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No.118(抄) |
目 次
忘れ残しのあれこれ ⑫ 元代表世話人 難波 一夫
わたしの一冊 相談員 中山芳樹
詩 ふきのとう
ジェンダー平等? 相談員 花田 千春
ご案内 子育て教育のつどい2022
いじめを考える <Part2> 相談員 福 田 求 (“ののはな”教育相談”)
二月に寄せて 相談員 山本 和弘
忘れ残しのあれこれ ⑫
元代表世話人 難波 一夫
農山村の新春
母の育った村では、正月の行事がその家のやり方で独自に行われていたことを懐かしく思い出す。
私は、昭和のはじめに生まれ、父親の仕事の関係で各地を転々とした。幼稚園2、小学校4、その後は中学校で学徒動員、落ち着いて勉強したとは決して思えない。新しい友だちができ、しばらくしたら「さようなら」を言う。子どもなりにつらい体験の積み重ねであった。父親の仕事を憎んだりもした。
でも、長い休みの日々は、母親の実家で暮らすことができて、それが大きな楽しみと喜びであった。従兄妹が男3人、女2人いた。母屋の右よりに牛小屋があり、牝牛が一頭いた。夜中、その息づかいと小便の音の大きさに目が覚めることもあった。納戸では、蚕がガサゴソ、ザワザワ まるで夕立の降るような音が長く続くので、また目覚めることになる。
囲炉裏のそばで寝そべって「うたたね」をするのが楽しみであった。少し煙たいときもあったが・・・、起こされるまでぐっすり寝た。
夜なべには「なわない機」で縄をなうのは、従兄弟たちの仕事。ぼくもなにかしようと、その横で米搗きをした。土間の片隅に脚で踏む木製の道具が置かれていて、それに片足だけのせて大きな甕のなかの米を精米する。案外、時間がかかる。時間だけでなく、脚がもたない。それでも、笑われたくない。二宮金次郎のまねをして、本を目の前に置いてみたが、一行も読めるものではない。
そこで、歌った。「草刈り、縄ない、草鞋づくり、親の手助け、弟を世話し、兄弟仲よく孝行つくす、手本は二宮金次郎」を繰り返した。そして、ペタンコ、ペタンコ。
「うまいのう、元気が出るぞ。」と従兄弟たち。
牛が、「モウ!」と啼いた。
従兄妹のお父さん(おとっつあんと呼んでいた)は、夜なべ仕事に、稲わらの草履を編んでいた。
「お前らが帰るときに持って帰れるようにな」と。ぼくも教えてもらいながら、何となく草履らしく見えるのが大変うれしかった。軽くて動きやすく、その上、布切れを入れたものは、丈夫でおしゃれに見えた。運動をするときなどは、軽快に動けて重宝なものであった。
戦時中、学徒動員で倉敷の工場に行くため、朝、晩東山から岡山駅まで歩いて行くのにも重宝した。でも、長持ちしないので、履き替えを確保するために「おとっつあん」が終始がんばってくださった。
田舎の朝はみな早い。おばさんが起きたのは、ほとんど知らない。でも台所からは煙が立ち上り、茶釜はグラグラと音が聞こえた。茶の香りが漂う。茶釜の下の灰の中には、いつも残り火があって茶はいつも熱い。
ある日、従兄弟たちに起こされた。
「桑イチゴを採りに行こう。」
従兄妹たちは、籠を担いで、おばさんと一緒に出発する。それの真似のようにして後に従った。
「よオ熟れとるぞ、食べてみい、そらっ」
初めは、恐る恐る???おいしさが分かると、もう夢中になった。桑の葉をとりながら、懸命に食べた。
「口の中が紫色になって、何を食べたか、よう分かる」とおばさんに笑われた。
山羊の乳搾り
乳搾りも教えてもらった。手さばきの下手なものが乳搾りをするといやがる。何回か練習したが、山羊は終始いやがりつづけた。
「交替しよう」従兄弟が見かねた。交替したら途端に、やじの緊張が解ける。安心と信頼を直感するのだろうか。どうすれば山羊に信頼してもらい、乳搾りができるようになるのだろうか。人間の関係も同じだろうか。山羊から貴重な教訓を学んだ。
やれぼう
「やれぼう」という行事に連れて行ってもらったことがある。元日の早朝、牛を連れて田んぼにでた。おとっつあんが牛を曳きながら、時計の針の廻るように、一緒に大声で「ヤレボウ、ヤレボウ」と叫んだ。
その年の豊作と安泰を祈願するものであるらしい。ぼくも負けないように大声を根限りだした。
新年の挨拶回り
新年の挨拶回りは、男性は外出禁止であった。子どもは、炉辺で遊ぶのが主であった。「どうして?どうして?」とひつこく聞いてみた。
すると、それは、「女の子」が挨拶に来ると、牝牛が産まれてくれるからだ、と。牛の売り買いの値段が大きく違うのがやっと納得できた。 なんば かずお
わたしの一冊 相談員 中山芳樹
まず著者は冒頭、ストレスを「悪者」としては書いていない。「ストレスは、生きるために、成長するために『乗り越える』対象である」と言い切っている。
そのことは、著書を読んでいくうちに分かってくる。私が敢えて附箋をしたところだけを取りあげ、感想を述べてみたい。
著者は、ストレスは「心」のトラブルだけでなく「身体」の故障を引き起こす『心身相関』というテーマがあがってくると述べている。私もこの冬、肩こり、背中の緊張に悩まされ、それが『心のトラブル』に結びついたことがあり、数回そのツボをご存知の方に按摩をしていただき治った経験をもった。いわゆる僧帽筋の緊張である。その原因の一つにストレスが挙げられている。
次に、私も自著「統合失調症から教わった14のこと」で「異常は環境に対する正常な反応」ということを書いたが、著者は、次のことのように述べている。「ストレス下で何らかの症状を呈する方が正常なのである」と。これは私と同意見である。
さてそのストレスをどう乗り越えるかであるが、「気分転換をする時間、精神的ゆとりをもっているか否か、趣味やレクリエーションの習慣を失っていないかどうか、・・・これが総合されたものがその人の復元力である」と述べている。
また、「ストレスとは裏半分が『生き甲斐』なのである」とも述べている。このあたりは、私も実感し得るところが多々ある。
具体的な例として、スポーツなどで体を使うのがよい。「現場を離れる」「体を動かす」この二つのことで自覚症状は緩和されることと同様のことを述べている。
私も、在職中三年学校を休職したが、どこで自分があがいているかがよく見えてくる。残念かな、復職三年間しかもたなかったがそれ相応の原因があったと思う。
また筆者は「一日一時間でも、誰にもさわらせない自分の時間をつくること」また、「寝ることは何にも優る健康法、病気予防法、疲労回復策である」と。(と言っても、現在、二時半である。就寝中目が覚めて、眠れず書いている。先の健康法からいうと真逆となる悪健康法である。)
更に、「女房(亭主)以外にグチを言える人を二人つくれ」とも述べている。グチとは、文字通りの意味ではなく『ホンネ』である。ホンネを語って甘えられる相手である。そういえば私は、グチを聞く(聴く)ことは多いが、私のホンネを明かす人は皆無に等しい。これも私の弱点であろう。グチを吐いているうちに感情がおさまって、その人の混乱は整理されてくる。ア
ドバイスするならそれからである。私が今通っている「子育て・教育なんでも相談ネットワーク」では、次の三つのことばを大切に共有している。それは、「愛する」「信じる」「待つ」の三つである。
最後に「自分を客体視するする自分をつくれ」という段である。「自分で自分を診断するということがストレスに強くなるために大切なのである」と。言い換えれば「もう一人の自分」をつくることであろう。これについては私も日々気には留めているが、いざ実行となればひどく難しいことである。客体化してもそこで止まってしまうのである。よって同じ失敗をまた繰り返してしまうじぶんがある。
以上、私の興味関心のある箇所だけを取りあげた大雑把な文章になってしまったが、何らかの参考になればと思う。ぜひ、ご一読を!
なかやま よしき
凍てついた 山陰に 霜柱立ち 寒風は女の膚を刺す |
ジェンダー平等? 相談員 花田 千春
昼ご飯を食べながら何気なくテレビを見ていたら、クイズ番組をしていた。回答者は、男性一人、女性二人。一人は元アイドルタレント、もう一人はお笑い芸人。司会者が笑いを取るためか、芸人の女性がもう一人の女性と比べて美人でないことやスタイルが悪いことについて男性回答者にコメントをもとめた。出演者はきっとシナリオ通りにしゃべったのだろうが、女性の容姿をおとしめて笑う、なんとも後味の悪いものだった。森元オリンピック会長が「女の会議は時間がかかる」といったように、シナリオ作者は何も思わずに書いたに違いない。そして、その放送を見て何も思わず笑っている人もいることだろう。
日本のジェンダー平等が遅れていることが次々とあらわになり、国際的にも周知のこととなった。男女平等を指数で表す日本のジェンダーギャップ指数(2021年)の国際順位は156カ国中、タイ・ベトナム・韓国よりも下の120位で、この順位は近年どんどん下がっている。特に、経済と政治の分野の遅れが激しく、国会議員の数に至っては1割にも満たない。人口は女性の方が多いというが、女性の声が反映される政治にはなっていない。コロナで女性の自殺率が急増していることや、年金で暮らせない女性たちの悲鳴も身近で聞えてくる。
3月8日は国際女性デーだ。100年以上も前に、女性たちが、パンと平和を求めてたちあがった日だ。日本でも戦前から男女平等と女性参政権を求める運動がくりひろげられ、認められたのは、戦後の日本国憲法ができてからだった。現実生活の場での不平等の改善や制度の改善を求め、女性たちは次々と声を上げている。選択制夫婦別姓、性被害問題のフラワーデモ、職場のパワハラ・セクハラ、均等待遇を求める裁判等など。「女のくせに」「女がでしゃばるな」といわれた時代から、女こそ平和と自由と平等を求めると、宣言したい。国際的には、そのような時代へと少しずつではあるが進みつつあることは確かである。多くの先人たちの願いと運動がさらに実りあるものに、と願う。そして、今はさらに「ジェンダーフリー」の時代に、男・女ではなく、人間として誰もが平等に、人々の意識も制度も変わっていかなくてはならない時代を迎えている。
テレビからは、ウクライナの戦火に泣き叫ぶ子どもの声や爆撃でがれきの町となった映像が流れている。「日本も核を共有」などととんでもないことを口走る政治家まで現れている。戦争に愛を引き裂かれた女性の運命に涙した映画「ひまわり」の撮影場所はウクライナだと知った。なにより平和あってこその平等である。
ひな祭りに飾った小さな雛人形をかたづけながら、子どもたちの時代に誰もが人として尊ばれる平和で平等の時代にと願う。そのためにも、今を生きる大人のはたす責任も大きいことを感じながら。
はなだ ちはる
日 時 2022年5月22日(日) 受付開始 9:00 開会 9:30 記念講演 9:40~11:10(オンラインで配信) 団体報告・訴えなど 11:40~12:10 閉会 12:10 場所 おかやま西川原プラザ+オンライン 申込 参加は無料です。「オンライン視聴の方」は必ずメールでお申し 込みください。 okakyoubun1037@feel.ocn.ne.jp 記念講演 講師 筒井愛知(つついよしとも)さん 「ネット社会の見えない危険性から子供を守る大人の責任」 ~動画・SNS・課金・依存・・・身近に潜むトラブルの新常識~ 1998年より高校、大学で理科などの講師をしながら、ダンスを通じた若者との交流や、おかやまプレーパークなどの社 会教育活動を続けている。 2005年以来、メディアトラブル や、科学教育、子供の遊びなど、様々なテーマでの教育講演 会を、県内外で1000回以上行なっている。 ・2008年~2014年 環太平洋大学次世代教育学部講師 ・現在は就実大学、岡山一宮高校、倉敷天城高校などの非常 勤講師 ・岡山県青少年健全育成促進アドバイザー ・岡山県人権施策審議会委員 ・岡山県人権教育講師 ・岡山県いじめ問題対策専門委員会委員 ・岡山県のサイト「ケータイ・スマホの正しい使い方」の監修も行っている |
いじめを考える <Part2>
相談員 福 田 求 (“ののはな”教育相談”)
4⃣ いじめの心理
<bing.com/images いじめの画像>
(1)加害者の心理
加害者の心理としては、「おもしろいから」とか、「いじめられている子どもに非があるから」というように、自分の欲求不満を「合理化」して、無意識のうちに解消している場合が見られます。特に暴力を伴ういじめの加害者の心理的特徴としては、自分も他人も信じることができないことから、仲間と楽しそうに遊んでいても、明日にでも皆が自分から離れていくのではないかという不安や猜疑心、あるいは孤独感などに苛まれており、誰とも親密な人間関係を築くことができないと言われています。
これは幼い頃から周囲(特に親)から虐待などを受けてきた子どもによく見られる特徴です。彼らは、「自分は可愛いがってもらえない存在だ」という根源的な不安や不信感が、周囲への攻撃性に繋がっていくのです。また自尊感情が低く情緒不安定でストレス耐性も低いので、何らかのストレスを感じたときには、自らの感情をコントロールすることができずに、衝動的にいじめなどの反社会的な行動をとったり自傷したりして、欲求不満を解消しようとすることが多いのです。
一方、凄惨ないじめを行った加害者が、いじめを否認したり正当化したりして良心の呵責を感じていない場合は、行為障害(成人では反社会性パーソナリティ障害)なども考慮しなければなりません。彼らには、刑事責任の追及と併せて、精神的なケア(治療など)を受けさせることも必要となってきます。言うまでもなく彼ら加害者が、自からいじめた事実を親や学校に報告することはほとんどありません。
(2)被害者の心理
被害者の心理としては、まず「助けを求めたくない」ということが挙げられます。理由としては、親に助けを求めても「お前も悪い」と責められるし、先生も何もしてくれないので「何も変わらない」と考えているからです。また、「チクった(告げ口をした)」として報復されることを恐れたり、親などに心配をかけたり悲しませたりしたくないと考えることも多いようです。周囲に関わられるのを避けて、「黙って逃<bing.com/images>げ出したい」「遠くへ行きたい」という思いに駆られる場合もあるようです。
あるいは、「いじめられていることを認めない」という心理もよく働くようです。それは自分がいじめられている弱い存在であると人に知られるのがあまりにも惨めで、「プライドが許さない」からです。「無視されるよりはいじめを受けているほうがまだましだ」という屈折した心理が働くことも知られています。被害者には以上のような心理が働くので、いじめが発覚して事情を訊かれても、あまり信頼関係ができていない教師などに、いじめられている事実や心身の苦痛を「話さない」・「話せない」ことが多く、いじめが発見されにくく、また解決にまで至らない場合が多いのです。
(3)観衆や傍観者の心理
観衆の心理としては、加害者と同様に自分の欲求不満を「合理化」して無意識のうちに解消している場合が見られます。一方、傍観者(無関心者)の中には、「止めたいが止められない」と諦めていたり、「なんとなく見ていた」「まったく気づかなかった」と自らの主体性や社会性の欠如を露呈したりする子どももいます。
また観衆や傍観者は、「他人がいじめられている間は安心だ」と考えていたり、次は自分がいじめの対象となることに不安や恐怖を抱いていたりするために、加害者(強者あるいは多数者)に同調する心理(同調圧力)に支配されてしまうのです。つまり、主体性(自信)がない子どもたちは、数人のメンバーによるいじめにはなんとか耐えることができても、クラス全員にまでいじめが広がって、「(一人)ぼっち」になることには耐えることができません。そうならないためには、たとえ親友がいじめられていたとしても、保身のためにいじめる側に付いて、そこでの支配的な文化(言動・考え方・ファッションなど)に同化してしまうのです。
これは現代社会全体に広がっている「他人志向型」<D.リースマン>人間の心理そのものであり、恐ろしいことにファシズムを支える心理とも言えるものです。「空気を読む」、「忖度する」、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」、「ラインの3秒ルール」などに見られるこの心理は、政権を追及する野党を批判したり、有力者に頼まれた候補者に投票したり、政治的無関心に陥ったり、労働組合に入らなかったりする行動をとらせることになるのです。
5⃣ いじめの背景
「盗みをするな」といくら説教しても、貧困で飢えている人には効果がないように、「いじめてはいけない」といくら道徳を教えても、いじめが生み出されてくる背景にある問題を解決しなければ、効果はありません。ここではその背景となっている生活状況や社会構造の問題について考えます。
機能不全家族 子どもが心身ともに健康に育つ場としての機能を果たしていない、次のような家族のことを言います。 ● 親の性格が未熟で、子どもに対する過干渉、虐待・暴力、放任などによる支配が日常的に行われている。 ● 親は子どもには完全を要求するが、無意識では自分より劣っていて欲しいと願っている。 ● 夫婦間の不和などにより両親が力を合わせて教育する力が損なわれている。 ● 親が特定の家族への対応に追われて、他の家族を思いやる余裕がない。 |
(1)家族社会
核家族化や少子化の進行<国勢調査:総務省2020年>とともに、親の単身赴任なども増加した<「意外と増えている単身赴任」www.transtructure.com>ため、家族間のコミュニケーションをとる機会が減少しています。また受験競争の激化は、子どもの学習塾通いの増加<高校生通塾率の推移(1990年~2015年)Education Career>をもたらし、生身の子ども同士がぶつかり合う「ルール遊び(缶蹴りや草野球など)」などを通した健全な社会化を妨げ、ネットゲームやSNSを介した仮想現実上での貧しいコミュニケーションを余儀なくさせています。
その結果、生きた人間関係スキルを習得できず、他人の気持ちや考え方がわからない自己中心的な子どもが多くなっています。なかでも機能不全家族<コラム参照>の子どもは、慢性的愛情飢餓により自尊感情(自信)が育たず、自他不信や無関心、わがまま、冷淡な性格になりやすいのです。また劣等感や孤独感、不安感などを募らせており、そのような心理が自他への攻撃性に転化し、自傷や自死に至ったり、いじめなどの他人に危害を加えたりすることで安心を見出そうとすることもあるのです。さらに、基本的生活習慣や感情を上手くコントロールできるような適切な生活態度が身についておらず、いじめに関する善悪の判断が甘い子どもが多いと言われています。
(2)学校社会
先ず、過少の教員定数の下での教師の過重労働<中学校教員の1週間の仕事時間は、OECD平均の1.4倍,2013年>や、それを悪化させる中間管理職の増設や校務(部活動や校外の交通指導なども含む)の多忙化、また教師の精神の自由を侵す「君が代」斉唱の強制や非合理的な校則の押しつけなど、管理体制の強化が進められています。その結果、教師が生徒を直接指導する時間や教材研究などに必要な時間が不足したり、教師同士の自主的で自由な研修や情報交換の場が失われたりしています。このような状況下では、教師の抱えるストレスが高まり、労働意欲や生きがいを失うばかりか、胃潰瘍などの心身症やうつ病などの気分障害を患ったり、過労死が出現したりする事例も報告されています<コラム参照>。この劣悪な状況を改善するための教員組合の組織率の低下<1958年では全教員の9割強→2020年には約3割,文科省>は、労働条件の悪化を招くとともに、教師の人権意識の希薄化や職場での孤立に大きな影響を与えており、授業崩壊やいじめなどの問題に対する教師の問題解決能力や、生徒指導力の低下に影響を与えていると考えられます。
次に、学力偏重主義や受験中心主義の蔓延を背景とした児童生徒に対する指導が、テストの偏差値を偏重したり、心や態度を数字で主観的・断片的に評価<活動への関心や意欲などの観点別評価:学習指導要領>したりすることによって、児童生徒の人格やそれを規定している生活全体をよく見、よく聴いたうえで、個々の児童生徒の実態に即して総合的に評価していく視点が疎かになっています。その結果、教師と児童生徒との人格的な触れ合いは少なくなり、保護者も含めた相互の信頼感が醸成されにくくなっています。
岡山県の高等学校ではHRの時間が、事務連絡や教科指導などに使われており、
前述の教師の指導力の低下も作用して、児童生徒がいじめなどの身近な問題を自主的に解決していく力を育てる場が失われてきています。さらに、学校教育相談体制の形骸化(他分掌に吸収され、人員も削減される)も進行しており、いじめなどの児童生徒の悩みや不安をよく聴いて共感的理解を深めたうえで、保護者や担任、あるいは他分掌や社会的資源などと連携して問題の解決を進めていく機能が麻痺してきています。
二つのブラック「長時間労働」と「不払い労働」 ブラックの一つ目は、「長時間労働」である。文部科学省が2016年度に公立校の教員を対象に実施した「教員勤務実態調査」では、「過労死ライン」(月80時間以上の時間外労働)を超える教員が小学校で3割、中学校で6割ということが明らかになっている。ブラックの二つ目は、時間外労働の対価が支払われていない、すなわち「不払い労働」である。 <内田 良,週刊文春電子版2018.5.1> |
(3)政治・経済・社会
1)政治の右傾化と教科道徳
いじめ問題の深刻化を背景として、中学校学習指導要領が2017年告示され、教科としての道徳がいじめ問題の解決の旗手として誕生しました。しかしその内容は、2006年の改正教育基本法の教育の目標で強調された公共の精神や伝統と文化、愛国心や郷土愛などの徳目を具体的に授業の場に持ち込むすものです。これは憲法で保障され、戦後の民主主義教育で大切にしてきた個人の自由や権利よりも、公共(皆,国家)や義務を重んじる全体主義的傾向を示しており、戦前の教育勅語を柱とした「修身」に回帰させようとするものです。児童生徒に「いじめてはいけません」という義務を教えるのか、いじめられた友だちの権利を考えさせるのか、どちらが良いのでしょうか?
-閑話- そもそも教育勅語は、一旦戦争が起こったら勇気を出して、天皇のために命を捧げることを最高の美徳とする天皇主権下での臣民を作るものでした。それは戦後の民主化政策により廃止されましたが、その一部には正しいものも含まれているので、教科道徳で扱ってもよいのではないかとする右翼<コラム参照>勢力が、国会では多数を占め、教科書検定の検閲化や教育基本法の改正・道徳の教科化のみならず、憲法第99条(公務員の憲法擁護義務)に反して第9条の改正や、敵基地攻撃能力の検討などを主張しているのです。 この政治の右傾化は、1940年代後半 米国が極東戦略を転換させた〔日本に戦争を放棄させる方針から、「再軍備させて全体主義戦争の脅威に対する妨害物の役目を果たすことができるように」<米ロイヤル陸軍長官演説1948年など>変えたことで加速されます。即ち、1950年の警察予備隊の創設からサンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約の締結(1951年)を経て、解釈改憲(第9条の「国際紛争」=侵略戦争。第9条の戦力≠自衛隊)を弄して戦力を増強し、日本を戦争ができる国にしていく一連の動きが、日米両政府によって推進されているのです。 教育面で注目すべきは、1953年に行われた池田・ロバートソン会談です。その覚書には我が国の再軍備を妨げている要因として、憲法の平和主義などの他に「教え子を再び戦場に送るな」とする平和教育があげられており、「日本人が自分の国は自分で守るという基本観念を徐々に持つように日本政府は啓蒙していく必要がある」との方針が、日米間で合意されています。この右傾化の方針に従って、いじめ対策を「羊頭」として掲げた教科道徳も全国に展開されているのです。 また2018年告示の学習指導要領の高校「公共」の「内容の取扱い」の中でも、「日米安全保障条約や我が国の防衛,国際社会の平和と安全の維持のために自衛隊が果たしている役割など」の「基本事項について,広い視野に立って理解できるようにする」と記されています。これは恒久平和主義に反して、自衛隊という戦力を国民に是認させようとする政府の考え方を、検定済み教科書を使用することによって高校生全員に必修させる(押し付ける)ものです。正に国家百年の計は、道徳・公民教育にかかっていると言っても言い過ぎではないでしょう。 |
右翼と左翼、保守と革新、中道とは? ここでは、現憲法を基準として右翼・左翼などをつぎのように定義します。<福田> 日本国憲法に定められた体制や内容(修正資本主義、国民主権・象徴天皇制、民主主義、戦争放棄、法の下の平等など)を守ろうとするのが保守・中道。旧憲法に定められた体制や内容(資本主義、天皇主権・君主制、軍国主義、身分制など)に戻そう(変えよう)とするのが右翼。歴史の流れをさらに進めて社会主義や共産主義、天皇制を解消した共和制などを主張するのが左翼・革新とします。ただし平和政策に関しては、憲法前文や第9条が戦争以外の手段で自衛権の行使を規定する革新的な内容なので、共産は保守、自衛戦争でも認める政党は右翼と考えます。因みに政権担当政党が与党で、そうでない政党が野党です。 |
2)新自由主義の推進
1980年代には米国からの金融市場の緩和や外資への門戸開放を目的とした広範囲にわたる規制緩和の要求<日米円ドル委員会報告書1983年>を受け入れ、新自由主義が推進されました。これは自由主義の基本的矛盾である、周期的な恐慌の出現や貧富の差が拡大していくことを、経済政策により是正していこうとする修正資本主義の歩みを後退させるものです<コラム「経済社会の流れ図」参照>。その結果、戦後禁止されていた持ち株会社を中心とした超巨大な複合企業が誕生(財閥が復活・再編)して、グローバル化の名の下に大規模な海外投資が行われたため、国内産業の空洞化
(GDPの減少と雇用の減少)をもたらしました。また所得税の累進性を緩くしたり(1962年の最高累進税率75%→2013年は45%)、法人税率を引き下げたり(1984年は45.5%→2021年は23.2%:財務省)する代わりに、低所得者ほど税負担率が高くなる消費税を導入して、その税率を引き上げてきています。さらに労働法制の規制を緩和して、低賃金で雇用できるうえ解雇しやすい非正規労働者の雇用の割合を急増させました<1989年:18.9%→2019年:38.3%,総務省労働局調査>。
一方、日本銀行の超低金利政策によって生じた潤沢な資金は、GPIFの公的年金積立金とともに株式市場に流入し、不況下の株価上昇をもたらしました。企業は賃金を抑制し(先進国の中で、最近の20年間で賃金が下がっているのは日本だけ)内部留保(財務省:2020年度末484兆3648億円))を増やしたため、消費需要を冷え込ませ成長力を低下させました<1980年のGDPを基準として最近20年間の成長率は、OECD加盟41か国中、日本は最下位,同>。これらのことが、所得格差(日本のレベルはOECD加盟国中33位,ユニセフ調査)をさらに拡大させ、労働者の過剰労働や単身赴任、ひいては機能不全家族を増加させているのです。
3)その他
① マスコミの商業主義と世論操作
「いじめたのではなく弄っただけだ」と自己弁護するいじめ加害者もいます。これにはスポンサーが重視する視聴率を上げるために、弄りギャグが売り物のタレントを重用するマスコミの商業主義の影響が強いと思われます。
また政権に忖度して政府に不都合なニュースや番組は流さないようにしたり、大衆に迎合してポピュリズムに陥ったりするマスコミの体質が、国民の正しい権利意識やいじめ、ひいては社会を見る目を曇らせる一因となっているのではないでしょうか。
② ネット社会
匿名性が高く、不特定多数のアクセスが可能なネットへの書き込みを誰でも容易に行うことができ、いじめやデマなどを拡散することに繫がっているとともに、そのことへの適切な対処を妨げる要因となっています。またかなりの青少年がネット依存傾向にあり<厚労省2013年>、社会への適応力や生きる力を削がれていることも見逃すことはできません。
③ 価値観の多様化
近年、多様化が尊重される動きも出てきていますが、労働組合に入らなかったり投票に行かなかったり、あるいはヘイトスピーチを行ったりすることも、個人の自由だから許されるという誤った価値観も見られます。何らかの私的な理由で、憲法で保障された人間らしく生きる権利を自ら放棄したり、他の人を誹謗中傷して苦しめたりする自由や権利などを容認したりすることは、人間らしくない生き方を認めるということであり、国民の人権意識や道徳観、ひいては人生観や世界観を混乱させることに繫がるのではないでしょうか。 PartⅢ6「いじめへの対処」につづく)
ふくだ もとむ
二月に寄せて 相談員 山本 和弘
(1)ムクゲの受難と「二月の月」
前号までの『ムクゲに寄せて』の記事中で紹介した藤原義一氏著「あなたに贈る短歌の花束」には、こんな話題が続きます。
・日韓併合で大韓帝国を植民地にした日本は、朝鮮に次々と日本の「軍国の花」・桜(ソメイヨシノ)の苗を植樹し、桜の名所を作っていきました。鎮海(チネ)の日本海軍の軍港には海軍の微章にちなみ、一九一〇年に二万本、一三年に五万本、一六年に三万本、合計十万本の苗木が植えられたといいます(『ある日韓歴史の旅鎮海の桜』、竹国友康、朝日新聞社)。
・『東亜日報』が、読者の質問に答えるかたちで「大韓時代に無窮花を国花として崇敬した理由」について述べた記事(一九二五年十月二十一日付)を載せ、「・・・無窮花はそれほど華麗でもなく、枝とてそれほど美しくもなく、その上、葉は密集していて趣とてないのですが、朝露を浴びて咲いては夕刻に散り、また他の花が朝咲いてタ刻に散るというふうに、絶えず咲いては散る様が、 刹那を誇って風に散るのを武士道の誇りとしている桜よりも、赤色だけを誇る英国の薔薇よりも、花房だけただ大きいだけの中国の芍薬(シャクヤク)よりも、どれほど粘り強くて堅実であり、気概があって祈願がこもっていてみずみずしくて可愛らしいことは、ほかの何ものにも比べることはできないでしょう。それで私たちの祖先は、この朝生夕死ではあるけれど、次々と咲く木槿を無窮花と呼んで国花としたようです。」と書きました。この記事は、直ちに 朝鮮総督府警務局に押収されたそうです。
植民地時代の理不尽な歴史に、心が痛みます。そんな時代、侵略と植民地支配に命がけで反対した人たちの存在は、現代を生きる私たちの励ましであり救いです。そうした一人として、反戦・平和を貫いたことで治安維持法違反に問われ、逮捕直後に官憲に虐殺されたプロレタリア作家小林多喜二の名が、まず思い浮かびます。
いつの間にかムクゲの季節は終わり、はや2月です。折しも、2月20日は多喜二忌。89年目が過ぎた今も、母セキさんのこの痛切な嘆きを忘れ去ることはできません。
「あーまたこの二月の月かきた/ほんとうにこの二月とゆ月か/いやな月こいをいパいに/なきたいどこいいてもなかれ/ないあーてもラチオて/しこすたしかる/あーなみたかてる/めかねかくもる(遺品の中の鉛筆書きメモより)」
(2)北の小林多喜二、南の槙村浩
2019年、多喜二忌も近い2月18日付「高知新聞」読者欄に、私のこんな文章が掲載されました。「北の多喜二、南の槙村」と称される槙村浩(まきむらこう)に関連した投稿です。
高知は、学生時代を過ごした第二の故郷ですが、滅多に訪問の機会がありません。維新の志士や民権運動の史跡などとともに、夭逝の反戦詩人槇村浩(まきむらこう)ゆかりの地を、折あれば訪ねてみたいと常々思ってきました。
「思い出はおれを故郷へ運ぶ・・・」二〇歳の頃の作品「間島パルチザンの歌」の冒頭の一節です。「おれ」は、日本の侵略支配に抗し、身を挺して民族の独立をたたかいとろうとするパルチザンの若者であり、反戦と国際連帯の思いを込めた作者の想像が生んだ鮮烈な造形です。
高知県立海南中学校四年生の時、軍事教練反対運動を組織した彼は放校となり、縁あって、わが岡山県の私立関西中学に編入学します。異郷の地にあって、彼の胸中には故郷高知の思い出が去来したに違いありません。
自宅があったという帯屋町2丁目の「ひろめ市場」辺りや、高知刑務所跡の城西公園に建つ詩碑などは、以前も訪ね、詩人の短かすぎる青春を偲びました。市内にあるという墓地にも、いつかお参りしてみたいと思っています。
ところで、彼の生誕の地は、高知県高知市廿代町とされています。去年の夏、会合で高知を訪れたついでに、マップ頼りに界隈を散策してみました。しかし、残念ながら、案内掲示や碑の類を見つけることもできず、心を残して引き揚げたことでした。聞けば、いま貴地では、「槇村浩生誕碑」建設の気運が起こっているとの由。運動が成就し、碑完成の暁には、是非再訪してみたいと願っているところです。
槙村は関西中学(関西高校の前身)を卒業して高知に帰郷後、詩作を中心にプロレタリア文学運動に参加。あわせて労働運動・反戦運動を続けますが、これらの活動のため政府の弾圧を受け、投獄と拷問により身体を壊し、1938年に病気で死去しました。享年26歳でした。
追記となりますが、地元高知市にある民立民営の平和資料館「草の家」などを中心とする運動が実って、2019年11月、高知橋たもとの緑地(私有地)に、ステンレス製のモニュメントが建立されたそうです。12月3日付「しんぶん赤旗」に掲載された、「槙村浩の会代表」の馴田正満氏(「草の家」学芸員)の寄稿から、末尾部分を引用してご紹介します(ちなみに、この馴田さんは、学生時代の恩義ある先輩です)。
11月11日の除幕式では、地元の劇団員が代表作「間島パルチザンの歌」を朗読、青年が決意を述べました。設置に当たって全国から寄付が寄せられ、説明文の最後には「志を継ぐ者たち、これを建てる」と記されています。
いま日本と東アジアの国々との関係は、戦後最悪の状態です。そのようななかで、国際連帯を高らかにうたった槙村のモニュメントが建ちました。多くの人に見ていただき、模村の詩と生涯を理解するきっかけになれば、と願っています。
(3)ダッタン海峡とアサギマダラ
私の手元に「ダッタン海峡 第10号」という表題の冊子があります。「草の家」が、槇村浩生誕一〇〇周年を記念して2014年11月に刊行したものです(前述の藤原義一氏も、馴田正満氏も、槙村浩の研究者としてこの冊子に文章を寄せておられます)。
冊子のタイトルは、「――ダッタン海峡以南、北海道の牢獄にある人民××同志たちに――」との副題が添えられた、槇村の同名の詩にちなみます。国境を越えた、反戦・平和と人類解放への不屈の意思の表明は、前述の『間島パルチザンの歌』とも共通しています。
昭和初期の詩に「てふてふが一匹 韃靼海峡を渡って行った。」という印象的な一行詩があります、安西冬衛の「春」(詩集『軍艦茉莉』(昭和4年刊)所載。)です。
「てふてふ」は旧仮名遣いで「ちょうちょう(蝶々)」。「韃靼海峡(だったんかいきょう)」はシベリア東岸と樺太(サハリン)の間の海峡で「タタール海峡」、別名「間宮海峡」のことだそうです。作者は大連(旧満州)の港にいて、蝶が一匹大陸から樺太の方に向かって飛んで行くのを実際に見たといいます。
荒涼たる大海原を、心もとなげに、しかし果敢に、飛んでいく蝶の姿が心に残ります。長い距離を移動して渡っていく蝶の種類は、恐らくアサギマダラかといわれています。
実際、台風の後など、どこからか吹かれて家の近所にもやってくることのある蝶です。幼虫の食草は、キジョラン、イケマなど、ガガイモ科の植物だそうで、食草由来のアルカロイド系毒物質を体内に蓄えているそうです。成虫は、フジバカマやヒヨドリバナ(ヨツバヒヨドリ)の蜜を好んで吸蜜するようで、写真は、ヒヨドリバナに群れている姿を深山公園で目撃したときのものです。
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