忘れ残しのあれこれ ⑧
ありがとう 卒業生のSくん(2) 鶴の恩返し
元代表世話人 難波 一夫
つぎの日曜日は快晴でした。あれやこれやの準備もあって早く起きました。
そろそろ、支度ができたかなと思っていた頃、すでにトラックが玄関のところへ横付けになっていました。
「おはよう、準備はできたが、先生のほうはだいじょうぶかな」
「早うから来てくれてすまんのう」
「運ぶ荷物が多いようだから早めに出かけたのです」
現場に着くやいなや、仕事の分担を指示し始めました。濡れてどうにもならないものや、そんなもののなかでも貴重なものを乾燥させるようにと、その判別をするのが大変でした。
リーダー格の二~三人が打ち合わせをしたと思ったらすぐ動き始めました。
「おい、おい、細かい打ち合わせはせんのか」
「する事が分かっているから大丈夫」
「それでも濡れたもののなかには大事なものが相当あるから色々聴いてくれよ」
「わかった わかった」
こんなやりとりをしながら作業が進んでいきました。
エレベーターのない四階からベチャベチャになったものをおろしていくのは大変でした。「これは?」
「残す」。
「これは?」
「捨てる」……。
決まるやいなやトラックのなかへドサ!
「ちょっと待って、いまのは残す分ではなかったかな?」「先生、遅い、言うのが遅い、もうグシャグシャじゃが」
地上のトラックまで四階から他の家に迷惑をかけないで降ろすのは大変な苦労だったのです。本当に頭が下がりました。昼ごはんくらいはサービスしたいと言うと 、
「先生、大丈夫。みんな用意してきているから」
「すまんのう、気がつかんで」
「昼飯の後のお茶は用意して」
「それくらいでええか」「ええか、ようないかと言いあう時間も惜しいから何でも任せる」
その頃になったら、相談員の面々は、もうへとへと。でもがんばったのです。
新しい事務所は、古い空き部屋でゴミだらけ。壁も破れ天井に穴があき、ネズミも出ているように見えました。以前には音楽や映画の上映のための小ホールだったとか、机も椅子もないので、事務的な処理をするための備品を用意しようと考えました。でも、資金がありません。どうしようか。
とにかく、なにもかも引っ越しを終わってから考えることにしました。幸い四階にある子ども劇場の方々が援助してくださって、机と椅子もいただき、設置することができました。本当にありがたかったです。
「先生、大体すんだぜ」
Sくんが寄ってきました。
「社員をぼつぼつ帰すから、
また必要なら電話して…」
「ありがとう、本当に助かった。細かい片付けは時間が
かっても、ぼくらがやる
からな、こんなに早く、きれいにしてくれて、ほんまにありがとうな。終われたのは君等のおかげじゃ」
「必要な時があったら、また来てあげる」
何も言えなくて、感謝の
気持ちをこめて強い握手をしました。
「鶴の恩返し、鶴の恩返し……」とつぶやきながら帰っ
ていきました。 なんば かずお
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子育て教育なんでも相談ネットワークのお手伝いをすることになりました。
子育てや地域活動に関わりながら、学校現場で働いてきましたが、その間に義父母の介護もあり忙しい日々でした。退職してから、夫の希望でもあった駄菓子屋「はなだや」をフリースペースあかねの若者たちと一緒に自宅近くで開いていました。小中高校の子どもたちが学校の行き帰りにのぞいて遊んで帰ったり駄菓子を買いに来たりしてくれました。ご近所の方もよく訪ねてくれ楽しい交流の場でした。夫が病を得て、残念ながら閉じることとなりましたが、その後、同じ場所でフリースペースあかねのお母さんたちと「おとなと子どものおはな食堂」をしています。この間、子どもや地域の方々との関わりの中で、子どもたちや親の思いに触れる機会がありました。
ある時、乳幼児を抱えて寄ってくれたお母さんが「どうしたらいいかわからない」と涙を流されることがありました。二、三歳と思われる上の子はひとときもじっとしていることはなく、声をかけても反応が返りにくく発達障害があるのではと少し気になりました。その方はどこにもその思いを語るところがなかったようで、ここでその思いを話して少しほっとしたようでした。私自身の体験もありますが、どこかで話すことができると救われる人はたくさんおられるように思います。
ネットやスマホでいつでもだれとでも簡単に即座につながることができる時代になりました。でも、安心して信頼を寄せ、つながることのできる相手を見つけることは、ますます難しい時代になったのかもしれません。隣近所の叱ってくれたりほめてくれたりしながら見守ってくれる大人の目もだんだんと少なくなってきたようにおもいます。
悩みを抱える父母たちや家族、先生方が、その思いを安心して語ることができるのがこの「相談ネットワーク」だと思います。少しでもそのお手伝いができたらと思います。
はなだ ちはる
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ぼくはイエローで ホワイトで ちょっとブルー ブレディみかこ著 新潮社
この本は二〇一九年本屋大賞を受賞した本である。作者ブレディみかこは高校を卒業してパンクミュージックに傾倒し、イギリスに渡る。そして現在イギリス人の夫と一人息子とブライトンに住んでいる。
作者の一人息子は公立の底辺託児所から市のランキングで常にトップを走っている名門私立カトリック小学校に進学する。そこで七年間過ごした後、カトリックの中学校に進学せず公立の底辺中学校に入学する。そのまま名門カトリック中学校に進めばいいものをなぜ公立中学校へ入学したのか、本を読み進めばその理由が明らかになっていく。
そのうち一つを紹介しよう。
名門カトリック中学校も公立中学校も入学前に学校見学の日が設けられている。カトリック中学校を見学した時、授業が許されている教室はあらかじめ指定されていたが、他の教室をちらっと覗みすると、授業中なのに最後部に座っている生徒たちが堂々と雑誌を読んだり携帯をいじったりしているのが見えた。前方の生徒たちは最後部の生徒たちとは正反対の真剣さで勉強している。前方と後方ではまるで違う教室のようだった。こういうのを教室内前後格差とでもいうのだろうか。
その数日後こじんまりした公立中学校を見学したとき、各教室の外にテーブルと椅子が置かれていて、教員と生徒二、三人が座って勉強しているのを見た。授業に集中していない生徒には廊下に出てもらって別の教員と一緒に少人数で勉強してもらうシステムになっていると言っていた。「取り残されている子たちを作らないことが、目下、我が校の最大のテーマなんです。」と。
二校は全く対照的な学校に見えた。そしてわたしの息子は公立中学校に決めたのである。
作者は言う。「学校は社会を映す鏡なので常に生徒たちの間に格差は存在するものだ。
でもそれが拡大するまで放置されている場所にはなんというか勢いがない。陰気に硬直して新しいものが生まれそうな感じがしない。それはすでに衰退がはじまっていることなんだと思う。少なくとも11歳の子どもがあんなシニカルなところに通う必要はない気がわたしにはしたのだ。」と。
これは学校だけの問題かと思う。社会そのものではないか。日本という国がカトリック校ではなく公立校のようであってほしいと思う
作者が一人息子を公立元底辺中学校に入れて中学校生活を送らせた二〇一八年頃のイギリスはここから移民が増え、サッチャー政権時代に払い下げになったら公営住宅が、国籍もまだら状態であり「荒れている地域」と呼ばれている。教育でいえば授業やクラブ活動の為だけに学校予算を使える時代ではなく、貧子地域区にある学校は、子どもたちの生活というか基本的な衣食住から面倒を見なければならない時代になっている。外国人労働者が増え、日本人の間でも格差の広がる社会は、将来の日本でもあり得るのではないかと思いながら私は、この本を読んだ。「多様性ってやつは、喧嘩や衝突が絶えないし、そりゃあない方が楽よ。」と作者は言う。でも日本でも外国人労働者の増加による人種の多様性、貧富の格差からくる多様性にさらされる時代が遅かれ早かれ来るような気がする。「母ちゃんの国にて」という頃では、そんな日本への心配が描かれている。詳しくは、本を読んでいただきたいが、外国で暮らして長い作者や、明らかに二世と分かる彼女の息子は、「よその人」と見られていると感じたらしい。「自分が属する世界や自分が理解している世界が少しでも揺いだり変わったりするのが嫌いな人が多いと。そして日本に戻って来るたびにそういう人が増えているような気がするのは、わたしが神経質になりすぎているからだろか。」と作者は結んでいる。日本が、あるいは日本人が、多様性を受け入れないような国にはなってほしくないなとおもいながら、この本を読み終えた。やすこうち ふみこ
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私が11年続けている短歌会に、友人のY君とEさんが最近参加してくれるようになりました。もともと二人とは某所で月二回程度ん簡単な歌会をもっていたのですが、まさか本格的な私たちの歌会に入ってくれるとは思っていませんでした。二人ともそれぞれ個性があります。Y君は独特の自分の世界を持っており、歌もとても斬新です。一方、Eさんは、短歌を始めたばかりとは思えないほど言葉を巧みに使い、まるでポエムの世界に引き込まれるような気がします。
私たちの短歌会も高齢化し、私より若い人がこれまで一人でした。そこへ私より若い人が二人参加してくれるようになり、新しい風が吹いています。月一度、二時間の短歌会ですが、どうか二人とも将来にわたって息長く参加され、短歌を詠み合えればと思っています。
(山陽新聞「ちまた」より転載)
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スマホ料金値下げ競争で「G5」という文字がよく出てきます。二〇二〇年から実用化された通信技術で、通信速度の向上はもちろんのこと、IoT(身の回りにあるモノがインターネットで繋がる仕組み)時代に即した「同時多接続」や「低遅延」といった要素が盛り込まれ、人々の暮らしを一変させる可能性を持つといわれています。
Society5.0とは
Society1.0=狩猟、Society2.0=農耕、Society3.0=工業、Society4.0=情報に続く新しい社会とされ、AI(人工頭脳)・ビッグデータ(巨大で複雑なデータの集合)などの新しい技術の活用により、経済成長とともに地域格差、貧困の拡大などの社会的課題の解決が期待されるとされています。
「G5」はSociety5.0時代の寵児として私たちの生活を翻弄するかもしれません。
Society5.0時代の到来で、教育の分野では文科省の政策として「教育の情報化」が進められてきました。二〇一八年八月には「Society5.0に向けた人材育成~社会が変わる、学びが変わる~」を公表しています。また、経済産業省は二〇一九年六月に「『未来の教室』ビジョン」を発表しています。その内容は学習を「個別最適化」するのが基本で、AIとICT機器を使い、タブレットを目の前において、子どもたちが自分のペースでそれぞれを学んでいくという新たな学びのイメージです。
二〇一九年十二月、文科省は五年間計画として「GIGAスクール構想」を打ち出しました。これは「Society 5.0時代を生きる子ども達にとって、教育におけるICTを基盤とした先端技術の活用は必須です。また、変化の激しい時代を生き抜くには従来の一斉教育だけではなく、多様な子ども達を誰一人取り残すことのない、個別最適化された創造性を育む教育の実現が重要であり、ICT教育で次世代の人材を育てる必要があります。これらを持続的に実現させる構想」というものです。
義務教育学校ではすでに児童・生徒向け一人一台末端が各教室に準備され、教員の研修が行われています。
この構想による学校教育は教科学習と発展的な探求的学習だけが教育であり、集団の中で社会性を身につけることや主権者教育、平和で民主的な国家及び社会の形成者を育てるという教育の根幹が抜け落ちるという大問題があります。
私たちは公教育、学校が果たしてきた役割を検証し、守らなければならないものは何なのかを明らかにし、それを共有していくことが、今、必要ではないでしょうか。たなか ひろし
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〇「日本の村に出かけてみて驚くことに、どこに行っても、実に小ぎれいでゴミ一つ見たことはありません。日本の人々は、自然の恵みを大地に返し、無駄なく処理します。秋に収穫された稲穂は『わらじやゴザや籠』などに使われ、残ったものは焼き尽くして、次の年の肥料として大地に返すのです。どこの家も身の回りの物を無駄にせず利用するものですから、清潔で、実にすっきりとさわやかな風景を描き出しています。日本人は、私達よりも静かで和かな雰囲気の中でのんびり暮らしています。日本の子ども達は甘やかされてもダメになりません。イギリスの子どものように、泣きわめいたりしません。日本では、いつも誰かが食べ物をあげたり、相手をしたり、揺すって寝かせてくれるので、子どもが泣きわめく必要がないというのは事実ですが、子ども自身、とてもおとなしいのです・・・・」(明治維新前後に日本にやってきた外国人の手記から)
〇しかし、今、その日本は、世界一食品ロス(食べられるのに捨てられる食品)の多い国となってしまっています。しかも、そもそも食料自給率が30%台に落ち込んでいるのに・・・その量は年間で612万トンに及んでいます。今回は、この612万トンについてイメージを広げてみたいと思います。まず、この膨大なゴミを10t積みのトラックで運ぶとなると61万2000台必要になります。平均的な10tトラックの長さは10mですから車間距離を取らずびっしり並べると、実に612万m、kmに直すと6120㎞になり日本列島の往復分になってしまいます。これらのトラックが高速道路を標準的に車間距離を100mとってゴミ収集場所に運ぶとなると、一台の占める距離は110mになりますので、その長さは673000㎞となり、地球ほぼ17周分となります。一般道路をギリギリ車間距離を10mで、ゆっくり運転しても、12240kmとなりほぼ地球の円周の三分の一です。これではあまりに実感できなければ、一日に換算してみると、ゴミの量はおよそ16767t、10t積みのトラック1676.7台、
隙間なく10t積みのトラックを並べると16767m、つまり、16.7㎞、高速道路で運ぶとなると1844㎞、ゆっくりと一般道路を車間距離10mで運んでも、33.5㎞。
〇世界に目を移すと、年間13億トンのうち、食品ロスは三分の一だそうなので、ざっと4億3千万トンになりますから、日本の食品ロスの71倍になりますので、後は、みなさん計算してみて下さい。
〇数を使って一人一人のくらしや日本や世界の在り方を見るという事はとても重要です。
〇「あなたがお茶を飲み、空を見上げ、隣町へと移動している間に、森林が消失し、氷河が崩れ落ち、大量の資源が消費されている。この世界のあらゆるものは留まることなく変化している。その巨大な変化を1秒で見る。1秒とはマバタキ一回、まさに一瞬。私達にとって望ましい変化も、望ましくない変化もある。ミミズが食べる土の量、飢えで亡くなる人の数、砂漠が拡大する速さ、全ての数、全ての変化が、今、この瞬間のあなたへとつながっている。」
〇1秒間に地表の平均温度が0.00000000167℃上昇し、
☞1秒間にグリーランドの氷河が1620㎥溶け、
☞1秒間に140万人が一日に必要とされる710万トンの酸素が減少し、
☞1秒間に大型トラック63台分、252tの化石燃料が使用されています。
〇最後の化石燃料について詳しく言いますと、石炭や石油などの化石燃料は「太古の太陽エネルギーの缶詰」と言われ、石炭は古生代(5億7500万年~2億4700万年前)に、石油は恐竜君が活躍した中生代(2億4700万年~6500万年前)に地中に埋まった生物資源が、なが~い、なが~い年月をかけて変化したものですが、このまま世界が今のペースで石油を使い続けると、あと50年以内に埋蔵量を使いつくすことになると警告されています。
〇数による創造力。学ぶというのは「できる」「できない」ではなく、「できる力で何を考え、考えた事でどう行動していくか」であると思います。その意味で言えば「義務教育学校」で学んだ内容で十分世界の今と未来を見つめ、考え、行動を起こす事ができると思うのですが、どうでしょうか?!
次回は、地球の歴史から命のリレーを2~3回に分けて考えてみたいと思います。 つづく
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今回は発達障害を持つ人の青年期以降の支援の在り方に加えて、ジェンダーによって見逃されやすい発達障害を持つ女性に対する支援についても述べています。成人となっても児童期の子どもへの接し方と同様に、毎日の継続した周囲の支援が必要なことと併せて、日常生活の中の女性・障害者差別にも留意して、日々の実践に活用していただければ幸いです。
(3)青年期以降の支援
1)青年期になってから発達障害に気づいたら
① 発達障害への気づき
* 知的障害がなく障害の程度も弱い場合は、自分はどこか人と違っておかしいと思いながらも診断を受けずに青年期に到達していることも多々あるようです。
<参考> 青年期(大人)の発達障害を疑うとき
・思いついてすぐ行動するがよく挫折する ・片付けられない ・段取りよく仕事や家事ができない ・大事なことでもすぐに忘れてしまう ・中学生(大人)になったらトラブルが増えた ・学校(取引先)への連絡や事務処理が上手くできない ・家庭や職場での人間関係が上手く築けない ・酒やタバコがやめられない ・社会人としてのコミュニケーションの取り方がわからない(「ありがとう」「すみません」「申し訳ありません」「恐れ入ります」などが遣えない。上司に対してため口を利いたり、子どもに対して敬語を遣ったりする。) ・初対面の人にでもプライベートな話をしてしまう ・断れないので金銭トラブルなどに巻き込まれやすい・・・
② 早めに専門医に相談する
* 自分の生き辛さの原因が分かれば対策を講じることができるので、発達障害の心当たりのある場合は、早めに専門医の診断を受けましょう。
③ 急に支援を止めない
* 第二次性徴や第二反抗期を迎えた子どもに対して、親は大人扱いをして手を離すのではなく、本人が困っている部分には支援を怠らないようにしましょう(学校での様子は、本人や担任、部活顧問などからよく聞きましょう)。
* 中学校以降は、学習の質・量ともに子どもにとっては困難なものとなりやすく、また学校の支援体制も弱いので、勉強の進捗状況などを親子でチェックし、必要と思われる
支援を続けましょう。学習障害がみられる教科は無理強いすることなく、他の得意な面を伸ばすように工夫しましょう。
2)人間関係について
① 自分の問題点を知る
* 親は、子どもに1)①のような問題があることを自覚させたうえで、ロールプレイなどで具体的にアドバイスしてあげましょう。
<例> ・行動する前に身近な人と相談して計画を立ててから実行する ・手帳やカレンダーなどのリマインダーを活用する ・よく聞いていることを示す相槌を打つ ・わからないときはよく聞いて確かめる ・大事なことはその場でメモする・・・
* 子どもの問題点を予め学校や職場に説明し、不適切な言動があった場合は、そのことを指摘してどうすればよいかを教えてくれるように頼んでおきましょう。
② 孤立,嫌なグループ
* 周囲から孤立したり嫌なグループに入ったりした場合は、親や学校・職場のカウンセラーなどの信頼できる人に相談して、独りで悩まないようにしましょう。
③ 学習と実践
自助グループや支援者団体などに参加して、年齢とともに変化する人間関係や付き合い方などを、具体的なプログラムに沿って学習し、その後の参加者との茶話会などで交流しながら、学習したことを実践させるようにしましょう(その際、親などの付き添い者は別室で、それぞれの悩みや疲弊している状況などが話し合えるようにしましょう)。
3)恋愛や性について
① 異性との付き合い方がわからない・・・ 相手の気持ちを推し量れないために、自 分勝手な思い込みやメディアからの不適 切な情報を鵜吞みにして、一方的に自分 気持ちを押し付けて相手に嫌がられたり、 相手の言いなりになって思わぬトラブル に巻き込まれたりすることもあります。
<参考>ストーカー,デートDV
また、感覚過敏がある場合は、キスなどの体の接触や化粧品の匂いなどの過敏嫌悪感が生じることもあり、より親密な交際に発展しないことも多いようです。
* 子どもの恋愛に対する不安や悩みによく耳を傾けたうえで、恋愛とはどのようなことかを話し、相手の気持ちをよく聴いて、相手の気持ちを大切にできなければ恋愛は成り立たないことなどを話し合いましょう。
* 予め相手に自分の特徴を話して理解しておいてもらうことが必要だということや、恋愛に対する具体的なアドバイスもしてあげましょう。
<例>「相手はこう思っているんじゃないかな。」「こういうふうにしたらどうかな。」
② 性に対する悩み… 空気が読めないので、性的な話をストレートに公言して周りから顰蹙を買ったり、性的なことにこだわりがある場合は、セクハラとなったり
* 性を肯定的に捉えて、きちんと教えましょう
学校での性教育などを契機として、正しい性に関する知識を恋愛などの心の問題や生き方の問題として、妊娠や出産、育児などの具体的な事
例をあげて、わかりやすく丁寧
に話すようにしましょう。子どもが安心して性を肯定的に捉えることができるように、親がよく学習したうえで子どもに丁寧に話すようにしましょう。
* 問題行動はルールを作って止めさせましょう
<例>・人前で性的な話をしない ・人前で性器を触ったりしない ・人前で容姿の話をしない ・異性の身体や持ち物の匂いを嗅いだりしない
4)新しい自己像を発見する
* 将来、結婚・育児や介護など、人の世話をするような場面への対応が予想されます。その時に備えて時間をかけて自分自身を受け入れ、よい面を育て、大人になった自分自身を丸ごと理解しておくことが重要です。障害という特徴を生かした長所を伸ばしていき、社会で通用する新しい自己を育てていくようにしましょう。
① ADHD
× 注意力が持続しない,順序立てた活動ができない,毎日の活動を忘れる
→ 好奇心が旺盛,直観的なアイデアがひらめく,決まった流れに縛られない
× 落ち着きがなくじっとしていられない → 活動的・エネルギッシュ
× 質問が終わる前にだしぬけに答える → 反応が素早い
× しゃべりすぎる → コミュニケーションに積極的
② ASD
* 過敏 → 感性が鋭く既成概念にとらわれない
* 社会性がない → 自由な発想や独特の感性から、自分の思った通りに行動 できる
* 融通が利かない → 単調な作業でもやり抜く,生真面目に物事に取り組む
* こだわりが強い → 記憶力が良い,集中力がある
(4)女性に対する支援
* 女子の発達障害は、児童期までは男子に比べて目立ちにくいですが、青年期以降に就労したり家事労働をしたりすると、顕著になる場合が多いようです
恋愛と結婚
① 好き… 気に入って心が対象に向かうが、行動には移らない
② 恋… 好きな人を思い通りにしようとする行動(自己中心)
③ 愛… 相手のために尽くす行動 (自分を抑えて相手を大切にする)
④ 恋愛… 恋したり愛したりする 行動が入り混じった状態
⑤ 結婚… 愛し合った両者による、性的・経済的・社会的な結合。
精神的な幸せを得る反面、嫁姑などの家族関係や家事・育児など、発達障害を持つ女性には乗り越えなければいけない困難な課題が内 包されている。 |
1)健康の問題
① 月経… ASDを持つ女性は感覚の過敏性が増し、感情の起伏が激しくなりやすく、些細なことで周囲に当たり散らしたりうつ傾向が見られやすくなったりします。またADHDを持つ女性の場合は衝動性が増すことで、周囲とのトラブルが多くなることが報告されています。
* 月経前症候群がみられる場合も多く、さらに症状が日常生活に重大な支障をきたす場合には、月経前不快気分障害が疑われる場合もあるので、専門医の診察を受けましょう。
② 過敏な身体感覚… ASDを持つ女性にとって中年期以降の最大の問題は健康だと言われています。彼女らは生来の過敏性があるために、日常的な些細なこともストレッサーとなり、心身症や社交不安障害、あるいはうつ病などを併発する場合も少なくありません。
* 心身症や精神疾患などを併発した場合は、発達障害よりもこれらの疾患の治療を優先しましょう。
* ストレス耐性を身につけ健康な生活を送る(一人一人に応じたQOLの維持・向上を図る)ためには、自発的に参加可能な様々な活動の機会を確保して、自己実現を図っていくことが大切です。 <参考> 家庭,職場,支援組織,社会貢献活動,趣味の会など
2)結婚・家事・育児
性別役割分業論が根強いわが国では、様々な発達障害の特徴<注1>を持つ女性が、結婚や家事・育児などをこなしていくことは非常に難しいことです。
<注1> 変化に上手く対応できない,計画だって物事を進めたり整理整頓をしたりすることが苦手,子どもの泣き声や予測不能の行動に過敏に反応し適切に対応できない、人の気持ちを察したり自分の気持ちをうまく表現できない,対人関係が上手く築けないなど
① 配偶者や家族による支援
* 発達障害的な特徴をよく理解した配偶者や家族による支援
〈例〉 経済的・心理的自立への支援,配偶者や家族とのコミュニケーション,仕事と家事の両立,育児扶養や介護など
② 周囲の支援者による支援
* 医師や保健師(産後うつなどへの対処),カウンセラー(ジェンダーとしての女性の生き方に関わる相談),職場の上司(労働時間の調整) 〈参考〉地域社会の理解と支援
* 支援者の精神的疲弊(離婚の要因となりやすい)に対するカウンセリングなどの支援
月経前不快気分障害
* 著しい感情の不安定性・いらだ たしさ・怒り・対人関係のトラブ ル・抑うつ気分・絶望感・自己批 判的思考・不安・緊張など
* 通常の活動での興味の減退・集 中困難・倦怠感・易疲労性・不眠・
過眠・食欲の著しい変化・制御不 能感・乳房の圧痛・体重増加など
* 月経開始前に、上記の症状の5つ以上が認められ、生活に大きな支障をきたすが、月経終了後にはかなり軽快するか消失する。 |
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(1)今年の年賀状に、こんな駄句と絵を載せました。
ガースーもコロナも祓え木彫り牛
そのココロは、次の文章のとおり。
カットの赤牛は、公民館講座のつながりで頂戴した手づくりの木彫りに、妻が色つけし、スケッチしたもの。制作者の方は、毎年の干支を作品にしておられるそうです。
郷土玩具「赤べこ」の張り子は、疫病除として知られていますが、この赤い木彫牛も霊験あらたかに違いありません。
まずは、何よりもコロナ禍を、そして国民の不安と不幸を増大させている「ガースー」禍も、いっぺんに祓(はら)ってほしいものです。
(2)節分に当たり、同工異曲の句で遊んでみました。
ガースーもコロナも払え鬼遣(や)らい
今日の節分行事の起こりとされる「鬼遣らい」、または「追儺(ついな)」について、ものの本にはこうあります。
「追儺、一に鬼やらいともいう、我が朝廷年中行事の一にして、毎年十二月晦日、疫鬼を払はんが為めに行われたる一の儀式なり、(中略)戦国の世に至り廃絶し、僅に各地の神社等にその型を残す、江戸時代に於ては、十二月節分の夜、江戸城中も民間も、共に柊の葉にゴマメの頭を付けて入口に挿み、年男礼装して豆を打ち、鬼を追ふまねす、之を近世追儺とは称したり」(『画題辞典』斎藤隆三)
そう言えば、以前、アジア人留学生相手の日本語授業で、節分を題材にしたプリントを作ってみました。少しだけご紹介します(一部改作。また、実際には漢字の多くにふりがなを施していますが、煩雑になりますので省略)。
一年を24等分する暦「二十四節気」の中に、「立春」「立夏」「立秋」「立冬」と呼ばれる日がありますが、それぞれの前日を「節分」と呼びます。「季節を分ける日」という意味です。節分の風習は. 奈良時代頃、中国から伝来し、 平安時代に宮廷の行事として定着したと言われます。節分は、もともと一年に四回ありますが、なかでも「立春」が一年の始まりとして、とくに尊ばれたため、節分といえば次第に春の節分のみをさすようになったようです。
古来、季節の変わり目には鬼が出ると言われていて、節分に豆をまいて鬼を追い払う行事は、室町時代から続いています。
豆まきは、普通、「福は内、鬼は外」と掛け声をかけます。これは邪気=鬼を払って福を呼び込むということですが、場所によっては「鬼は外」という言葉を言わなかったり、「福は内、鬼は内」というかけ声をかけるところもあるのです。
鬼とは詰まるところ邪気、災厄の象徴。さしづめ、当面する最大の災厄は、コロナ禍。そして、それに勝るとも劣らぬガースー禍でしょうか。いま、アニメ「鬼滅の刃」が大ブームで、ひたすら心身を鍛えて鬼に打ち克とうと励む少年の姿が共感を呼んでいるようです。これに倣って、全集中で「鬼遣らい」に挑みたいものです。
(3)私的ブログの、過去記事に「唯々諾々 駄句駄句」(ただただだくだく)」という文章を書いたことがあります(2019年2月5日付)。
【節分】
福は内福は内とて豆を蒔く
「鬼は外」敢えて小声の鬼遣らい
追はれたる鬼の子雨に寒かろう
童話「おにたのぼうし」もまた、「鬼は外」のかけ声をためらわせます。
おにたは黒鬼の子どもです。おにたは、きのいい おにでした。きのうも まことくんに、なくした ビーだまを こっそり ひろってきてやりました。このまえは、にわかあめの とき、ほしものを、ちゃのまに なげこんでおきました。おとうさんの くつを ぴかぴかに ひからせておいたことも あります。でも、だれも おにたが したとは きがつきません。
まめまきの おとを ききながら、おにたは おもいました。(にんげんって おかしいな。おには わるいって、きめているんだから。おににも、いろいろ あるのにな。にんげんも、いろいろ いるみたいに。) そして、ふるい むぎわらぼうしを かぶりました。つのかくしの ぼうしです。こうして、かさっとも おとをたてないで、おにたは、ものおきごやを でていきました。
おにたは粉雪の舞う寒い路地をさまよいますが、どの家も玄関に鬼よけのひいらぎが飾られていて入ることができません。とおりかかったトタン屋根の水簿らしい家には柊も飾られて織らず、豆のにおいもしません。その家に住むお母さんは病気で伏せっており、女の子が献身的に看病していました。 おにたはお腹をすかせた女の子のために食べ物を調達し、節分であまったご馳走だと言って、差し入れします。
「あたしに くれるの?」 そっと ふきんを とると、あたたかそうな あかごはんと うぐいすいろの にまめが ゆげを たてています。おんなのこの かおが、ぱっと あかくなりました。そして、にこっと わらいました。
おんなのこが ふっと なにか かんがえこんでいます。「どうしたの?」 「もう みんな、まめまき すんだかな、と おもったの。あたしも まめまき、したいなあ。」 「なんだって?」 「だって、おにが くれば、きっと おかあさんの びょうきが わるくなるわ。」 おにたは てを だらんと さげて ふるふるっと かなしそうに みぶるいして いいました。「おにだって、いろいろ あるのに。おにだって……」 こおりが とけたように、きゅうに おにたが いなくなりました。あとには、あの むぎわらぼうしだけが、ぽつんと のこっています。
さらに駄句。
恵方巻黙して喰うは至難哉
豆撒きも兄弟げんかの種となり
【立春】
春立てば風てきめんにやわらかく
春立つ日窓全開にドライブす
春立つや腰の痛みやわらぎぬ
疼痛の癒ゆるも道理冬果つる
(4)この年の立春は、文字通り春の陽気を連れてきたのでした。厳寒に見舞われた今年も、遅ればせながら、早春の花々が春の訪れを告げています。いずれも月2月1日、半田山植物園で写しました。
まずは、セツブンソウ。名前の通り節分の頃咲きます。
黄金色のフクジュソウ。
ソシンロウバイ。漢字では素心蝋梅と書くそうで、黄色一色のロウバイです。
早春の花の代表、マンサク。
「先ず咲く」から名付けられたとも「豊年満作」からとも言われています。いろいろな品種があるようです。
マンサク咲いてコロナの冬は果てぬべし
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人間にとって一番大切なのは生命です。それは、たった一回しか与えられません。
だから、だから悔いのない生き方をしたいものです。
昔の人は、人生を四季に分けて美しく青春・朱夏・白秋・玄冬と呼んできました。
私は、玄冬のさ中の卒寿を進行中です。米寿にあたって励ましのお祝いをして頂き、大きな元気を頂きました。
足と耳と目が少し弱ってきていますが、気力はまだまだあります。
老人は枯れてはいないーストレーラーの老化の四原則
① 老化はまんべんなく起こる
髪の毛を染められても老いを染めことはできない
② 老化は歳をとるから起こるものである
病気で老化が進むことがあっても、病気によって起こるものではない
③ 老化はつねに進行性である
若返りたいと熱望してもそれはできない。しかし気分は若返る事がで きる。
④ 老化は身体に有害である
体の動きが弱くなり 記憶力が衰え忘れっぽくなったり ちょっと転 んでも骨折したり その骨折もなか なか完治しない
このように 歳を重ねて顔に出る皺(しわ)や染み(しみ)は避けることができない
しかし 心に皺やしみをつくらないで いつまでも青春することができる
だから残された老人力をいかんなく発揮することができる
そこで、「生きるには潤いが必要だし、それは愛であり、性であると思う。性愛は性交の存在とは関係ない。とくに老人は年齢によっては性的能力を失っています。
美しい人を見たら美しいと思ったり、心の美しい人に会ったら好きになったりする。
私も含めて老人だって心ときめかす人に出会えば、心を通わせたいと思う。それは自然のことです。
生きものはいろいろいるが、性愛は人間の特徴です。知恵があるから自分を見つめる力を持っている。
だからこそ、人を好きだと思う自分の心を生かしたいと思うし、そこから愛がうまれる。
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ハ(春)は もうそこにやってきた
ハ(花々)はいつものように咲き やがていつものよう に散ってはいくが
コロナの力と人間の力の激しい闘いが続いている いま
ク(苦)しい今の日常を克服していくために そしてコ ロナ撲滅の戦いに完全勝利するために 今こそ人類の知恵と力をさらに結集しよう 過去の多くの勝利のように
サいご(最後)の微笑みをこの手の中に N
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