「ネットワーク通信」連載記事あ・ら・か・る・と
シリーズ いじめを考える
相談員 福 田 求(“ののはな”教育相談”)
「ネットワーク通信」では、相談員 福田 求さん(“ののはな”教育相談”)の
「いじめを考える」をシリーズで連載していますので、順次ご紹介します。
いじめを考える <PartⅠ>
不登校生のカウンセリングでは、いじめが原因で不登校となったことがわかることも少なくありません。しかし学校現場ではいじめに対する共通認識がなされていないため、関係生徒への支援や指導が遅れたり、「様子を見る」という体のよい放置がなされたりして、問題の核心と考えられるいじめには踏み込むことなく、不登校状態への対処に終始している場合も見られます。
そこで、本紙面をお借りして、いじめについて考えをまとめて実践に活かすことにしました。忌憚のないご意見などをお寄せ下さるようお願いいたします。
1 いじめの定義 *(注)は福田による
平成25年9月に施行された「いじめ防止対策推進法」(平成25年法律第71号)においては,「いじめ」を「児童等に対
して,当該児童等が在籍する学校(注1)に在籍している等、当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む)であって,当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているものをいう。」と定義しています。
同法に基づき,同年10月に文部科学大臣が決定した「いじめの防止等のための基本的な方針」(平成29年3月改訂)では,同法にいう「一定の人的関係」とは,当該児童生徒と何らかの人的関係を指すとされ,また,個々の行為が「いじめ」に当たるか否かの判断は,表面的・形式的にすることなく,いじめられた児童生徒の立場に立って行う必要があるとされています。
(注1)小学校、中学校、高等学校、中等教育学校及び特別支援学校、ただし幼稚部を除く
しかし現場では、生徒がいじめを訴えてきた場合、担任や生徒指導担当者などが、「生徒の心身の苦痛」を聴き取るという観点より、「表面的・形式的」な事実関係の解明に重点を置いて聞き取りを行い、いじめはなかったと判断している場合もあるようです。また教師自身が「いじめと言うよりは『からかい』だ」とか、「あの生徒は皆に構ってもらいたいから、大げさに言っているだけだ」、あるいは「被害妄想だろう」などと独善的に判断している場合も見受けられます。
実際のいじめは、形式的に教師が事情聴取した程度では発見できないくらい巧妙に、しかも陰湿化しているのに加えて、いじめがあったことを素直に教師や保護者に話すような生徒はほとんどい
ないということが、いじめの発見段階での大きな隘路となっていると考えられます。
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2 いじめの形態と特徴
(1)いじめの形態
① 小さな暴力を繰り返したり、教師や大人の前では仲の良いふりをしたりして、いじめに気づかれにくくする。
例 コンパスの針で背中を刺し続ける。わざと
転んだふりをして給食を床に撒き散らす。
② 「汚い」「醜い」などのイメージを植え付けたり、共犯関係を演出したりして、いじめを正当化しようとする。
例 給食の中にゴミやゴキブリの死骸などを入れておき、それを少しでも食べたら、汚いものを食べた事実を言いふらす。
③ 徹底して恥をかかせ、抵抗しようとする気持ちや判断力を奪い去り、奴隷にしてしまう。
「いじめは、生きる力を奪う」
日々の無視(シカト)が続くなかで、唯一の救い(他者との交わり)が、悪質な「いじめを受けること」であるとしたらどうでしょうか。
「自殺をするのは弱いからだ。」と被害者を責めるような論調も見受けられますが、度重なるいじめによるストレスが、うつ状態を引き起こすと、どんなに強い人であっても「自分は生きる価値がない」と考え、自らの命を絶っていくようになるのです。
被害者を責めることは、加害者の責任を曖昧にすることになり、被害者の救済には逆効果となるのです。
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例 女子の下着を廊下に貼り出し、もっとひどいことをするぞと言って脅しながら、万引きやエンコー(援助交際)を強要する。
④ 相手の存在を許さないような言葉を投げつける。
例「マジ、なんで学校に来(く)んの?」「あんたさぁ、 なんで生きてんの?」「(学校の屋上で)なんで飛び降りないの?」
⑤ ネットを悪用して陰湿にいじめる。
例 出会い系サイトに、標的となる○○の写真付きで「エンコーしてくれる人探している中学生の○○です。メールください」と「なりすましメール」を流す。
例 ライングループから対象生徒を外したり入れたりすることを繰り返して、精神的に動揺させる。
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(2)いじめの特徴
① 動作が遅いとか性格がおとなしいといった「弱い」子どもばかりではなく、「強い」子も含めたあらゆる子どもが、お互いに親しいと思われている関係のなかで、いじめの対象となる傾向が極めて高いようです。
② 一人を複数がいじめる傾向にあることから、いじめの首謀者が誰であるかハッキリしておらず、いじめを行う側の子どもが罪の意識を感じていない例が多くなっています。
③ いじめに実際に加担していなくとも、いじめの行為を面白がって見ていたりはやしたてたりする「観衆」や、いじめを見て見ぬふりをしている「傍観者」や「無関心者」が、いじめを助長する役割を果たしています。
「2種類ある」いじめとは?
「暴力を伴ういじめ」は一部の者だけが何度も繰り返し経験する一方で、「暴力を伴わないいじめ」は、多くの者が数回程度の経験にとどまっていることが見てとれます。両者は、同じように「いじめ」と呼ばれていたとしても、異質なものであり、どの子どもにも起こりうるいじめと、一部の「気になる子」が 中心になる(暴力を伴う)いじめとは、異なる対応が求められるのです。
<2010年に「国立教育政策研究所」がまとめた「いじめ追跡調査」より>
④ ネットの匿名性を悪用したいじめがより陰湿化し、被害者に深刻な孤独感を与えたり、ネットの持つ仮想現実性(ゲーム性)が加害者の現実感を損ない、卑劣な犯罪を行っているという罪悪感を希薄にさせたりしています。
補足 「ネット上のいじめ」の特徴
・ 不特定多数の者から、絶え間なく誹謗・中傷が行われ、被害が短期間で深刻なものとなる。
・ 匿名性の高さから安易に書き込みが行われるため、子どもが容易に被害者にされたり加害者になることができたりする。
・ インターネット上に掲載された個人情報や画像は、容易に加工できるので悪用されやすく、また一度流出した個人情報は回収が困難であり、不特定多数の他者からアクセスされる危険性が高い。
・ 親などが、子どもの携帯電話等の利用状況や掲載された内容などを詳細に確認することは難しい。 <「ネット上のいじめ」に関する対応マニュアル・事例集(学校・教員向け,文科省,より作成>
・ lineの返信ルール(ガラケー時代は3分、スマホ時代は3秒以内で返信しなければならない)を守らないと仲間から外されるので、スマホを片時も離すことができない状態となっている。
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3 いじめという犯罪
どのような事情があるとしても、人をいじめることは、基本的人権(注2)を侵害することになるので、犯罪に問われる場合があります。
たとえ、「自分もいじめられたことがあるから」とか、「いじめなければ自分がいじめられることになると 脅されたから」というような理由で人をいじめたとしても、自分の罪が軽減されることにはなりません。
いじめは、多数の力を頼みにして少数の人を不幸のどん底に突き落とす卑劣な犯罪なのですから、いじめに加わった人には、法による厳しい裁きが下されるようになっているのです。
参考 犯罪に問われるいじめ
① 廊下ですれ違う時などに、特定の生徒に、「死ね!」・「殺す!」と何度も言った→ 脅迫罪②
嫌がっている相手に、プロレスの技をかけて痣を作った→ 傷害罪
③ いつも嫌がる相手の手を払って、相手の弁当のおかずを食べている→ 窃盗罪
④ お金や物を「返すから貸して」と言って借りて返さなかった→ 詐欺罪
⑤ 他の仲間を脅して気に入らない子を仲間はずれにさせた→ 強要罪
⑥ 「キモイ」などと校内やネット上などで、実名を挙げて悪口を言った→ 侮辱罪
(注2) 基本的人権とは?
私たち皆が、人間らしく幸せに生きるために行使できる権利を(基本的)人権と言います。日本国憲法では、基本的人権は何人も永久に侵すことができない権利として私たちに与えられていると規定されていますが、私たちの不断の努力によって保持しなければ、その権利は失われてしまうものだと警告しています。
一方、いくら自由が保障されているといっても、他人の人権を侵すことは許されていません。いじめに例をとると、言論や表現の自由があるからといってある人を誹謗中傷すると、その人の尊厳や安全に授業などを受ける権利を侵害することになるので、自らが罰せられることになるのです。
【 日本国憲法に規定されている主な人権 】
① 自由権:誰にも束縛されない権利で、身体の自由(奴隷的拘束・苦役に服させられないなど)、精神の自由(集会・結社・言論・表現・思想・信条・学問・信教など)、経済の自由(財産・職業選択・営業など)などが保障されています。
② 平等権:誰でも等しく法の適用を受ける権利があるとして、人種・信条・性別・社会的身分・門地などにより、あらゆる差別(いじめも含まれます)を禁止しています。
③ 社会権:私たちが健康で文化的な生活を送るために必要な社会保障や福祉、教育・労働などの領域に関わる権利を、国や自治体などに保障させるものです。
④ 参政権や請求権:基本的人権を、私たち国民が主権者として政治や行政に対して保障させるために必要不可欠な権利です。
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(次号のいじめを考えるPartⅡへ続きます)
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いじめを考える <PartⅡ>
<bing.com/images いじめの画像>
4 いじめの心理
(1)加害者の心理
加害者の心理としては、「おもしろいから」
とか、「いじめられている子どもに非があるから」というように、自分の欲求不満を「合理化」して、無意識のうちに解消している場合が見られます。特に暴力を伴ういじめの加害者の心理的特徴としては、自分も他人も信じることができないことから、仲間と楽しそうに遊んでいても、明日にでも皆が自分から離れていくのではないかという不安や猜疑心、あるいは孤独感などに苛まれており、誰とも親密な人間関係を築くことができないと言われています。
これは幼い頃から周囲(特に親)から虐待などを受けてきた子どもによく見られる特徴です。彼
らは、「自分は可愛いがってもらえない存在だ」という根源的な不安や不信感が、周囲への攻撃性に繋がっていくのです。また自尊感情が低く情緒不安定でストレス耐性も低いので、何らかのストレスを感じたときには、自らの感情をコントロールすることができずに、衝動的にいじめなどの反社会的な行動をとったり自傷したりして、欲求不満を解消しようとすることが多いのです。
一方、凄惨ないじめを行った加害者が、いじめを否認したり正当化したりして良心の呵責を感じていない場合は、行為障害(成人では反社会性パーソナリティ障害)なども考慮しなければなりません。彼らには、刑事責任の追及と併せて、精神的なケア(治療など)を受けさせることも必要となってきます。言うまでもなく彼ら加害者が、自からいじめた事実を親や学校に報告することはほとんどありません。
(2)被害者の心理
被害者の心理としては、まず「助けを求めたくない」ということが挙げられます。理由としては、親に助けを求めても「お前も悪い」と責められるし、先生も何もしてくれないので「何も変わらない」と考えているからです。また、「チクった(告げ口をした)」として報復されることを恐れたり、親などに心配をかけたり悲しませたりしたくいと考えることも多いようです。周囲に関わられるのを避けて、「黙って逃げ出したい」「遠くへ行きたい」という思いに駆られる場合もあるようです。あるいは、「いじめられていることを認めない」という心理もよく働くようです。それは自分がいじめられている弱い存在であると人に知られるのがあまりにも惨めで、「プライドが許さない」からです。「無視されるよりはいじめを受けているほうがまだましだ」という屈折した心理が働くことも知られています。被害者には以上のような心理が働くので、いじめが発覚して事情を訊かれても、あまり信頼関係ができていない教師などに、いじめられている事実や心身の苦痛を「話さない」・「話せない」ことが多く、いじめが発見されにくく、また解決にまで至らない場合が多いのです。
(3)観衆や傍観者の心理
観衆の心理としては、加害者と同様に自分の欲求不満を「合理化」して無意識のうちに解消している場合が見られます。一方、傍観者(無関心者)の中には、「止めたいが止められない」と諦めていたり、「なんとなく見ていた」「まったく気づかなかった」と自らの主体性や社会性の欠如を露呈したりする子どももいます。
機能不全家族
子どもが心身ともに健康に育つ場としての機能を果たしていない、次のような家族のことを言います。
● 親の性格が未熟で、子どもに対する過干渉、虐待・暴力、放任などによる支配が日常的に行われている。
● 親は子どもには完全を要求するが、無意識では自分より劣っていて欲しいと願っている。
● 夫婦間の不和などにより両親が力を合わせて教育する力が損なわれている。
● 親が特定の家族への対応に追われて、他の家族を思いやる余裕がない。 |
また観衆や傍観者は、「他人がいじめられている間は安心だ」と考えていたり、次は自分がいじめの対象となることに不安や恐怖を抱いていたりするために、加害者(強者あるいは多数者)に同調する心理(同調圧力)に支配されてしまうのです。つまり、主体性(自信)がない子どもたちは、数人のメンバーによるいじめにはなんとか耐えることができても、クラス全員にまでいじめが広がって、「(一人)ぼっち」になることには耐えることができません。そうならないためには、たとえ親友がいじめられていたとしても、保身のためにいじめる側に付いて、そこでの支配的な文化(言動・考え方・ファッションなど)に同化してしまうのです。
これは現代社会全体に広がっている「他人志向型」<D.リースマン>人間の心理そのものであり、恐ろしいことにファシズムを支える心理とも言えるものです。「空気を読む」、「忖度する」、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」、「ラインの3秒ルール」などに見られるこの心理は、政権を追及する野党を批判したり、有力者に頼まれた候補者に投票したり、政治的無関心に陥ったり、労働組合に入らなかったりする行動をとらせることになるのです。
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5 いじめの背景
「盗みをするな」といくら説教しても、貧困で飢えている人には効果がないように、「いじめてはいけない」といくら道徳を教えても、いじめが生み出されてくる背景にある問題を解決しなければ、効果はありません。ここではその背景となっている生活状況や社会構造の問題について考えます。
(1)家族社会
核家族化や少子化の進行<国勢調査:総務省2020年>とともに、親の単身赴任なども増加した<「意外と増えている単身赴任」www.transtructure.com>ため、家族間のコミュニケーションをとる機会が減少しています。また受験競争の激化は、子どもの学習塾通いの増加<高校生通塾率の推移(1990年~2015年)Education
Career>をもたらし、生身の子ども同士がぶつかり合う「ルール遊び(缶蹴りや草野球など)」などを通した健全な社会化を妨げ、ネットゲームやSNSを介した
仮想現実上での貧しいコミュニケーションを余儀なくさせています。
その結果、生きた人間関係スキルを習得できず、他人の気持ちや考え方がわからない自己中心的な子どもが多くなっています。なかでも機能不全家族<コラム参照>の子どもは、慢性的愛情飢餓により自尊感情(自信)が育たず、自他不信や無関心、わがまま、冷淡な性格になりやすいのです。また劣等感や孤独感、不安感などを募らせており、そのような心理が自他への攻撃性に転化し、自傷や自死に至ったり、いじめなどの他人に危害を加えたりすることで安心を見出そうとすることもあるのです。さらに、基本的生活習慣や感情を上手くコントロールできるような適切な生活態度が身についておらず、いじめに関する善悪の判断が甘い子どもが多いと言われています。
(2)学校社会
先ず、過少の教員定数の下での教師の過重労働<中学校教員の1週間の仕事時間は、OECD平均の1.4倍,2013年>や、それを悪化させる中間管理職の増設や校務(部活動や校外の交通指導なども含む)の多忙化、また教師の精神の自由を侵す「君が代」斉唱の強制や非合理的な校則の押しつけなど、管理体制の強化が進められています。その結果、教師が生徒を直接指導する時間や教材研究などに必要な時間が不足したり、教師同士の自主的で自由な研修や情報交換の場が失われたりしています。このような状況下では、教師の抱えるストレスが高まり、労働意欲や生きがいを失うばかりか、胃潰瘍などの心身症やうつ病などの気分障害を患ったり、過労死が出現したりする事例も報告されています<コラム参照>。この劣悪な状況を改善するための教員組合の組織率の低下<1958年では全教員の9割強→2020年には約3割,文科省>は、労働条件の悪化を招くとともに、教師の人権意識の希薄化や職場での孤立に大きな影響を与えており、授業崩壊やいじめなどの問題に対する教師の問題解決能力や、生徒指導力の低下に影響を与えていると考えられます。
次に、学力偏重主義や受験中心主義の蔓延を背景とした児童生徒に対する指導が、テストの偏差値を偏重したり、心や態度を数字で主観的・断片的に評価<活動への関心や意欲などの観点別評価:学習指導要領>したりすることによって、児童生徒の人格やそれを規定している生活全体をよく見、よく聴いたうえで、個々の児童生徒の実態に即して総合的に評価していく視点が疎かになっています。その結果、教師と児童生徒との人格的な触れ合いは少なくなり、保護者も含めた相互の信頼感が醸成されにくくなっています。
二つのブラック 「長時間労働」と「不払い労働」
ブラックの一つ目は、「長時間労働」である。文部科学省が2016年度に公立校の教員を対象に実施した「教員勤務実態調査」では、「過労死ライン」(月80時間以上の時間外労働)を超える教員が小学校で3割、中学校で6割ということが明らかになっている。ブラックの二つ目は、時間外労働の対価が支払われていない、すなわち「不払い労働」である。
<内田 良,週刊文春電子版2018.5.1> |
岡山県の高等学校ではHRの時間が、事務連絡や教科指導などに使われており、前述の教師の指導力の低下も作用して、児童生徒がいじめなどの身近な問題を自主的に解決していく力を育てる場が失われてきています。さらに、学校教育相談体制の形骸化(他分掌に吸収され、人員も削減される)も進行しており、いじめなどの児童生徒の悩みや不安をよく聴いて共感的理解を深めたうえで、保護者や担任、あるいは他分掌や社会的資源などと連携して問題の解決を進めていく機能が麻痺してきています。
(3)政治・経済・社会
1)政治の右傾化と教科道徳
いじめ問題の深刻化を背景として、中学校学習指導要領が2017年告示され、教科としての道徳がいじめ問題の解決の旗手として誕生しました。しかしその内容は、2006年の改正教育基本法の教育の目標で強調された公共の精神や伝統と文化、愛国心や郷土愛などの徳目を具体的に授業の場に持ち込むすものです。これは憲法で保障され、戦後の民主主義教育で大切にしてきた個人の自由や権利よりも、公共(皆,国家)や義務を重んじる全体主義的傾向を示しており、戦前の教育勅語を柱とした「修身」に回帰させようとするものです。児童生徒に「いじめてはいけません」という義務を教えるのか、いじめられた友だちの権利を考えさせるのか、どちらが良いのでしょうか?
右翼と左翼、保守と革新、中道とは?
ここでは、現憲法を基準として右翼・左翼などをつぎのように定義します。<福田>
日本国憲法に定められた体制や内容(修正資本主義、国民主権・象徴天皇制、民主主義、戦争放棄、法の下の平等など)を守ろうとするのが保守・中道。旧憲法に定められた体制や内容(資本主義、天皇主権・君主制、軍国主義、身分制など)に戻そう(変えよう)とするのが右翼。歴史の流れをさらに進めて社会主義や共産主義、天皇制を解消した共和制などを主張するのが左翼・革新とします。ただし平和政策に関しては、憲法前文や第9条が戦争以外の手段で自衛権の行使を規定する革新的な内容なので、共産は保守、自衛戦争でも認める政党は右翼と考えます。因みに政権担当政党が与党で、そうでない政党が野党です。
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-閑話- そもそも教育勅語は、一旦戦争が起こったら勇気を出して、天皇のために命を捧げることを最高の美徳とする天皇主権下での臣民を作るものでした。それは戦後の民主化政策により廃止されましたが、その一部には正しいものも含まれているので、教科道徳で扱ってもよいのではないかとする右翼<コラム参照>勢力が、国会では多数を占め、教科書検定の検閲化や教育基本法の改正・道徳の教科化のみならず、憲法第99条(公務員の憲法擁護義務)に反して第9条の改正や、敵基地攻撃能力の検討などを主張しているのです。
この政治の右傾化は、1940年代後半、米国が極東戦略を転換させた〔日本に戦争を放棄させる方針から、「再軍備させて全体主義戦争の脅威に対する妨害物の役目を果たすことができるように」<米ロイヤル陸軍長官演説1948年など>変えた〕ことで加速されます。即ち、1950年の警察予備隊の創設からサンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約の締結(1951年)を経て、解釈改憲(第9条の「国際紛争」=侵略戦争。第9条の戦力≠自衛隊)を弄して戦力を増強し、日本を戦争ができる国にしていく一連の動きが、日米両政府によって推進されているのです。
教育面で注目すべきは、1953年に行われた池田・ロバートソン会談です。その覚書には我が国の再軍備を妨げている要因として、憲法の平和主義などの他に「教え子を再び戦場に送るな」とする平和教育があげられており、「日本人が自分の国は自分で守るという基本観念を徐々に持つように日本政府は啓蒙していく必要がある」との方針が、日米間で合意されています。この右傾化の方針に従って、いじめ対策を「羊頭」として掲げた教科道徳も全国に展開されているのです。
また2018年告示の学習指導要領の高校「公共」の「内容の取扱い」の中でも、「日米安全保障条約や我が国の防衛,国際社会の平和と安全の維持のために自衛隊が果たしている役割など」の「基本事項について,広い視野に立って理解できるようにする」と記されています。これは恒久平和主義に反して、自衛隊という戦力を国民に是認させようとする政府の考え方を、検定済み教科書を使用することによって高校生全員に必修させる(押し付ける)ものです。正に国家百年の計は、道徳・公民教育にかかっていると言っても言い過ぎではないでしょう。
2)新自由主義の推進
1980年代には米国からの金融市場の緩和や外資への門戸開放を目的とした広範囲にわたる規制緩和の要求<日米円ドル委員会報告書1983年>を受け入れ、新自由主義が推進されました。これは自由主義の基本的矛盾である、周期的な恐慌の出現や貧富の差が拡大していくことを、経済政策により是正していこうとする修正資本主義の歩みを後退させるものです<コラム「経済社会の流れ図」参照>。その結果、戦後禁止されていた持ち株会社を中心とした超巨大な複合企業が誕生(財閥が復活・再編)して、グローバル化の名の下に大規模な海外投資が行われたため、国内産業の空洞化(GDPの減少と雇用の減少)をもたらしました。また所得税の累進性を緩くしたり(1962年の最高累進税率75%→2013年は45%)、法人税率を引き下げたり(1984年は45.5%→2021年は23.2%:財務省)する代わりに、低所得者ほど税負担率が高くなる消費税を導入して、その税率を引き上げてきています。さらに労働法制の規制を緩和して、低賃金で雇用できるうえ解雇しやすい非正規労働者の雇用の割合を急増させました<1989年:18.9%→2019年:38.3%,総務省労働局調査>。
一方、日本銀行の超低金利政策によって生じた潤沢な資金は、GPIFの公的年金積立金とともに株式市場に流入し、不況下の株価上昇をもたらしました。企業は賃金を抑制し(先進国の中で、最近の20年間で賃金が下がっているのは日本だけ)内部留保(200兆円:GDPの4割,日経新聞社2019年)を増やしたため、消費需要を冷え込ませ成長力を低下させました<1980年のGDPを基準として最近20年間の成長率は、OECD加盟41か国中、日本は最下位,同>。これらのことが、所得格差(日本のレベルはOECD加盟国中33位,ユニセフ調査)をさらに拡大させ、労働者の過剰労働や単身赴任、ひいては機能不全家族を増加させているのです。
3)その他
① マスコミの商業主義と世論操作
「いじめたのではなく弄っただけだ」と自己弁護するいじめ加害者もいます。これにはスポンサーが重視する視聴率を上げるために、弄りギャグが売り物のタレントを重用するマスコミの商業主義の影響が強いと思われます。
また政権に忖度して政府に不都合なニュースや番組は流さないようにしたり、大衆に迎合してポピュリズムに陥ったりするマスコミの体質が、国民の正しい権利意識やいじめ、ひいては社会を見る目を曇らせる一因となっているのではないでしょうか。
② ネット社会
匿名性が高く、不特定多数のアクセスが可能なネットへの書き込みを誰でも容易に行うことができ、いじめやデマなどを拡散することに繫がっているとともに、そのことへの適切な対処を妨げる要因となっています。またかなりの青少年がネット依存傾向にあり<厚労省2013年>、社会への適応力や生きる力を削がれていることも見逃すことはできません。
③ 価値観の多様化
近年、多様化が尊重される動きも出てきていますが、労働組合に入らなかったり投票に行かなかったり、あるいはヘイトスピーチを行ったりすることも、個人の自由だから許されるという誤った価値観も見られます。何らかの私的な理由で、憲法で保障された人間らしく生きる権利を自ら放棄したり、他の人を誹謗中傷して苦しめたりする自由や権利などを容認したりすることは、人間らしくない生き方を認めるということであり、国民の人権意識や道徳観、ひいては人生観や世界観を混乱させることに繫がるのではないでしょうか。 PartⅢ6「いじめへの対処」につづく)
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いじめを考える <PartⅢ❶>
【傾聴・受容・共感的理解とは?】
子どもが心を開いて心の痛みを親に話してくれるようになるには、「今、ここ」に居る子どもが何を考え、何を感じているかを、純粋な心で(親が抱いている先入観や常識、子どもへの期待、あるいは他人や平均値と比べて子どもを評価する考え方などは一切脇に置いておいて)、ひたすら(反論や説教をしないで)聴く(傾聴する)ことです。
そして話の内容が親から見て明らに誤ったものであったとしても、「この子はこのように考えているのだ。」と肯定も否定もせず(褒めも反論もせず)に受け止め(受容し)、あたかも自分がこの子の立場だったら、そのような言動をとるだろうと思った(共感的理解ができた)ら、「私があなただったとしても、あなたと同じようにするかもしれない。」と、理解できたことを伝えましょう。そうすることで、子どもは「親が自分のことを分ってくれている」と思い、親を信頼し、心を開くようになるのです。
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6 いじめへの対処
(1) 家庭での指導
1)いじめられている子どもの心を支える
子どもより人生経験や社会生活を送る上での知識や技術に長けている親は、子どもの話をよく聞かないうちに、子どもを低く評価したり親の判断を押し付けたりしがちです。そのような親が、子どもから「いじめられている。」と打ち明けられた時は、どのように接すればよいのでしょうか。
まず、親は子どもを一人の人間として尊重し(子ども扱いしないで)、子どもの話すことをひたすら傾聴し、子どもの気持ちを受容することに努めます(右コラム参照)、
そして「よく話してくれたね。いじめは犯罪行為だから、いじめる方が一方的に悪く、あなたは悪くないよ。私はいつもあなたの味方だからね。」と言って安心させ、折れそうになっている子どもの心を支えることが大切です。
さらによくわからない点は納得するまでよく聴いて、共感的理解を示し(右コラム参照)、「解決は学校に任せよう。解決するまで学校には行かなくていいよ。私にできることは何でもしてあげるからね。」と言ってあげることです。そのような親を子どもは信頼し、いじめに遭った経験や辛い気持ちなども話すようになり、いじめをなくしていこうとする前向きな気持ちになってくるものです。
2)いじめの事実を文章化する
次の段階としては、いじめの事実を確認しそれを文章にして記録することです。子どもが受けたいじめについて、いつ、どこで、誰に、どのような行為を受け、どのような心身の苦痛を味わった(ている)のかを文章にまとめて記録します。
これは、いじめかどうかを判定する重要な資料になります。加害者・学校を相手に真相を究明したり、いじめの再発を防ぐための話し合いを進めていったり、加害者との話がこじれて訴訟になったりした場合には、有効な資料となるものです。
3)学校にいじめの解決と再発防止策を要望する
2)で作成した文書をコピーしたものを保護者が担当教師に呈示し、いじめの解決を学校側に依頼します(いじめを解決して児童生徒の一人一人に学習権をはじめとする人権(表現の自由、幸福追求権など)を保障する責務が学校にはあるからです)。念のために、同じ文書のコピーを学校長宛てにも送付しておくことが、担当者の段階で報告がストップするのを防ぐためには有効です。
一方、いじめを解決するためには、加害者だけではなく、観衆や傍観者も指導する必要があります。生徒一人一人が自分のしたことを正しく認識し、被害者の権利や心をどれだけ傷つけたのかを
知るためには、ホームルームでの人権教育や心理教育<(2)2)③参照>を行ったうえで、周到な準備を行った教師の指導によるいじめについての具体的な話し合いが必要です。
以上のことはいじめの再発を防止することにもつながりますので、被害者側の人権保障の要望を簡潔に文書にまとめて学校側に提出したうえで、どのような対策を講じたのかも文書で回答してもらうようにします。これは、後に学校の責任(下コラム参照)を追及する時にも役立ちます。
【いじめに関わる学校の責任】
公立学校の責任(安全配慮義務違反、不法行為責任、国家賠償法上の責任)は、法律で定められた職務を適正に履行しているかどうかで問われます。いじめの場合は、「いじめ防止対策推進法」で定められている職務が適正に行われていれば、学校が責任を問われることはありません。ただし、生徒のいじめに加わって生徒の心を傷つけるような不適切な言動をとる教師には、法的責任とは別次元の、人間としての道義的責任や、教育者としての教育的責任が問われることとなります。
一方、加害生徒には人権侵害を理由とする不法行為責任が、またその保護者には、いじめとの因果関係が認められる場合には、監督義務違反を理由とする不法行為責任が問われることになります。
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(2)学校での指導
日常の教育活動の中で、次の参照にあるような兆候に教師が気付いていじめを発見したり、学校に何らかのルートでいじめの情報が入ったりした場合の対応について考えていきます。
参照 いじめを見抜く教師の目をもつ
-最近こんな状況は見られませんか?
□学級の枠を越えて、他の学級の児童生徒が出入りしていないか。 □学級の枠を越えて、何人かでこそこそと話し、教師の目を避けていない か。 □教師が現れると、急によそよそしくなったり、しらけたりしてしまう雰囲気はないか。 □廊下などで教師の視線から逃げようとしている児童生徒はいないか。 □給食や掃除のとき、いつも特定の児童生徒が当番をやっていないか。 □掃除や休み時間にトイレで群れになっている児童生徒はいないか。□最近、欠席・遅刻・早退が目立って増えてきた児童生徒はいないか。□いつもと表情の違う児童生徒はいないか。□ 何となく気掛かりな行動の児童生徒はいないか。 □ 休み時間や給食の時間にひとりぼっちでいたり、食欲がなかったりする児童生徒はいないか。□ 何となく話したそうな素振りをみせる児童生徒はいないか。□ 授業中の発言、態度、表情、振舞いなどに、これまでとは違った点が見られる児童生徒はいないか。(続きは7の資料に記載)
<https://www.pref.gifu.lg.jp/uploaded/attachment/120759.pdf>
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1)学校の指導 * 凡例:<第 条>・・・いじめ防止対策推進法条項
いじめを予防・解消するために、学校の実情に応じていじめ防止に関する基本方針が定められ<第12条>、それに基づいて学校内のいじめ防止のための組織(いじめ対策委員会など)がつくられています<第22条>。いじめ対策委員会は、生徒の命や心身のケアを最優先する原則に従って、生徒の心のケアやいじめの概要の把握、それに基づく指導などを、学校を挙げて積極的に取組むための組織です<第23条>。
【加害者や学校とのトラブル】
加害者や学校が「いじめは存在しなかった」と主張したり、いじめの事実を隠ぺいしたりする場合や、刑罰法令に触れたり損害賠償を請求したりする場合もあります。学校内では問題が解決できない場合は、学校における法律問題に詳しい弁護士に相談してアドバイスを受けましょう。
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いじめの情報を受け取った教師は、一人で抱え込むことなく、いじめ対策委員会(管理職、生徒指導担当者、教育相談担当者、学年主任、養護教諭、該当生徒に関係する教師、スクールカウンセラーなどで構成)の開催を要請し、チームでいじめ問題を解決する体制を始動させます<第22条>。
* いじめ対策委員会での役割分担・・・ いじめに関係する生徒の気持ちや心身の苦痛を傾聴する係、加害生徒や観衆の指導を担当する係、いじめの全容を明らかにして関係生徒を指導する係、クラスの生徒へのアンケート調査や心理教育を担当する係、保護者や教育委員会・地域資源などと連携する係など
ただし、重大事態(生徒の生命・心身または財産に重大な被害が生じたり、生徒が不登校を余儀な
くされていたりする疑いあると認められた場合)に対しては、いじめ対策委員会は、質問票の使用や個別面接などにより、重大事態に係る事実関係を明確にするための調査を行い、生徒とその保護
者に対し、その調査結果を適切に提供することが義務付けられています。<第28条>学校は、教育委員会を通じて、重大事態が発生した旨を、知事に報告し、知事は必要が有れば第三者委員会を設けて調査を行い、その結果を議会に報告しなければなりません<第30条>。
また、いじめが解決するまで、被害者からの要望があれば、加害生徒を別室登校<第23条>させたり、いじめの被害生徒に学校に来なくてもよい措置(オンライン授業の導入など)を講じたりすることにも配慮する必要があるでしょう。
さらに、暴力や恐喝を伴ういじめのように、刑事事件に該当する場合は、直ちに警察署に通報するとともに、保護者会での事情説明や保護者へのいじめ防止への協力を要請し、教育上必要がある場合は、加害生徒に対して懲戒を加えることも考慮しなければなりませんし<第25条>、SNSにおける誹謗中傷に対しては、学校からの「書き込み削除」をプロバイダーに請求することも必要です。
とはいえ、加害者を探し出して罰を与えるだけではいじめの解決には至りません。継続的な相談活動の中で、被害・加害生徒の心のケア(カウンセリングやストレス対処法など)をスクールカウンセラーや専門医などと連携して行うとともに、「いじめがある」とか「同調圧力が強い」、「授業がわからない」などの問題があれば、児童生徒が対等に話し合い支えあって、安全で明るく楽しい学校生活が送れるような学級・学校づくりを、学年団に支えられた学級担任の指導の下、PTAなどとも連携して学校全体で実践していくことが、いじめ防止対策の基礎なのです。
【 PTSD 】
* PTSD(心的外傷後ストレス障害)とは、生死に関わるような身の危険に遭遇したり、他者が死傷を負うような場面を目撃したりすすることで強い恐怖を感じ、そのトラウマが1カ月以上たっても、何度も繰り返し思い出されて生活に重大な支障を引き起こす精神疾患です。英語ではPost-Traumatic Stress Dis-orderと表記し、頭文字を取ってPTSDと称しています。
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2)生徒への指導と支援 参照(1)
いじめの指導において大切なことは、犯人探しよりもいじめに関係した児童生徒の心や生活を立て直すことです。被害者は心に深い傷を負ってしまっているので、PTSDなどの精神障害や、不登校や自殺といった深刻な事態に陥ることを防ぐ手立ても必要です。加害者や観衆も、学校生活や家庭において強いストレスを受けている場合が多いので、単に罰を与えてすませるのでなく、いじめに走る歪められた心の痛みを聴きとり、それを解消していく方向を探らなければ立ち直りは期待できません。いじめを黙認している傍観者にも、いじめをなくして明るいクラスを作っていく主体的な行動がとれるように、ホームルームなどでの指導が必要です。
① 被害生徒
まず、「いじめは犯罪なので、いじめる側が一方的に悪く、あなたは絶対に悪くない。先生はいつでもあなたの味方だし、いじめをなくして皆が安心して学校生活を送ることができるように学校全体であなたを支援するからね。」と言って安心して話すことができる場を作ることが大切です。そして今、どのような気持ちなのかを予断や偏見を排して真摯に傾聴して受容し、共感的に理解しようとします。即ち、いじめ被害者の心理(4参照)を把握した上で、いじめられている児童生徒の立場に立ってその訴えを肯定も否定もせずに受け止め、よく聴き、その心情をくみ取っていくことです。そして感じとった辛さや悔しさ、あるいは先生に告げ口をしたと思われたらその仕返しが怖いという気持ちなどを理解していること言葉で伝えます((1)1)参照)。
次に、「相手は大勢でいじめてくるので、親や先生、あるいは警察などの力を借りなければ、いじめを解決することはできないんだよ。決して自分ひとりで立ち向かおうとはしないでね。」と言って、心の負担を軽くしてあげましょう。そして、二度といじめが起こらないようにするために、事実の記録が必要なことを説明し、(1)2)と同様に、いじめの事実と心身の苦痛の状況を文書化します。これをもとにいじめ対策委員会の審議を促すのです。
一方、本人の希望に応じてクラスの席替えやクラス替えによって被害者の気持ちを少しでも楽にさせたり、心の傷が大きい場合は、生徒と保護者の了解を得て医療機関などへ紹介したり、また生徒・保護者の希望が強い場合には休学や転校も配慮したりするなどの配慮も必要です<第25条>。
さらに学校生活をよりよく過ごすために、担任や相談係あるいは部活動の顧問などが、「友情」や「今後の学校生活や進路・生き方」などについて話したり、現実的なコミュニケ―ションのとり方などを学ぶSST(社会技術訓練…人の考え方や思い・感情などを理解したり、自分の思考や感情の伝え方を練習したり、対人関係のトラブルを解決する方法を学び練習したりする方法。)に取り組んだりして、自尊感情や社会性を育てる支援も必要です。
【教師のカウンセリングマインド】
どのような生徒であっても、的確な援助さえあれば自分自身の力で立ち直っていくことができることを信じて、生徒の不安や反抗・怒りなどにたじろがないで、「ひたすら生徒の気持ちを傾聴し、しっかり受容して、共感的理解を示す」(6(1)1)参照)ことができる教師の心の在り方のことをカウンセリングマインドと言うようです。
たとえ心理学や精神医学などの専門的な知識や技術を修得していなくても、日頃から個々の生徒を個人として尊重し、生徒の声に耳を傾け、教育活動を真摯に実践し反省することを繰り返している教師には、生徒が信頼を寄せ、相談しようという気持ちになっていくのです。
換言すれば、教師としてのアイデンティティ(自己同一性)を確立して日夜努力している反省的実践教師には、カウンセリングマインドが備わっているのではないでしょうか。
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② 加害生徒(観衆を含む)
加害生徒や観衆となった児童生徒たちには、被害者に接するときと同様に、まず、「何か嫌なことがあったのかな。」と、彼らの気持ちや言い分を傾聴したうえで、彼らの満たされない気持ちや劣等感などを受け止め、共感的理解を示します。そして被害者の辛さや悔しさ、不安や恐れ、孤独感、あるいは今までできていたことができなくなった不自由さなども考えさせ、被害者の人権を侵害したことへの反省を促します。
たとえ加害者が観衆たちを巻き込んで、面白がっていじめているように見えても、彼らの強い劣等感(低学力など)や欲求不満(親からの虐待による愛情の飢餓など)を解消する(親への攻撃性を親に投影したり被害者に転化したりする)ためにいじめに走っている事例では、いくら丁寧に理性的に規範意識や道徳観を教え込もうとしても、受け入れてもらえません(彼らが第二反抗期に該当する場合はなおさらです)。彼らを加害者としてみるだけでなく、被害者としての側面もよく理解しようとして接することで、彼らとの信頼関係を築いていくことが指導の第一歩となるのです。このような家庭ストレスが強い事例では、スクールソーシャルワーカーや児童相談所などとの連携も必要となってきます。
一方、いくら心のケアを行おうとしても全く反省の様子がない場合は、社会性やパーソナリティに偏りがあるかもしれないので、スクールカウンセラーや専門医に相談します。また必要があれば、加害生徒に別室登校や懲戒など、他の生徒が安心して学校生活を送ることができるような措置をとったり、保護者や関係諸機関などとの連携を密にしたりするとともに、保護者同士で話合わせてトラブルが生じることがないように配慮することも必要です<第22・23条>。
加害者に反省の気持ちが出てきたら、いじめた事実を文章化していじめ検討委員会に提出したり、
今後のクラスメイトとの付き合い方を考えさせたりすることは、被害者の場合と同じです。
③ 傍観者
いじめに無関心を装う多くの傍観者は、「いじめは絶対にいけない」と思っていても、それを行動
に移すことができません(4(3)参照)。彼らは、親に教えられたり、社会科や保健体育科、道徳などの授業で教わったりして、「いじめたら罰せられる。いじめは犯罪[命さえ奪う人権侵害]だ。命は何よりも大切だ。多様性は尊重されなければいけない。いじめられた人を助けると自分がいじめられる。」など、多くの知見を持っています。しかし、彼らには、このような知見をもとに、自分で、「どうしたら善く生きることができるか」を考え、周囲の人と話し合ってそこで得られた様々な意見を自分自身にとって最善の行動に結び付けていくような力が身についていないのです。
【スクールカウンセラーと スクールソーシャルワーカー】
* スクールカウンセラーは、カウンセリングを主な手法として、保護者や教職員へのコンサルテーション や関係機関との連係・調整を通して、児童生徒の心(心理領域)への働き掛けを主として行います。
* スクールソーシャルワーカーは、子どもの環境(福祉領域)への働き掛けを、関係機関との連携・調整を図りながら行うことによって、児童生徒のケアを行うものです。
* 両者は相補いながら教師と連携して、児童生徒の実情に応じた心身のケアを担っています。
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その力を養うためには、いじめは許さないという一貫した態度で、児童生徒一人一人の人権を尊重し、明るく楽しいクラスづくりを目ざす教師(教師集団)が指導するホームルーム活動が必要不可欠です<52)参照>。
3)いじめをなくするホームルーム活動(2時間以上)
① 心理教育・・・ ○いじめの定義を説明する(1参照)
○いじめは不当な人権侵害(犯罪・差別)である(3参照)ので、加害者が一方的に悪く、被害者は悪くない(誰
にもいじめる権利はなく、どのような理由も認められない)
○いじめる側は多勢で強いので、いじめを察知したら、事実を正確に親や教師、警察などに通報して、解決を任せたほうがよい(一人で立ち向かったり、泣き寝入りしたりしない)
○無関心は、いじめを助長する
○学校は全力を挙げていじめから皆を守る(学ぶ権利などの人権を保障する)
○いじめが解決しない間は、学校は別室登校や自宅学習などの配慮を行う。
② 教師自身の権利を守る実践の開示… 教師自らが組合活動や選挙時の投票行動、家事・育児の協働など、教師が身近な権利保障の行動を語ることによって、児童生徒に、いじめや差別のない明るい未来は自らの手で切り開くことができるのだという現実的な展望を与える。
③ クラスでの話し合い(自分がいじめられて困ることは?どのような助けが必要か?自分が果たす
ことができる役割は?)・・・ 児童生徒が生の声をぶつけ合い、それらを調整することによって、いじめをはじめとする種々の人権侵害に対応する方法を考える。
④ ロールプレイ(役割演技)・・・ ③で話し合った現実に起こる場面(被害者を支える、いじめを仲裁する、教師に通報するなど)を想定した役割分担を行い、擬似体験を行うことで、実際にいじめが起こったときに適切に対応できる行動力を身につける。
このような「いじめをなくするホームルーム活動」が展開されることによって、児童生徒の皆が心理教育による基礎知識を基に、個人で考えたことを、小グループでの話し合いから全体への話し合いを経て、実際にいじめに遭った時に有効な対応の仕方がわかるようになります。その対応の仕方をロールプレイで擬似体験することによって、お互いの考え方や感情・行動についての理解も深まり、いじめによる心のわだかまりも薄らいでいくとともに、皆が問題の解決に向けて主体的に対応する力が身についていくのです。
(PartⅢ❷ 7につづく )
目次へ
いじめを考える <PartⅢ❷>
7 いじめの解決に向けて
(1)家庭での取り組み
1)親がいじめに気がつかない理由
① 子ども側の理由としては、自分がいじめられていることで親に心配をかけたくなかったり、親に「もっと強くなれ」と言われるのが嫌だったり、親に告げ口をしたことを知られたらもっといじめがひどくなると考えたりして、子どもが親の前ではいじめに気付かれないように取り繕っているからです。
② 親側の理由としては、わが子はいじめられるような子ではないと楽観していたり、いじめられていること自体を認めたくなかったり、また、いじめは一過性のものだとか、子どもの心に大きな傷跡を残すようなものではないとか、いじめを軽く考えていたりするからです。
このような認識を抱いている親は、いじめがかなり深刻になっ初めてわが子がいじめられていることを知らされても、適切な対処ができないことが多いようです。
2)いじめの早期発見
そこでいじめが深刻な状況に陥らないうちに、できるだけ早くいじめを発見することが大切です。そのためには、いじめは誰にでも起こりうるという現実をわきまえて、親は子どもと心の通い合うコミュニケーション<6(1)1)>をとりながら、子どもの生活(服装や金品、表情、感情、考え方、言葉遣い、態度、行動)の些細な変化にも気をつけておくことが大切です。したがって、親が下記の「いじめに気付くチェックリスト」のような子どもの様子に気づいたら、いじめられている危険性が高いと考えて、直ちに6(1)2)~4)の子どもを支え守る行動を起こすようにします。
参照 いじめに気付くチェックリスト
1 最近、よく物をなくするようになった。
2. 学校のノートや教科書を見せたがらない。
3. 親の前で宿題をやろうとしない。
4. お金の要求が増えた(親のお金を持ち出している)。
5. 学校行事に来ないで欲しいと言う。
6. すぐに自分の非を認め、謝るようになる。
7. 学校からのプリントや連絡帳などを出さなくなった。
8. ボーっとしていることが増えた。
9. 無理に明るくふるまっているように見える。
10. 学校のことを尋ねると、「別に」「普通」など、具体的に答えない。
11. 学校のことを具体的に詳しく聞こうとすると怒る。
12. 話題に友達の名前が出てこない。
13. 学校に関する愚痴や不満を言わない。
14. 保護者会、個人面接で何を話したかを過剰に気にする。
15. 寝つきが悪い(悪夢を見ているようで夜中に起きる)。
16. 倦怠感、疲労、意欲の低下。
17原因不明の頭痛、腹痛、吐き気、食欲不振、体重の減少などの身体症状が見られる。
18. 何に対しても投げやりに見える。
19.以前は夢中で楽しんでいたゲームなどをあまりやらなくなった
20.理由のないイライラ。
21.ちょっとした音に敏感になった。
22.身体を見せたがらない(一緒に入浴したがらない)。
23.衣服、制服、靴などを、親に隠れて自分で洗う。
24.友人からの電話に「どきっ」とした様子を見せる。
25.急に今までと違う子と付き合うようになった(不自然な友人関係)。
26.以前では考えられないような非行行動(万引きなど)の出現。
27.外に出たがらない(外に出たときに周囲を気にしている)。
28.金遣いが荒くなった。
29.成績の低下。
30.物忘れがひどくなった。
31.自傷行為(リストカットなど)。
32.「死」をほのめかすようなメモ、日記。<山脇由貴子2009より>
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<ネット:いじめ画像>
しかし、5(1)で述べているように、大半の家族が該当するとされている機能不全家族においては、親が子どもに経済的・時間的・精神的余裕をもって向き合うことができず、親子が心の通うコミュニケーションをとることが難しいことも事実です。したがって、「親は子どもに道徳的規範を教えよ。」と法律で強制するより、経済社会の改善<5,7(3)参照>が行われて、親子が物心ともにゆとりのある生活を送ることができるようになることが、家庭での親子の心の通うコミュニケーションを取り戻し、いじめの早期発見を可能にするための十分条件だと言わざるを得ません。
(2)学校での取り組み
*凡例 <第n条>:いじめ防止対策推進法第n条
いじめを予防・解消するために、学校ではいじめ防止対策推進法に基づき、いじめ防止に関する基本方針が定められ<第12条>、それに基づいて学校内のいじめ防止のための組織(いじめ対策委員会など)がつくられています<第22条>。この「基本方針」や「いじめ対策委員会」などの仕組み(改善すべき点は7(3)を参照)を活かして、すべての教職員が意思統一をしていじめ対策に取り組めばよいのですが、その仕組み(校務分掌など)や取り組む主体である教師に関わる問題点を挙げておきます。
1)情報の収集と共有
① 情報収集
各種のアンケート調査や心理テストなどを児童生徒に実施したり、「いじめのチェックリスト」や保護者による「観察チェックカード」の提出をお願いしたりして、隠されたいじめの発見に努める<第16条>ことが必要です。
参照6(2)参照のつづき □ 授業中などに、いつも特定の児童生徒が道具の後片付けをしていないか。□ 持ち物がよく隠されたり、落書きをされたりしている児童生徒はいないか。□ 班決めや席替えのとき、みんなに敬遠されている児童生徒はいないか。□ 机や椅子が壊されたり、汚されていたりする児童生徒はいないか。□ 生活の記録ノート、班日誌、作文、絵などにいじめのサインが表れている児童生徒はいないか。□ 保健室へよく行く児童生徒はいないか。□ 机、椅子、ロッカーなどの名前のラベルに落書きをされたり、はがされたりする児童生徒はいないか。□ 授業中などに、ひやかされたり、野次がとんだりしている児童生徒はいないか。
<https://www.pref.gifu.lg.jp/uploaded/attachment/120759.pdf>
② 情報の共有
職員室での教師(養護教諭を含む)間での情報交換や、教科・教科外活動や教育相談活動の中で、いじめが疑われる生徒に関する情報を、教師が一人で抱え込むことなく、学年団や所定の委員会などに直ちに報告し、いじめの早期発見と保護者も含めた情報の共有につなげるとともに、その早期解決に努めることが大切です。
2)教育相談体制の充実
4で述べたいじめの心理を考慮すると、日常的に彼らを評価・指導する立場の教師以外
の、養護教師やスクールカウンセラーなどがいじめに関わった児童生徒の気持ちを受け止
め理解する相談(カウンセリング)体制の充実を図ることが必要です<第16・18条>。
① 相談係責任者の持ち時間の軽減
相談担当者には、個々の児童生徒の事例に即して、ストレスマネジメントや精神疾患、あるいは特別支援教育や非行など、心理や教育分野での幅広い知識やカウンセリング(相談)などの技術が必要です。
また、相談係責任者には、関係教職員や保護者とのコンサルテーション(相談・助言,作戦会議)や研修会の企画・運営、専門医などの社会資源とのコーディネーション(連携)や事例検討会といった業務をこなす資質も必要ですし、相談室業務を円滑に進めていくための相談室の整備や相談便りの発行などの宣伝・啓蒙活動も疎かにできません。
それらの業務をこなすためは、書籍を読んだり講習会や研修会に参加したり、相談室へ常駐したりすることが必要で、そのためには他の校務分掌責任者が要するよりかなり多くの研修時間を要します。このように考えてくると、相談担当責任者には少なくとも、週2時間以上(少なくとも生徒指導責任者と同等)の持ち時間の軽減が必要だと考えます。
② 相談係の校務分掌上の独立
教育相談は生徒指導の一部だという考え方や、校務分掌のスリム化などの理由から、相談係を生徒課の下位分掌に位置付ける学校が多く見られます。その場合、教師側は、生徒の実情に応じて教育相談か生徒指導かを使い分ければよいとしていますが(実際には教育相談ができる教師は非常に少ないので、使い分けはできていません)、生徒から見れば、日頃から服装や頭髪などの一斉指導をしている生徒課(に属している相談係)の先生には、いじめなどの複雑な気持ちは打ち明けにくく、いじめが明らかにされにくくなるのです。
また、生徒課に属した相談係には、相談業務の他に生徒指導の業務が追加されますので、相談業務を行う時間がさらに不足することになりますし、生徒課の責任者には、相談業務にも精通していることが望まれます。
そもそも、生徒指導と教育相談とは、児童生徒の「いま・ここ」に即して、生徒指導と教育相談の両者が培ってきた「知」を統合したり相補い合ったりしながら、協力して指導・援助していく関係(重複説)が望ましいのです。即ち、教育相談は、健常な児童生徒は言うに及ばず、発達障害や精神障害などを抱えた児童生徒に対しても、心の不安や悩みなどを個人的によく聴き、受け止め理解するという部分(右図のc)に特性があるのに対して、生徒指導には児童生徒に対する規律遵守などの一斉指導(右図のa)を行うという特性があります。つまり、相談係と生徒課などは、それぞれの特性が発揮できるように、独立した対等な立場で、お互いが協力したり相補い合ったりしながら、いじめなどの指導に当たらなければ、児童生徒の微妙な気持ちを聴きとったり適切な指導を行ったりすることはできないのです。
③ 相談室の整備
「合理的配慮」とは、障害者が他の者との平等を基礎として全ての人権及び基本的自由を享有し、又は行使することを確保するための必要かつ適当な変更及び調整であって、特定の場合において必要とされるものである。<障害者権利条約第2条>
相談を希望する児童生徒は、心に深刻な不安や悩み、ストレスなどを抱えている場合が多いので、殺風景な部屋や、部屋への出入りが人目につくような場所は適しません。児童生徒が安心して出入りし、話すことができる環境を整えるための(合理的)配慮が必要です。そのためには生徒の相談している声やプライバシーなどの秘密が洩れないようにする場所やルールが必要なのです。
また、書籍と書棚、PCとプリンター、応接セットとカーペット、空調設備、校外と通話できる電信設備(SCや保護者・中学校・児童相談所・病院などの専門機関などとの連携)、給水設備、インテリア小物、箱庭セットや各種検査用紙などの備品を整えることも必要です。<第16・18条>
3)人権教育の推進
① 道徳教育<第15条>
いじめ問題に対処するために教科道徳を推進し、他者を思いやる心や協調性などの徳目を、児童生徒に学校で教えれば教えるほど、児童生徒には「皆と同じように行動しなければいけない」という同調圧力が強まり、いじめを助長
する空気(雰囲気)がつくられていく危険性が指摘されています。
例えば、登下校時のあいさつ運動で、暗い性格や発達障害などの事情で挨拶ができない児童生徒を、「ネクラ・変人」としていじめの対象としたり、オリンピックで「日本チームを応援しない」とした児童生徒を、「非国民」としていじめたりするようなことになりはしないかと危惧されるのです。
【コールバーグによる道徳性の発達段階】〈発達心理学藤村宣之編著ミネルヴァ書房 2011
より作成〉
第1段階 褒められるか罰せられるかという結果で、善悪を判断する。幼児レベル。
第2段階 自分の欲求や時には他人の欲求を満たすための行為が善い行為。
第3段階 他者の意図を考慮し、他者を喜ばせ助けることが善い行為。児童レベル。
第4段階 法を守って社会的秩序を維持したり、自分の義務を遂行したりすることが善い行為。大多数の日本人レベル。
第5段階 正しい行為は、社会全体によって吟味され一致された基準によって定められ、法律も合理的考察によって変更可能。
参照 社会契約説
第6段階 正しさは、倫理的包括性、普遍性、一貫性に基づいて自分自身で選択した倫理的原則に従う良心が定める(全体の1割程度が到達)。 参照日本国憲法の恒久平和主義,ガンジーの非暴力主義)
隠然たる右翼勢力に忖度して事実を歪曲・消去したり、「敵基地攻撃論」や「自国第一主義」を吹聴したり、公的資金でカジノの誘致や株式を運用したりする政治家やその支持者たちは、第2~3段階の道徳性しか有していないことになります。
D.マッカーサーに「アングロ・サクソンは45歳の壮年に達しているが、日本人はまだ12歳の少年」と揶揄された頃よりさらに道徳的に退廃した勢力が、道徳の教科化を実施し、民主主義を形骸化し、我が国の右傾化に拍車をかけているのです |
文科省が教科道徳で示した20あまりの徳目(責任、明るい心、思いやり、礼儀、規則尊重、勤労、公共心、家族愛、愛国心など)を、一時間当たり一徳目を取り上げて児童生徒に教えようとすればするほど、児童生徒がもっている個性や多様性は配慮されないで、政府の価値観に基づいたクラス内の同調圧力が高まり、かえっていじめが起こりやすくなるということでは本末転倒です。
児童生徒が身近な問題(いじめ、授業中の私語、掃除をサボる、ブラック校則、スマホの返信ルール、ジェンダー・・・)をテーマにして、自主的に考え、皆と意見を述べあうことを通して、単なる主観的な(心がけの)問題に終わらせず、その背景となっている様々な問題へとより科学的に問題を解決していく筋道を探っていくなかで、自分たちの道徳性(右コラム参照)を高めていくような道徳教育であって欲しいと思います。
② 人権教育
国連の「人権教育のための世界計画」行動計画では、「知識の共有、技術の伝達、および態度の形成を通じ、人権という普遍的文化を構築するために行う、教育、研修および情報である」と定義されています。(中略)つまり、一人ひとりの存在と可能性を大切にする明日の社会を形成するため、市民のエンパワーメント(自分で意思決定し、行動できること)を目ざすのが人権教育です。<生田周二,日本大百科全書(ニッポニカ)>。
【あるいじめ事例における学校・市教委の姿勢】
Aさんが中学校に入学した直後のB年4月、わいせつ動画を送らせるなどの陰惨ないじめを行った複数の小中学生に囲まれ、川に飛び込んだまま学校に電話し、泣きながら「死にたい」と繰り返し教師に訴えました。その事実が地元の週刊紙に報道された後、道教委はいじめの疑いがあるとしてC市教委を指導しましたがC市教委は、学校などに聞き取りを行うだけで、いじめとは判断せず、Aさんの母親にも「いたずらの度が過ぎただけ、悪ふざけただけだった」と伝えていました。
当時の教頭談:「10人の加害者の未来と、1人の被害者の未来、どっちが大切ですか。10人ですよ。1人のために10人の未来をつぶしていいんですか。どっちが将来の日本のためになりますか。もう一度、冷静に考えてみてください」
B+2年2月、Aさんは自死を決行します。同年10月、C市長がいじめと認定し、B+3年3月、市教育長がようやく遺族に謝罪しました。
<Business Journal ジャーナリズムニュース「C・中学生イジメ自殺事件の闇」などより作成>
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人権および人権保障の仕組みを学び、その知識や技術を身につけることは、公民などの授業で学べば、ある程度は身に付くと思われがちです〈過度の受験教育のために、学習指導要領が示している「公民」の授業さえ満足に行われていない事例もあるようですが…〉
右のコラムを参照してください。学校の管理職や教師、あるいはC市教委などの当事者は、人権に関する知識やそれを保障する技術を身に付けていなければならないはずです。しかし、C市教委が、遺族やマスコミなどから再三再四、真実を公開せよと求め続けられ、道教委からも指導を受けた後、ようやくAさんに陰惨ないじめ(人権侵害)が行われていたとの認識を示し謝罪するまでには3年も要したのです。その間、学校の管理職や彼らを指導する立場の指導主事は、何を得ようとしてAさんへのいじめ(人権侵害)はなかったとしていたのでしょうか。
人権学習の肝は、単に人権を知識として教えるのではなく、ある問題を考える場合、正しい情報を基に得られた児童生徒自身の考えを、皆とよく話し合うなかで、よりよいと思われるレベルまで高めていき、それに基づいた態度や姿勢が身につくようにすることです。
したがって、公民などの授業では、講義だけでなく正しい情報に基づいた討論(ディベートを含む)を採り入れることが必要です。さらに、そこでよりよく高められた考え方に基づいて、実際に人権を保障する行動がとれるようにするためには、ロールプレイ(役割演技)などの体験学習<第15条>を採り入れて、仲間と共に問題解決に向かって具体的な行動を起こしていくことを学ぶことが重要です。一方、他教科や学校行事と連携し、優れた演劇や文学などを教材として、情動(右脳)の面から人権保障に取り組もうとする動機付けを工夫することも大切です。
4)教員の資質の向上
教師は、児童生徒の人権を守るという正の部分と、彼らの人権を奪うという負の部分を、常に背中合わせに内在させています。あってはならない負の部分として、学校におけるいじめ事例の中では、教師がいじめのきっかけをつくったり、生徒と一緒にいじめたり、また、いじめの報告を受けた教師がいじめのもみ消しを図ったり、いじめの定義を我流に解釈していじめではないとしたりするものが少なくないということです。
mana-viva.jp
いじめなどの問題を解決していくには、できるだけ教師の負の部分を最小に近づけていくと同時に、正の部分を強化して行動に表すことが必要となってきます。例えば、いじめを察知したら、それが校内では影響力の大きい教師や管理職などが関与して、いじめを隠蔽しようとしている場合でも、児童生徒の人権を守るために、その情報をいじめ対策委員会などに挙げていくことです。児童生徒を守るという姿勢を崩さないことです。特に経験の浅い教師には難しいことですが、児童生徒の人権を守る、この最低限の一致点で、一人一人の教師の心を結集させることが大切です(分会役員などの支援を得ることができればいいのですが・・・)。
この問題を解決するためには、教師(教師集団)が日本国憲法に規定されている基本的人権や「こどもの権利条約」の学習を基礎として、いじめを見抜き解決していく力を養うための研修を、個人や有志、学年団、学校、組合、民間教育団体、教育委員会など、様々な機会をとらえて積み重ねていくことが必要不可欠です。<第18条>。
5)学校ストレスの軽減
いじめの要因として挙げられている学校ストレスの中核は、「授業がわからない、成績が悪い」「友人関係が上手くいかない」などです。<岡山大学教育実践総合センター紀要,第
10 巻,小学生の学校生活における心理社会的ストレスと心理教育的アプローチ 岡﨑由美子 安藤美華代>
したがっていじめを起こさない取り組みとして、学校を挙げての「わかる授業」の実践や、いじめや体罰のない部活動指導、あるいは生徒の自主的な活動<第18条>を保障する生徒会の指導などにも、教師は生徒のストレスを増大させないように、よく児童生徒の気持ちや考えを聴きとりながら、日常的に反省的実践を積み重ねていくことが大切です。
一方、スクールカウンセラーの重要な業務である、児童生徒のストレスを和らげ、彼らの学業や部活動での実力を発揮させる開発的カウンセリング(呼吸法、漸進的筋弛緩法、自律訓練法、イメージトレーニング、アンガーマネジメント、構成的エンカウンター・・・)などを、相談室への来談者にとどまらず、ホームルーム活動と連携しながら、より多くの児童生徒に対しても実践していくことも、いじめ防止には有効だと考えられています。
(PartⅢ❸7(3),最終回につづく)
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いじめを考える <PartⅢ❸>
(3)国・自治体での取り組み
1)いじめ防止対策推進法(以下、「i法」と表記)の問題点
2011年に大津市で起きた中学生のいじめによる自死事件において、学校と教育委員会の調査およびその結果の公表のあり方が、世間から厳しい批判を受けたことが誘因となり、安倍内閣のもとに設置された教育再生実行会議の提言(道徳の教科化,いじめ対策の法制化など)通り、2013年、i法が与党の議員立法案に野党案を取り込む形で成立しました。
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i法は、それまで軽視されてきた「いじめ」を定義したり、国や自治体、学校がいじめ防止に対する基本方針を作成したり、それに基づいて諸対策を実行していく専門組織の設置を義務づけたり、重大事態への対処を規定したりするなど、教育現場をはじめ国民の間にも、いじめ問題への取り組みを進めていくうえで一定の役割を果たしています。
しかし留意すべきことは、教育現場や日弁連などから様々な問題点を指摘されていたことに配慮して、附則にはi法施行後3年(2019年)を目途としてその施行状況などを勘案・検討し、必要な措置を講ずると規定されていますが、残念ながら今まで法改正に至るほどの検討はなされていません。そこで、i法が抱えている主な問題点について考えてみます。
① 広すぎるいじめの定義
「いじめ」とは、児童等に対して、(略)一定の人的関係にある他の児童等が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているものをいう<第2条>と定義している。これは学校が種々のいじめに対応しないことを防ぐために広く定義したとの見方もあります。しかし社会生活において心身の苦痛を感じさせることがまったくない行為というのはありえないため、例えば「おはよう!」と言って肩をポンと叩いたり、ファッションについて「ダサい」と感想を述べたりするような行為でも、相手が心身の苦痛を感じた場合はいじめであると法律上解釈される不都合さが生じています。
したがって、6でも言及しましたが、いじめの中でも暴力や恐喝などを伴い、児童生徒の人権や尊厳を著しく侵害するものと、それ以外のパーソナリティの発達途上で誰にでも起こり得るいじめとは区別して定義して、警察や児童相談所、心理士などと連携して取り組むいじめから、担任の指導の下で生徒同士の話し合い(ホームルーム活動を含む)によって解決を図るいじめまで、事例に即して適切に対処できるように、いじめの定義を改正する必要があります。
② 加害者に対する厳罰主義
いじめの加害者には厳罰を、被害者には保護をという対照的な対応を規定することにも疑義が生じています。<参照第17・18条>
<第17・18条> 国及び地方公共団体は、いじめを受けた児童等又はその保護者に対する支援、いじめを行った児童等に対する指導又はその保護者に対する助言その他のいじめの防止等のための対策が(略)適切に行われる(略) |
国立教育政策研究所の『いじめ追跡調査 2004-2006』(2009年)などによれば、全体の8割を超える子どもが3年間のうち何らかのいじめの加害者になったり被害者になったりしています。またいじめの大半は「仲間はずれ・無視・かげ口・からかう」であることも報告されています。つまり、大半のいじめは同一人物が加害者になったり被害者になったりして行われているので、本法の定義通りに運用すると、大半の児童生徒に厳罰を与えるという非合理的な指導が行われることになります。
一方、加害者には加害責任が問われることは当然ですが、実際には加害者も様々
なストレスを抱えているため、精神的ケアや支援を必要としている場合も多いこと
を考慮すると、「加害者には指導(罰)、被害者には保護」というステレオタイプの
規定は改正しなければなりません。
③ 問題解決の主体者は?
i法にはいじめを解決する主体としての児童生徒という考え方は見られず、学校や家庭、行政など、上からの対応策しか示されていません<参照第3条>。6でも述べたように、実際のいじめは加害者と被害者だけではなく、観衆や傍観者を巻き込んで行われていますので、その解決には彼らの積極的な関与が必要不可欠です。
因みに、我が国の青少年(大人も同様)の自己肯定感は著しく低いという国際比
<第3条> いじめの防止等のための対策は、いじめを受けた児童等の生命及び心身を保護することが特に重要であることを認識しつつ、国、地方公共団体、学校、地域住民、家庭その他の関係者の連携の下、いじめの問題を克服することを目指して行われなければならない。
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較(内閣府,2019年版「子ども・若者白書」など)があります。これは児童生徒の尊厳や権利、ひいては自分たちの問題を自分たちで解決していく権利が、受験中心教育,形式的主権者教育,生徒の自主活動や政治活動の制限などの影響もあって、教育面でも社会面でもあまり保障されておらず、身近な問題を解決できたという成功体験を積み重ねることができていないことによるものです。
国連子ども権利委員会(2010年第3回総括所見)が、「締約国が、子ども同士のいじめと闘う努力を強化し、かつそのような措置の策定に子どもたちの意見を取り入れるよう勧告する」とした趣意を踏まえて、i法をはじめとして、教育基本法や教育行政、学校教育全般に、児童生徒の問題解決力を育て、それを自主的に発揮できるための条文や制度などの抜本的な改正や改革が、喫緊の課題となっているのです。
④ 個人の内面や家庭教育への国家の介入
国連子どもの権利委員会審査と日本
政府への勧告 www.bing.com/images
i法では「いじめ防止」の基本的施策として、家庭教育とともに、すべての学校教育活動を通じて道徳教育等の充実を図るとしています<第9,15条>。また子どもにいじめることを禁じたり<第4条>、保護者に子どもの規範意識を養うように強制したり、学校や自治体などのいじめ対策への協力を命じたりしています<第8・9条>。これらの規定は、いじめの社会的要因は考慮せず、親の教育力や学校の指導力がないから子どもの規範意識が育たずいじめが起こるとする自己責任論に起因するものであり、早急に改正することが必要です。児童生徒の内面や家庭教育を、いくら道徳主義や厳罰主義に基づいて善導し規制しようとしても、かえって加害児童生徒の反感を買い新たな攻撃行動を誘発させたり、児童生徒間に加害児童生徒に対する差別意識を植え付けたりして、問題解決を困難にさせることに繋がるのではないでしょうか。現にi法の発効後、いじめの件数は大幅に増加しており<参照下グラフ,平成20年度文科省調査>、道徳主義や厳罰主義の限界が示唆されています。
<第9条> 保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、その保護する児童等がいじめを行うことのないよう、当該児童等に対し、規範意識を養うための指導その他の必要な指導を行うよう努めるものとする。
3 保護者は、国、地方公共団体、学校の設置者及びその設置する学校が講ずるいじめの防止等のための措置に協力するよう努めるものとする。
<第15条> 学校の設置者及びその設置する学校は、児童等の豊かな情操と道徳心を培い、心の通う対人交流の能力の素地を養うことがいじめの防止に資することを踏まえ、全ての教育活動を通じた道徳教育及び体験活動等の充実を図らなければならない。 |
子どもの権利条約40条には、「罪を犯したとされた子どもが、ほかの人の人権の大切さを学び、社会にもどったとき自分自身の役割をしっかり果たせるようになることを考えて、扱われる権利をもっている」と規定しています。加害児童生徒や家庭に道徳や厳罰を強調するのは、本人や家庭・学校に自己責任論を押し付け、国や自治体の責任を不問にするものです。加害児童生徒に自分たちが尊重されていることを実感させ、ひいては被害児童生徒の人権も尊重することを身につけさせ、自己の課題に真摯に向き合うことができるような指導・支援体制を、国全体で築いていかなければならないのです。
⑤ 被害者側の権利保障の不備
児童生徒はいじめから守られる権利を有していること、また学校には児童生徒をいじめから守る安全配慮義務があることを法律に明記し、周知徹底させることも必要です。例えば、いじめに関する調査には、いじめの被害児童生徒とその保護者がその調査用紙の作成から実施にも関わることができ(自由に意見を述べる権利)、またその結果を随時、知ることができるように(知る権利も明記)して、学校や行政側にいじめの事実を隠ぺいさせないようにすることが重要です。いじめを受けた児童生徒の権利保障が最大限に尊重されるためには、早急にi法を改正していくことが必要なのです。 (PartⅢ❹7(3)につづく)
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いじめを考える <PartⅢ❹> 相談員 福 田 求
(“ののはな”教育相談)
【GHQによる教育民主化政策】
① 軍国主義、国家主義の教化から、生活体験主義の教育(問題解決学習)へ
*「修身」・「国史」・「地理」の授業停止と
軍事教練や国家神道を教育から撤廃。
*共同体よりも個人重視の社会科新設
② 6・3・3・4制の学制
*社会的地位や格差に対応した複線型の学制から、誰にも開かれた単線型の学制へ
*両性の平等に基づく男女共学へ
③ 教育行政の民主化
*住民の選挙で選ばれた委員が構成する教育委員会の設置
④ 教育指導者講習の実施
*子どもの自主性を重んじる進歩主義教育の研修を行うとともに、非民主的教員の追放や教員の適格審査の実施
⑤ 開かれた教員養成課程
*一般大学の教育学部で教員養成が可能
*学問の自由や大学の自治も保障
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(3)国・自治体での取り組み
2)教育民主化政策の変質
5の「閑話」」で述べた我が国の戦後の民主化政策(参照右コラム)の180度の転換(右傾化、「逆コース」)は、将来の「公民」を育成する教育分野においても強力に推進されています。(参照別紙「戦後の右傾化」)
① 教育における国の権能の強化
ⅰ)学習指導要領の法的拘束力
当初は児童生徒の生活や地域の
様々な状況に応じて適切に教育を進めていくための、教師の手引きとして作られていた学習指導要領が、1958年版以降、法的拘束力を持つ(旭川学テ事件の最高裁判決で確定)基準として教育現場に呈示されるようになりました。
旭川学テ事件の最高裁判決(1976年)では、憲法第26条(教育を受ける権利)、第13条(個人の尊重)、教育基本法第10条(不当支配)の規定上から、教育内容への国家的介入については許されないとも解釈できるが、教育の機会均等の確保及び全国的な一定水準の維持の目的のために、必要かつ合理的と認められる教育課程の大綱的な遵守基準としての学習指導要領は有効と判断しました。これは、国民全体の意思決定である国会が制定した法律(例学校教育法、同施行規則)に学習指導要領が規定されていることを根拠としたもので、政府や国会の考え方や政策に誤りがないとして、司法の憲法判断を避けたものです。
ⅱ)教科書検定
文部大臣が、特定の考え方(例歴史修正主義,皇国史観)を有する教科書調査官や検定審議会委員(参照右下図)を選定して、学会での定説を記述した部分に修正(参照中国大陸への日本軍の「侵略」→「進出」)を求めて(参照F項パージ)問題となった教科書検定制度が、教科書裁判で合憲とされました。
参考 「教科書裁判」の解説 歴史学者の家永三郎(1913-2002,当時東京教育大学教授)が、自著の高校日本史教科書《新日本史》への文部省の検定を違憲・違法として起こした32年にわたる一連の裁判。1965年提訴の第1次訴訟は、教科書検定制度は違憲であるとして国家賠償を求めたが、1993年に国側勝訴で終結。1967年提訴の第2次訴訟は、文部大臣を相手どって検定行政処分の取消しを求めた行政訴訟で、1970年に原告側全面勝訴の1審(杉本)判決が出たが、高裁での訴訟打切り判決、家永の上告断念で1989年に終結。1984年提訴の第3次訴訟は、1980年代初頭の教科書検定を違憲・違法として国家賠償を求めたが、1997年に最高裁は一部の検定を違憲としたものの、検定制度は合憲として訴訟は終結。<百科事典マイペディアより>
この裁判で原告側は、憲法第26条の教育を受ける権利を、自由権としての子どもの学習権を憲法が保障したものとし、この権利に対応する教育の責務を負うのは国民(親)であり、国民の負託を受けた教育・学問の自由を有する教師が教育に当たるものであるから、国は教育内容や子どもの内面的価値に関わる精神活動には踏み込んではならず、親の責務を助成するための諸条件の整備にのみ努力すべきであるとしました。また教科書執筆者の思想内容(学問的見解)を事前に審査する教科書検定は、憲法第21条が禁じている検閲に該当するとともに、教育基本法第10条(不当支配)に違反すると主張しました。
これに対して被告(国)側は、国が国民の負託に基づき自らの立場と責任において、学習権を生存権の一環として保障する権限があり、その権能は公教育の内容や方法にも及びうるとともに、下級教育機関における教育は、教材や教育内容、教授方法などの画一化が要求されるので、教科書検定は違憲とは言えず、また下級教育機関における教師の教育の自由には一定の制約が伴うと反論しました。
自衛隊違憲判決(福島判決)
<東京新聞2019年6月27日>
「あの判決は、法律に従って裁判をやっただけのこと。良心の問題だ。1973年、札幌地裁の「長沼ナイキ基地訴訟」一審判決で、「
自衛隊は憲法9条違反」との判決を裁判長として下した弁護士の福島重雄さん(88歳)は、振り返る。
二審の札幌高裁、最高裁は住民の訴えを認めず、基地は建設された。福島さんはその後、家裁(違憲判断をさせないため〈福田〉)などを転々とし、「冷や飯」を食わされ続ける形に。それでも、自らの判決について「現行憲法である限り、結論は同じ」と主張は揺るがない。
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最高裁は、政党政治の下での国家介入の自己抑制の必要性などには言及しましたが、国民の教育の自由を制限する範囲や目的、あるいは検定の権限や基準などが現行法では明確に規定されていないので、教科書検定制度を違憲・違法とは判断できないとしました。そのうえで、検定をどのように法律や命令などの下位法に委ねるかは、立法権の裁量に属するとし、結果的には政府の考え方を容認することになっています。
参考 統治行為論:「国家統治の基本に関する高度な政治性」を有する国家の行為については、司法審査の対象から除外するという理論〈Wikipedia〉。このような立場で。最高裁が憲法よりも、有権者の意思が委託されている国会や、その多数派の長が組織する内閣が決定した法律や命令の方を重視するということは、憲法を最高法規とする法段階説や裁判官及び司法権の独立(参照右コラム)も蔑ろにして、「憲法の番人」として違憲立法審査権を発動して国会や(裁判官の任命権者である)内閣の憲政からの逸脱を抑えることなく、三権分立や民主主義の形骸化を進め、延いては政治の右傾化やポピュリズム(衆愚政治)の蔓延を促す一因となっています。
②
教育委員会の任命制
教育委員会制度を公選制(1948年)から任命制(1956年)とし、教育委員会から首長への予算原案送付権も廃止したので、教育行政の民主的統制(地域住民・保護者・教師の教育行政への参加)が困難になりました。
前項①の内容と合わせると、自民党教育部会→ 教育再生実行会議(内閣総理大臣の諮問機関 参照次頁コラム)→ 中央教育審議会(文科大臣の諮問機関1952~)→国会,文科省→自治体の首長→教育委員会→学校、という上意下達のレールに乗って、自民党の意に沿った教育内容が法律や命令で定められ、教育行政が推進され、裁判所がこれを擁護していることになります。当に、我が国の民主主義教育や議会制民主主義が危機的事態となっているのです。
教育再生実行会議(2013年~2021年)
内閣総理大臣に教育改革を提言する私的諮問機関。21世紀の日本にふさわしい教育体制の構築を目的とした。2011年の大津市中学生いじめ自殺事件を契機に、安倍晋三政権下の2013年に発足し、2021年の岸田文雄政権発足で廃止された(後継組織は教育未来創造会議)。
教育再生実行会議の提言に沿って、中央教育審議会が具体策などを協議し、必要な法整備や予算措置に取り組んだ。いじめ防止対策推進法創設などの法整備のほか、大学入学共通テストの創設、小学3年生からの英語教育、道徳の教科化などの実現につなげた。内閣総理大臣、官房長官、文部科学大臣ら閣僚と20人以上の有識者で構成。
<日本大百科全書 矢野武 より作成>
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③
教職員の組合活動や政治
活動の制限
「教え子を再び戦場に送るな」を合言葉に、平和教育をはじめ民主的な活動に大きな役割を果たしていた日教組など、組織労働者の3分の1を占める公務員の労働三権を制限(政令201号1948年)するとともに、教職員の政治的活動を制限(教育二法1954年)し、さらに教職員の管理を強める勤務評定(
1956年~)や、最近では教員評価制度(2016年)も実施されるようになりました。
この動きは教頭法制化(1974年)、主任制度(1975年)、主幹・指導教諭設置(2010年)などの中間管理職の増設との相乗効果を生み、今や教職員労働者の組合組織率は20%近くに落ち込んできた結果、実態にそぐわない公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律(定数法1958年)や、公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法(給特法1971年)の改正がなされず、教師の劣悪な労働条件の改善が行われないのです。
一方、国家による教育内容の統制(侵略戦争の美化、戦争放棄の無視など参照教科書検定)とも相まって、教師や児童生徒の内心(精神)の自由などへの侵害も公然と行われるようになってきています。例「日の・君が代」起立斉唱の強制、理不尽なブラック校則など
④
教育基本法の改正
教育への国家の介入を決定づけたのが教育の憲法ともいわれた教育基本法(以下:旧法)の改正が2006年に行われました。その改正教育基本法(以下:新法)の問題点を挙げてみます。
ⅰ)国家による教育や国民の内面への介入
旧法では、第10条「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきもの」であり、「この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。」と規定しています。
これは、教育行政が政府や特定の団体に対してではなく、国民全体への責任を持って行われなくてはならないということと併せて、教育内容に介入することなく、必要な教育環境の整備のみを行うとして権力による教育統制を禁じたものです。
ところが新法第16条では「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」であり、「国は、(略)教育に関する施策を総合的に策定し、実施しなければならない」と規定し、国家による教育の支配も国民の内面への介入も、それらを可能とする法律(例学校教育法、同施行規則など)によって認められるという規定になっています(参照「悪法も法なり」)。
ⅱ)恒久平和主義の否認
旧法が、前文で「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な日本を建設し、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。」と明記しているのに対して、新法では、「我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献する」と記しています。これは、政府の行為によって引き起こされた悲惨な戦争の史実や、その反省から多数の国民に支持された恒久平和主義などの立憲の精神、あるいはその教育版である旧法の精神には一切触れていません。
この改正は、戦争もなく平和で民主的な日本をさらに発展させ世界平和に貢献するために、戦力による攻撃には戦力で対抗していくという「平和主義(実質は軍国主義)」を、教育の場に持ち込むための布石となる改正ではないでしょうか。
ⅲ)儒教的(封建的)で従順な人格の育成
旧法第1条では、教育は「自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」として、自由で生き生きとした人格の形成を目指すものとしていました。
これに対して新法第2条では、「道徳心を培う」、「公共の精神に基づき」、「伝統を尊び」、「我が国と郷土を愛する」など、政府が重要視する儒教的、封建的な徳目<参照 7(2)3),右下コラム>やものの見方・考え方などを教え込まれ、「公共(お国)」のために忠誠を尽くす人格を育成することを教育の目標として掲げています。
ⅳ)教育的責任の家庭への押し付け
新法第10条では、「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有する」と規定し、いじめや不登校などの教育問題の最大の責任は家庭にあるとする考え方を示しています。これは教育問題に対する教育行政や格差社会の影響を軽視する誤った認識に起因するものであり、政府の教育問題に対する責任逃れを正当化するものに他なりません。
ⅴ)教員は誰に奉仕するのか?
旧法第6条②では、「法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であって、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない」と規定されており、ⅰ)で述べたように、教員は、文科省や教育委員会・管理職、あるいは特定の団体に対してではなく、子どもや保護者などの国民に奉仕するように規定されています。
しかし新法第9条では、「法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない」と記されているのみで、「全体の奉仕者」との規定は削除されています。
ⅵ)9年制の義務教育や男女共学の規定がない
旧法第4条で明記されていた9年制の義務教育や、第6条の男女共学の規定は、新法では削除されています。「飛び級」などの自由主義的教育政策や、男尊女卑的な考え方の容認につながることが懸念されます。 (最終回につづく)