくれた。」「日本でもシカゴのようなことは、必ず起こってくる。従順ではなく、たたかおう」と熱く語りかけました。
 講演の後の質問コーナーでは、フロアーからたくさんの発言があり、あっという間に時間がたってしまいました。
 つどいでは「子育て教育のつどい2017」全体会講師の世取山洋介氏に、サラさんの通訳をしていただきました。また今回の企画を提案していただいた「つどい2018」全体会講師の山本由美先生も参加し発言されました。
 パワーあふれるサラさんの話に、参加者はおおいに元気をもらいました。講演の最後にはサラさんが「みんなご一緒に」と呼びかけると、参加者は全員起立しサラさんに続けて
They say cut back We say fight back!
と元気よくコールしました。
閉会のあいさつの最後にも再び全員でコールしました。

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参加者の感想

 アメリカの子が銃乱射事件の後、銃規制に涙ながらに悲しみや怒りを訴えていた動画を見ました。日本でこんな生き生きと意見を表すことができるような子どもがいるのだろうか?でも、日本の子どもたちにもそういう力はあると思います。サラ先生の情熱にふれて、私も地道に声を上げていくことを忘れずにいたいと思いました。

 これからの子どもたちのために、何かアクションを起こさなければと思った。まず、この話を身近な人に知らせたいと思います。


 アメリカといえばすぐに『トランプのアメリカ』といった一面的にとらえることが多かったが,草の根でがんばっている『もう一つのアメリカ』が健在であり、ストライキを教師が打てる(日本がこのところ、とうに失った側面)社会でもあるのだ、というところが大きな励ましになった。


 「独歩館」での懇親会に参加しました。パワー全開の講演の後でしたが、サラさんの勢いは止まらず、「従順ではいけない」「たたかおう」
と熱く語りました。広いフロアーの他のお客さんも「なんだあの元気なアメリカ人は」という好意的な(?)反応でした。

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私の好きな芸術家       石川 真佐代
私が青木繁という画家を知ったのは学生の頃です。幼いころからお絵かきが好きで、その延長として美術を勉強しました。大学でK先生に学んだことで、私は今も絵をかきつづけているのだと思っています。
 K先生はご自分が大学に籍を置ける年の間に卒業をしなかったおもしろい人でした。新宿中村屋の相馬黒光と彫刻家の荻原守衛のことを、目を半ばつむって話してくれました。それはもう講義ではなく、目をつむれば浮かんでくるものを語るというものでした。青木繁と荻原守衛の二人の作品は私も好きな作品なので、K先生の時間が楽しみでした。
 二人とも激しい恋をして、それが芸術にも昇華されているような人です。青木は「海の幸」が代表作ですが、古事記を題材に作品を残しています。子どもの頃よくラジオから流れていた「笛吹き童子」の笛の音は繁の忘れ形見の福田蘭童のものでした。「ヒャラリヒャラリーコ」という主題歌を聞きながら、ラジオのドラマに心を躍らせたものです。青木繁は、一か所に落ち着かず絵をかきつづけましたが、古事記からイメージした絵は生き生きしています。幸せな家庭より絵を描き続けることを望んだのか、旅に生き旅で死にました。そして、荻原守衛もまた、新宿中村屋の黒光への思いをもって病に倒れました。二人とも若く、あまり幸せとは言えない死に方をしました。でも、素晴らしい作品を残して・・・・。
 もしまだ荻原守衛や青木繁をご存じない方は、若くして駆け抜けた二人の残した作品をぜひご覧ください。命をかけて、表現に生きた二人の作品から、何を感じられることでしょう

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