本文へスキップ

相談活動30年の信頼!ひとりで悩まず、まずは相談してみましょう。子育て・教育なんでも相談ネットワーク

電話でのお問い合わせはTEL.086-226-0110

〒700-0822 岡山市北区表町1-4-64 上之町ビル3F

ネットワーク通信バックナンバーREPORT

 No.102(抄)
 INDEX
◇ともに悩むのが仕事?  山本 和弘 
◇ 「いま 言い残しておきたいこと~戦争のころ~」 その後
高階先生と徳方先生の往復書簡より
◇ ネットワーク学習会「一時保護所から見た就学前の子どもたち」
             石原純子さんのお話を聞いて  正保 宏文
 ◇子育て Q&A


ともに悩むのが仕事?
        相談員    山本 和弘

このたび、新たに、相談スタッフの一人に加えていただくことになりました。実は、先日、正保先生に連れられて行ったのが、上の町ビルの事務所を訪ねた最初です。
「なんたるモグリ」と思われるかも知れません。その通りなのです。人に何かを相談することも、人から相談を受けることも、得意な方ではありません。教員時代も、自身の子育てにおいても、要らざる「アドバイス」が、事態を悪くした経験も数えきれません。
 とはいえ、ネットワークとの縁は、個人的には並々ならぬものがあるのです。設立に尽力された内田喬先生は、高校時代の恩師です。設立当時難波一夫先生とともに代表委員をおつとめくださった八木原藤義先生は、高教組でも高生研(高校生活研究協議会)でも、ひとかたならぬご指導をいただきました。守安正文先生、有森茂夫先生、いずれも親しくお付き合いいただいた大先輩です。いずれも鬼籍に入られ、残念至極。後を継ぐのは、私たちの世代の責務だとは重々感じています。
 高校の頃不登校のまっただ中にあった長男を連れて、妻共ども、以前の事務所にお邪魔したこともありました。難波一夫先生の大らかな受容を励みに、「愛して、信じて、待つ」という、単純だけれどとても難しい「呪文」を一心に唱えた日々でした。
 時機を同じくして勤務した夜間定時制高校(倉敷市立精思)での経験も、私のキャパシティを少し広げてくれたかも知れません。「あかね色の空を見たよ」の映画制作・上映運動は、その頃のことでした。定時制高校の生徒達は、山田洋次の映画「学校」はわがことだと言い、「あかね色」で描かれる烏城高校も、精思そのものと感じているようでした。「理想の学校」は「ただいま、と言って登校できる学校かな?」と言ってのける生徒達も、深刻な不登校の経験者でした。3K(強制、強迫、競争)がなくて居場所があるから、夜間定時制高校が好き、いう声もよく聞きました。自分が自分のままでいていいのだという「自己肯定感」が、家庭でも学校でも社会でも、当たり前に育っているならば、不登校をはじめ、子どもたちの周りに起こっている困難の過半は解消するだろうにと、痛切に思ったことでした。
 しかし、そんな「非能率」な学校のあり方は許されないらしく、定時制高校にも管理と競争が押し寄せているのが今日の状況であるようです。「人格形成」ではなく「人材育成」にシフトした国・県の教育政策が、背後にはありそうです。困ったものです。
 今、我が家では、小5生の孫が、なかなか教室にはいれず、ここ何ヶ月か、保健室にお世話になっています。養護教諭、担任、そして管理職の先生には、ご配慮をいただいていますが、いまだになぜ教室に入れないのかは、謎のままです。こんな私に相談員の仕事がつとまるとは到底思えませんが、ともに悩むことで、いくらかでも心の負担を軽くするお手伝いはできるかも知れません。よろしくお願いします。


「いま 言い残しておきたいこと~戦争のころ~」 その後   高階先生と徳方先生の往復書簡より

子育て・教育なんでも相談ネットワーク様

 相談ネットワーク通信を通じてみなさんのご活躍の様子を知ることができ、励まされています。
 さて、No.101の通信(3.16発行)が一足早く我が家に届き、最初に高階先生の文章が掲載されているのを拝読しました。
 先生は小生の高校時代に社会科を教えてくださった恩師です。大変懐かしく読ませていただきました。中でも最初の学徒出陣の場面はとても印象的で、どうしてもお聞きしたかったので、先生にお手紙を差し上げました。すると、先生から二度にわたって丁寧なお返事をいただき感動しました。それだけでなく、これはわたしだけのものにするのにはもったいない内容でした。そこで先生に相談ネットワークに送らせてほしいとお願いしたところ快く了承いただけました。そのような訳で、今回私の先生への手紙と先生のお返事を送りますので、ネットワーク通信に掲載してくださると幸いです。
よろしくお願いいたします。        徳方 宏治
               

高階先生

 寒かった冬から一気に春めいてきましたね。先日「相談ネットワーク通信」で先生の文章を拝見しました。お元気そうで何よりです。「二度と戦争を繰り返してはならない」という先生の真摯な思いが伝わってきて、感銘を受けました。
なかでも、「学徒出陣」のことを書かれていたのがとても印象的でした。小雨降る神宮球場でのあの出陣式は、東条首相の演説なども含め映像でも何回か見たことはありますが、先生が実際にその場にいて見送られた、ということを知りました。とても貴重な体験をなされたのですね。とくに後半、「バカヤロー」と叫び続けた、という記述は初めて聞く話で、読んだ後も心に残ります。あの「バカヤロー」はどういう意味だったのだろうか、と後で考えるのですがよくわからないのです。無益な戦争に駆り立てられ若者の愚かさに対してか?愚かさを強いる国家権力に対してか?何もできず見送る自分のふがいなさに対してか?そもそも、「バカヤロー」などと言って憲兵などにつかまらなかったのか?
 そのことについて、できれば教えてくだされば大変ありがたく思います。こうした経験を持たれる方は今ではとても少なくなりました。当時の雰囲気をぜひ知りたいと思い、僭越ですがお手紙を差し上げることにしました。
 小生は世界現代史の話を公民館などで相変わらずやっています。半分は自分のボケ防止のつもりです。
いつまでも青年のような気持ちをもち続けられていらっしゃる先生に敬意を表します。これからもお元気でお過ごしください。
             2018.3.15         徳方 宏治



徳方宏治 様

 山々が息吹を内にこめて、木々の青い梢も力強い構えを見せてきました。お便り有難うございます。いつも覚えていてくださり嬉しく存じます。お元気でお忙しくご活躍で感服いたしております。
 さて、お尋ねの件ですが、私自身も、あの時どうだったのかなぁー?とじっくり振り返ってみましたがはっきりと想い出せずにおります。しかし、だいじなところなので、できるだけ正確にお答えしたいと存じます。
 私があの時「オヤ?」と気づいてから、すぐに「合点」して、(※「合点した」というけれど、何も戦争に批判的になったわけではない。相変わらず『聖戦』だと信じているのだ。ただ折角頑張って大学に入って勉強している最中なのに・・・・。自分もすぐそうなるのか。とぐらいの合点にすぎない。立派な「軍国少年」のままである。しかし、それを「バカヤロー」と感じたのは自分の本心であって、素直な体感である。それを大切に信じてそこから世の中を見直すべきであったのだ。出陣していく学徒の中に、それができていた人も少なからずいたことを後日、出陣学徒の手記によって知ることができた。)自分も叫ぶまでの時の止まった間に何を考えたのだろうか。これはたびたび振り返ってみたことなのですがはっきりとは想い出せておりません。但し、お尋ねのポイントのような、しっかりした考えに立ったものではないのは確かです。ただ、隣の家のお兄さんが、せっかく東大へ入ったのに、浪人期間があったために、入学後、間もなしに出陣しなければならなくなった、そのことを思い出した後、次は自分の番が来ると思ったのであろうかと。これは確かだと思います。
「無益な戦争」と気づくところまでは成長しておりません。出陣した学徒の中にはそう気付いていた人も少なくなかったでしょう。「出陣学徒」に対する「バカヤロー」ではありません。ましてや、何もできずに見送る自分に対するものでもありません。「愚かさを強いる国家権力に対してか」とのご指摘の点にかろうじて該当するのではないでしょうか。まだ「愚か」との認識はなしで。『憲兵』の件は私も考えてみましたが、当日まったくそのような様子はどこにも見られませんでした。なにしろ何千何百人という学生群であることと、一斉の「大合唱」ではありませんので、正面にはなんと聞こえたのか。「バンザイバンザイ」の声に消されてしまったかもしれません。私たちは、学校ごとにバックストレッチいっぱいに立っていましたので。周囲に憲兵や特高はいなかったのでしょう。以上、粉飾することのないご報告です。たいへん大切なご指摘ですので感謝しております。
 どうぞ、お達者でだいじなお働きをお続けくださいませ。
          怱々
2018.3.17          高階 重和


徳方宏治 様

追伸
昨日の件でさらにお知らせを
◎当時(昭18)学校の授業の現状はどうなっていたのか
あの日に、学校から外苑へ送りに行け、と言われて四学年生だけだったと思いますが送りに行ったわけですから、すでに、正規の授業が少しの歪みもなく続けられていたのではないことは確かです。しかし、曲がりなりにも、週34時間のスケジュールで運んでいた時代でした。その学年の終わりごろになってやっと、軍需産業(電線づくり)へ初めて学徒動員されましたが、期間は2週間という短いものでした。
○授業の中身が、少しずつ変わって来ていたようです。
 軍事教練と武道の時間が増え、体育も増えました。それによって減少させられた科目は何であったか。英数国の授業は減らされなかった。「英作文」もありました。理科も全科目変わらず。しかし、東洋史(二年生で)は習ったが、西洋史を習った覚えがありません。他の学科の担当の先生の名前も顔も覚えているのに、西洋史は誰かが判りません。
増えたものに「公民」と後に言われたものがあり『国体の本義』という右翼の人の出した本を使いました。後日、終戦後、私が「まず学ばねばならない」と深く自覚したのが「世界史」でした。だから、習っていないのだと思います。私立の進学校でしたから、英数国理」はガッチリ教えたわけで、犠牲になったのが、音楽・美術・木工・洋器画etc.であったのです。『西洋史』はいったいどう消えたのか疑問で最も知りたいところです。

○昭19.からは、『学徒動員』が半ばごろから始まり、出校日は木曜日だけとなり、やがてそれも無くなりました。
 
○昭20.卒業式もないままに、新たに入学した上級学校(旧制高校・旧制高等専門学校)へ行くことなしに、ひきつづき動員先で軍需生産をさせられました。上級学校の入学式の通知も届かず欠席、さらに上級学校の動員されている先の軍需工場へ移るようにとの通知も届かぬまま、中学校の時の動員先で働きました。東京空襲で焼け出されて岡山へ。ここで、軍需産業との縁もプッツリかと思いきや、今度は上級学校の動員先に行くように命じられ、そちらに行きました。そして、終戦をそこで迎えました。(昭和20年8月15日)

 いかに、世界の、そして人類の歴史を、国民に知らせずに、神国日本の歴史に疑問を抱かせず、万世一系の皇室を神に発する正義の源を継承するものと信じ込ませ「皇軍」の「正義の戦い」に身を捧げることに疑いをもたせなかったか、そのようにしたか、がよく判ります。神の国の民は世界のエリートであり、他を率いる使命がある、とのナショナリズムを。
「自衛・自存」のための「正当防衛」のための「正義の戦い」であるとの教唆、教え込みとが、急速に教育の本道とされつつあった時代でした。見事な「軍国少年」に育ってしまいました。以上補足したいと存じます。
お元気で
              2018.3.18        高階 重和                     


ネットワーク通信を通じてこのような書簡が交わされ、それをネットワークに送っていただけたこと大変ありがたく思っています。少し長くなりましたが、連載にするには意図が通じにくいと思い全文を掲載いたしました。NO.101と合わせて読んでいただければと思います。これからも、みな様からのご投稿をお待ちしております。


ネットワーク学習会
「一時保護所から見た就学前の子どもたち」
  
石原純子さんのお話を聞いて  正保 宏文

四月に岡山市の一時保護所に勤めて3年目の石原純子さん(元保育園長)の話を聞く機会があった。
 今、安倍政権は、働き方改革などと耳ざわりのいいことを言いながら、実は、労働者の過労死を推進するような悪法を推し進めようとしている。その裏で、子どもたちの貧困の問題が田舎の地方都市岡山でも顕著になってきている。例えば、2才の子どもをかかえたある母親は、普通のアルバイトやパートより収入の多い出張風俗のデリヘルで働いているという。この女性には土木作業をしている夫がいるのだから驚いてしまう。経済的貧困という言葉だけでは済ますことできない日本の縮図が垣間見える。本来、2才の子どもは、母親の愛情にたっぷり包まれて大きくなるのが普通だ。ところが、母親がデリヘルの仕事をするために子どもを一時保護所に預けているのだ。この子の将来に不安を感じるのは私だけであろうか・・・・・。このほかにも、4人の子どもと夫を残し、行方不明になった母親の話も聞いた。残される家族は、お金がなくて、温かいお風呂に入れず「水」ですませたという。また、DVや「セイギャク」の話も聞いた。最初、「セイギャク」とは何のことかわからなかったが、話を聞くにつれ「性的虐待」のことだと分かった。
 一時保護所では、日常茶飯事のことなので、職員間では「セイギャク」で意思疎通ができるのだ。「性的虐待」は、自分の住む世界と違うということで済ませてしまっていい問題ではない。経済的貧困に加え、精神的貧困までもが日本に浸透しているかと思うと、言葉にならない。石原純子さんが話してくれた内容は、ほんの氷山の一角で、もっともっと厳しい現実が子どもたちを取り巻いているのだと思う。問題の解決はどうすればできるのか、思い浮かばないが、一時保護所の存在だけではすべての問題は解決しない。
 子どもたちが安心して暮らせるようになるためには、人間が人間らしく働いて人間の名に値する生活が保障されるだけの賃金がもらえるような社会が求められていると思う。過労死を促進するような政治からは、人間らしい生活は生まれてこない。最低賃金の大幅引き上げや、公的年金の引き上げ、生活保護費の改善など、福祉の充実も求められている。福祉とは「みんな幸せな状態」のことである。日本国憲法第25条が活かされ子どもを含めた社会的弱者が、みんな笑顔で暮らせるそんな社会を願ってやまない。
     
子育て Q&A
小学校入学前の息子が、幼稚園でも女の子とばかり遊んでいるようで、少しは男のことも遊んでほしいのですが、どうしたらよいでしょうか?

Q:来年小学校に入学する息子のことで、相談させてください。この前のバレンタインデーには、九つのチョコレートをもらってきました。小3のお姉ちゃんがいるので、女の子に対して優しく接しているからか、女の子に追いかけられていることが多いようなのです。男の子とあまり遊ばないので、ちょっとは遊んでほしいのですが、どうしたらいいでしょうか。幼稚園では、男の子と遊んでいることもあるそうです。

   
A:遊びに行ったり、来たりするのは女の子ばかりですか?

Q:そうなんです。

A:男友達がいないわけではないんでしょう?

Q:いるにはいるんですが、話を聞いていると、どうも、女の子と遊んでいることが多いし、いつも女の子に囲まれているみたいです。


A:お父さんとお子さんの関係はどうですか? 

Q:お姉ちゃんも息子も、お父さんが大好きです。息子と夫は、取っ組み合いや、外での野球も時々やっています。夫が言うには息子は、思ったよりバッティングがうまいそうです。

A:そうですか。それなら、今のまま様子をみましょう。お子さんが女の子と遊んでいるのが心地よければ続けるでしょうし、心地よくなければ、男の子との遊びを求めるでしょうから。お話の限りでは、心配されることはないと思います。もし、自分は男の子であることよりも、女の子であることの方が落ち着くというふうな問題が出てくれば、その時は、またご相談ください。

Q:そのことも多少頭にあって、電話をかけたんです。

A:今の段階で気になることがありますか?例えば、トイレに行くとき、男子トイレを嫌がるとか、男子の服装を嫌うとか・・・。
 
Q:現在はまだ気になることはありません。

A:では、小学校3~4年生の男子と女子とが、行動や思考パターンや好みが分かれてくる頃まで待ってみましょう。ひっかかることがあったらいつでもお電話ください。

Q:ありがとうございました。ちょっと安心いたしました。夫もあわてるなと言ってくれていますし、ありがとうございました。

    担当  石井 信行



※その後、このお母さんから再度お電話があり、「どうも私の思い過ごしだった気がします」とのことでした。心と体の不一致があることを知っていて、その目で我が子を見ておられることはとても重要なことだと感じました。



ページの先頭へ


ナビゲーション

information

子育て・教育なんでも相談ネットワーク

〒700-0822
岡山市北区表町1-4-64 上之町ビル3F
TEL.086-226-0110
FAX.086-226-0110